容姿だけが取り柄の女子高生・三船巴と世界滅亡の願いごと

千日越エル

第1話 絶対厭世/告白対策

 もしそれに心があったなら、また捨てられたと思うだろう。ああ、また私は捨てられたと。独善的な人間はもう価値がないと見切ると、すぐにそれを捨ててしまう。


 その鏡は何百、何千と人の願いを叶えてきた。死んだ母親に会いたいと言われれば会わせたし、金が欲しいと言われれば与えた。死にたいと言われれば死なせたし、愛が欲しいと言われれば愛した。


 人間とは欲深い生き物だ。もし心があったなら、鏡はそう思っただろう。あるいは呆れ、あるいは嘆き、あるいは憤りさえ覚えたかもしれない。だが、もちろん鏡に心はない。ただ願いを叶え、そして捨てられるだけのものだった。


 大半の人間は願いを叶えると、一定の達成感を抱いて満足感を得る。一度きりの願いを叶え終え、超常の能力を失った鏡のことなんてどうでもよくなる。中には、鏡を誰かに売り付けようとする者や自宅に保有しておこうとする者、さらには祭壇に祀ろうとする者もいた。だが、それらは少数派だった。皆捨てるのだ。鏡は面白いように不遇な扱いを受けた。叶った願いに目が眩み、叶えてあげた鏡は蔑ろにされる。それが常だった。


 さて、今回もまた鏡は俗な願いを叶え、そして捨てられた。だが、捨てる神あれば拾う神あり。それもいつものこと。鏡は一人の人物によって拾われた。だから鏡は言う。願いを一つだけ叶えよう——。


「願いを叶える」といきなり言われて、すぐに対応できる人間はまずいない。そもそも、頭の中に直で声が聞こえ、しかも手の中の鏡が語りかけてきている気がする、という異常な状況に脳の理解が追いつかない。しかし、である。その人物は即答だった。


 しつこいようだが、鏡には心がない。だから意外な願いだとは感じなかったが、それを願われたのは初めてのことだった。鏡を拾った人間は言った。


「世界を滅ぼしてほしい」と——。


    ◇


 厭世、という言葉がある。字面通りこの世をよく思っていないことを意味し、稚拙な例で言えば中二病を拗らせた者に多く見られる感情でもある。だが、社会への憎悪が深刻な段階まで達した時。その感情は危険な事件を引き起こす。自分が報われないのは世界のせいだと妄信し、他人を巻き添えにした大量殺人が企図される。


 小野救世きゅうせい。今にして思えば、なんと皮肉な名前だろう。旧姓は坂上。両親の離婚で幼少期に姓が変わっている。ちょっとした変化。見た目に抱く劣等感。内気な性格。なんでもいじめの根拠になった。いや、いじめなんて表現は生温い。誤りですらある。彼が受けた行為は紛れもなく暴行であり、傷害であり、脅迫であった。


 世界の誰も、彼を救ってはくれなかった。大人も子供も。先生も同級生も。親も他人も。「お前が悪いんだ」と友人は言った。「俺が悪いんだ」と彼は思った。やがて友人はいなくなった。彼は独りになった。孤独な時間だけがひたすらにあり、思考は無意味に循環した。


 まず集団で殴って金を要求した少年たちを憎んだ。次に汚水を飲ませて醜悪に笑った少年を恨んだ。それから見て見ぬ振りをした教師に怒り、容姿を馬鹿にして蔑んだ少女の不幸を願った。寝ても覚めても、彼は屈辱を忘れなかった。


 肥大したコンプレックスと歪曲したプライド。その狭間で鬱屈としながら、ただ彼は生きていた。息を吸って吐くだけの日々。酸素を二酸化炭素に変えるだけの人生。自分は何のために生きているのか。それを認識している人間がどれほどいるのかは分からないが、彼にしてみれば生きている意味が分からない人間なんて自分だけだった。


 憎しみの矛先は他者から自己へ。自己から他者へ。輪廻のように巡りながら、次第に世界へ伝染していく。一度こぼれてしまえば、もう盆には還らない。彼の世界に悪意が満ちるまで、さして時間はかからなかった。


 孤独にも慣れて何も感じなくなった頃。それは同時に精神が限界を迎えたことを示唆していて。いつしか彼は、確固たる自分の意思で世の中全てを憎むようになっていた。


 道を歩けば、歩きタバコをしている中年がいる。死ねばいいのに。コンビニのレジに並べば、割り込んでくる老人がいる。死ねばいいのに。遠くで犬の鳴き声が聞こえる。ああ、死ねばいいのに——!


 もう彼の憎悪は爆発寸前だった。あとは手段だ。どうやってこのクソみたいな世界を——。


「……これ、は」


 それは鏡だった。彼は探し求めていたものに巡り合ったような自然さで、古ぼけた鏡を手に取っていた。どうしてこんなガラクタをわざわざ拾い上げたのか、自分でも分からない。ただ、そこに落ちていたから。強いて言うなら、それが理由だった。


 願いを一つだけ叶えよう——。突如として脳裏に響いたその言葉に。まるで答えを用意していたかのように、抑揚のない声が自ずと漏れ出る。ああ、これで世界を。

「世界を——」


    ◇


 世界が滅ぶとは、どのような状態を指すのだろうか。あらゆる生命体の死滅だろうか。植物も含まれるのか? いやそもそも、地球という天体の消滅を以って為されるのか——。定義はそれこそ人によるし、複数あるのだろう。だが、それは言ってしまえば些末ごとである。いずれにしても、人類の滅亡は免れまい。人類史が終わる規模なのであれば、あとは地球があろうがなかろうが、気にしたところで大差ない。


「世界を滅ぼしてほしい」。その願いは鏡によって叶えられた。後には何も残らない。地球はどうなったのか。その観測者さえも。最悪な願いは直ちに叶えられ、世界は滅んだ。その事実だけが存在を許されていた。


    ◇


 世界が滅ぶ2週間前。未来のことなど当然知る由もない三船みふねともえは変わり映えのしない、かといって何の不満もない日々の中にいた。もっとも正直に言えば、アルバイトの時給が低いとか、足をもっと細くしたいとかあるのだが、それで暗澹たる思いに駆られるほどの切実さはない。高校から駅までの道を早歩きで急ぐ彼女の頭の中は今、友達との待ち合わせの時間に間に合うかどうか——いや多分間に合わない、5分遅れで済むか10分遅れになるか——といった一刻を争う問題に支配されていた。


 彼女について、どこにでもいる普通の女子高校生……と形容したいところだが、ある一点がそれを妨げていた。成績も身体能力も身長体重もメイクの上手さもファッションセンスも人並みで、陽キャとも陰キャとも言い難く、インスタのフォロワー数もぱっとしないが、彼女には一つだけ特筆すべきところがあった。


 それは容姿である。彼女の特徴はその類い稀なる外見にあり、逆に言えばそれしかない。だが、それは十分すぎるほどの恩恵を彼女に与えていた。


 まず、見た目がいいだけである程度の人望が約束される。別に彼女は人気者になりたいわけではなかったが、好遇されて悪い気はしない。あからさまな贔屓を受けて後ろめたさを感じることもあったが、天狗になることもなかったためか、強い向かい風が吹くことは幸いにしてなかった。


 自分の容姿が人より優れていることは自覚していた。友達からはSNSにもっと自撮りを載せればいいのに、とよく言われていたが、顔をスタンプで隠した1枚だけしか上げたことはない。あとは風景と食べ物の写真で埋め尽くされている。友達は気軽に自撮りを上げていたが、彼女には得も言われぬ抵抗があった。大袈裟に言えば、自分の写真を全世界に発信するわけで。まあ鍵アカという選択肢もあるけれど、視線が集まるのはリアルで十分間に合っている。これ以上……というのは気が進まなかった。


 そうして平穏に暮らすのを良しとしていた彼女の学生生活に無用な刺激を与えていたのが、男子生徒からの告白イベントだった。


 高校に入ってからは月に3〜4回のペースで発生し、最初は嬉しかったりお断りするのに四苦八苦したりしていたが、冬休みが終わる頃には作業になっていた。しかしながら、慣れてきたとはいえ、毎度相手のがっかりした表情や力のない作り笑顔に忍びなさを覚えていたのも事実だった。


 そこで、巴は友達の中で唯一、彼女より明らかにモテていた女の子——四条しじょう朱里あかりに相談を持ちかけることにした。朱里は女子力の高いルックスに加え、明るくノリの良いキャラで、コミュ力おばけとしても定評があった。そりゃモテるわけだよね、と巴は思う。事実、校内の人気は彼女と朱里で二分していたが、どうして自分が朱里と二大勢力になれているのかは永遠に解けない謎だった。


 さて。季節は晩冬。男子陣営からの止め処ない告白の波状攻撃にさらされていた巴が講じた策こそが、朱里への相談だった。他の友達だと「自慢と思われたら嫌だな」という引け目があったが、朱里なら大丈夫だ。大手を振って相談できる。この前なんて、ついに女子からも告白されてしまった。できることがあるなら早めに手を打ちたい。


 巴たちが通う高校の最寄駅付近にある商業施設。そのフードコートの一角に陣取り、スマホを手に取る。5分遅れたが大丈夫だった。まあ、4時「ごろ」と言ってあったし、お互いにそこまで時間に厳格でないはず。さてと、じゃあまだまだ肌寒いけど、屋内なら暖かいしアイスでも食べちゃおうかなあ、なんて巴が逡巡していると、やがて待ち人は現れた。それも、派手な髪のお兄さんを伴って。


「うぇーい! え、ちょ、ま、やば! かわいすぎくね? ガチ恋するわ!」

「声でか。だから言ったじゃん、もえち超絶かわいいよって。はい。ほんじゃもう帰った帰った。ここからはガールズトークの時間なんで」

「いや待って。アカリンもクソカワだから。大丈夫。おちつこ?」

「落ち着いてるわ。また今度遊ぼ? どうせヒマでしょ。今日はバイバイ!」

「あの……さようなら」巴も一礼する。

「草ァ! もえっちも便乗してきたァ!」


 うーん……。確実に人類皆フレンド系のテンション高めな人だ。出会って数秒で分かってしまった。

「もうカミソンのことは無視していいから。あ、この人カミソンね。立川でナンパしてきた自称大学生。名前がカミソンだから上村かみむらなの」

「逆ゥ! チャンアカ適当すぎっしょ! あとマジで大学生。疑うなんてひどくね?」

「だって馬鹿そうだから……」と辛辣な朱里に対し、

「馬鹿でも入れる大学はあるんだよねえ」と否定せずキメ顔を見せる派手髪であった。


「あ、朱里ちゃん……」

 しばらく事の成り行きを見守っていた巴だったが、恐る恐る口を開く。この状況で相談なんてできるのか、とも思いはするが、(遊びに)忙しい朱里をせっかく捕まえたのだ。この機を逃したらまた数日後になってしまう。意を決して声を出した。


 上村に向かってじゃあねとばかりに手をヒラヒラさせていた朱里だったが、巴の真剣な様子を察知して椅子に座り直す。

「どしたの、もえち」


 このもえちという呼び名は今でこそ市民権を得たが、中学の途中まではともちんと呼ばれることが多かった(あるいはオーソドックスに巴ちゃん)。仮に「もえ」という名前だったらすんなり受け入れられたのだろうが、「ともえ」の身としては「もえち」と呼ばれるのは当初新鮮だった。閑話休題。


「あの、朱里ちゃん」

 少々の気恥ずかしさを覚えながら、巴は切り出す。

「実はね。変な話なんだけど……」


 伏し目がちな巴を見て、上村には分かってしまった。ああ〜、そゆことね! この子は朱里にコクろうとしているのだなと。ならば、自分はここにはいられない。潔く立ち去るのみだ!


 二人の邪魔にならぬよう、目立たぬように筋肉質な身体を縮こまらせながら——それはあまり意味のないことだったが——上村はその場を後にする。速攻でそっと離れたので、二人には気付かれずに済んだ。無視されているわけではない。多分。


「告白されなくなる方法ってなんかないかなあ?」

 真剣な表情と質問内容とのギャップに朱里は一瞬面食らったが、すぐに察する。

「あー、それねー! もえちモテモテだもんねえー」

「いや、朱里ちゃんほどでは……」

「でもそーゆーとこ。はあ、可愛さがにじみ出ちゃってるんだよなぁ」

「どういうとこでしょーか!?」

「コクられて困っちゃう〜みたいな? そんなのありがとねーって言っとけばいいのよ。だからキミがモテなくなるのはムリかなー」

 わざわざ身を乗り出して、ほっぺをつんつくしてくる。

「まあ、整形してブスになればワンチャン?」

「ええ、そんなお金ないよ……」

「うぇーい! お金あったらやるんかーい!」

 踵を返して舞い戻った上村が華麗にツッコミを炸裂させる。

「うわ、アンタまだいたの」

「まあねーん。オレいいこと考えちゃったんだけどさ。コクられたくないならカレシ作ればいいんじゃね? そんでオープンにしちゃえば万事おけまるっしょ」

「まって。ウチいいこと考えちゃった。カレシ作ればいいのよ!」

「それ今オレが言ったァー!」

「え、かれ……し……?」

 キョトンとする巴。

 朱里はあちゃーと額を抑える。

「あーっと、そこからか! えーと、カレシっていうのは一緒にデートとか行く男の子で」「ごめんそれは知ってる」

 彼氏を作るという発想。どうして今までそれに思い至らなかったのか不思議なくらい、簡単な理論だった。告白を受け入れるという選択肢。それが頭からすっぽりと抜け落ちていた。

「まあ相手が問題っちゃ問題かもだけど、もえちならヨリドリミドリでしょ。この人ならカレPiにしてあげてもいいかなってレベルのオトコいなかった?」

「ガチ上から目線だねチャンアカ」

「うーん、そう言われてもね……」

 返答に窮する巴。告白されるのと断るのがセットになってしまっていた。

 上村はチャンスとばかりに猛然と挙手する。

「はいはーい! オレオレ!」

「うえ。オレオレ詐欺の人? カミソン見損なったわー」

「ちがくて。オレがいるじゃん!」

「うん。いるね」「いますね」割とハモった。

「わー、ふたり息ぴったり……じゃなくて。もえっちオレと付き合えばよくね? 入籍! 入籍!」

「歌うなし。あとカミソンはそーゆーのじゃないんだよねー。なんていうか、おごってくれるヒト的な?」

「え、ガチのトーンじゃん。まってまって。マジなの? 流行りのマジ卍なの?」

「もう流行ってなくね?」

「はぐらかさないで頂きたい」

「アンタね……。てか、察しわる。カミソンはウチらカワイイJKちゃんの公認おサイフなんだわ。めでたしめでたし、よかったじゃんね。ウフフ」

 朱里は小悪魔的に微笑む。

「いや笑えねえー! めでたい要素ねえー!」

「この素敵スマイルが朱里ちゃんの真骨頂だよねえ」

 巴は惚れ惚れとしている。

「はいそこ。なに穏やかな顔してんの」

「はい! すみません師匠!」

 ビシッと敬礼し、姿勢を正す巴。

「よろしい」

 朱里は腕組みして満足げに頷くと、悪戯っぽい目を向けてくる。そしてファミレスにでも誘うかのような気軽さで提案してきた。

「じゃさー、これからナンパされにいく?」

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