第3話 山

 ◆


 ある日の昼、寝台で休むジャハムの元にアンナとギドがやってきた。


 イリスは居ない。


 この時間は近所の食堂を手伝いに行っている。


 皿を洗ったり、掃除をしたりして小遣いを稼いでいるのだ。


 この村では幼いうちからこの様にちょっとした労働をして、働くということに慣れていくという習慣がある。


「ん……?どうしたんじゃ、そんな顔をして」


 ジャハムが問うと、ギドが前に出て言った。


「義父さん。実は……」


 ・

 ・

 ・


「ならん!ならんぞ、う、ぐ……」


 ジャハムが大声を出して怒りを露わにし、咳込んで胸を抑える。


 しかしその顔に弱気は欠片も見えない。


 むしろ怒りはより深みを増し、ギドを睨みつけている。


 ギドの言葉はジャハムにとって到底受け入れられない事だったからだ。


 ギドはこう言った。


 ──『もうこの家には金がない、義父さんの薬を買ったり、良いものを食べさせようとして想像以上に散財してしまった。このままでは家族全員が飢えて死んでしまう。そうならない為にイリスを人買いに売る事も考えないといけない』


 それは駄目だった。


 それだけは許せなかった。


 顔を真っ赤にして怒り、噎せ、しかしギドを説得しようと言葉を尽くす。


「無理なんだよ、義父さん……。とにかくもう金が……。もし、もしあと一人、飯を食わせる人数が減ればなんとかやっていけないことも無いと思うんだが……」


 ギドはそんな事を言い、ちらりとジャハムを見る。


 ジャハムはギドが言いたい事が良く分かった。


 それに不満もない。


 心残りはあるが、事ここに及んでは仕方がないと割り切った。


「良かろう。儂は山へ行く。イリスには、イリスには……すぐには言わんでおくれ。儂は遠くの街へ仕事をしに行ったと、そう伝えてほしい。頼めるか?」


 ジャハムの言葉にギドは頷く。


 山は村のすぐ近くにある。


 この村では以前から食い扶持を減らすために老人や病人を捨てるという慣習があった。


 捨てられた者たちは山に還り、そして次の誕生の準備をする──……そう言う民間伝承が存在するのだ。


 ゆえに捨てられる者たちは孤独感と悲しみこそはあるものの、恨みの念といったものを抱く事はあまりなかった。


 自身の存在が家族の負担となるというのは苦痛な事だ。


 その苦痛から解放され、そして新しい命へと生まれ変わる準備をするために山に行くのだから、前向きな感情を抱く者すらもいた。


 ジャハムも同様である。


 この時、彼はギド達に対して一片の恨みの念もなかった。


 朽ちかけの老体が少しでも役に立つ事を喜んでさえいた。

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