牢番の回顧録

あんこもっち

第1話 牢番のひとりごと

今回の物語は王城が舞台ではなく、その王城の離れにある兵舎。


でもなく、兵士たちの詰め所のその隣にある赤煉瓦で出来た古びた塔が舞台となる。


5階建ての塔は30メートルほどの高さだろうか。いつ建てられたのかはわからないが、塔の壁の一部には蔦が広がって纏わりついており、所々に苔が壁の隙間に侵食している。


さて、


この古びた塔は一部の者だけが入る事を許されている。


もちろん塔に許可なく侵入した者は罰せられる。


そう、


この塔は犯罪を犯した罪人と要人たちが捕らわれている牢獄の塔であった。


そしてこの物語はこの牢獄の塔で働く牢番の回顧録である。



かつん、


かつん、


男は左手にカンテラを持ち、薄暗い地下路を移動していた。


ピチャッ、


ピチャッ、


薄暗く静かな通路にも時々は水滴が落ちる音が異音となって男の耳に入ってくる。


かつん、

かつん、


男の足音以外は静かなもので時々鼠の鳴き声とカサカサと何かが動いている音が聞こえてくるぐらいだ。


くああ……、


男は大きな口を開けて欠伸をしながら眠たそうに目を擦る。


「クソっ、眠いなあ……」


男は気怠そうにボサボサの黒い髪を掻きながら石の回廊を降りる。

男はよく見れば整った顔立ちではあるが眠そうな顔を無精髭、そして長身ながら猫背のためにだらしなく見える。


男の年齢は今年で30。

いよいよオッサンへの道を歩まんとする年頃だ。そんなオッサンは未だうだつの上がらない牢番の仕事をずっとやっている。


ちなみに今日は夜勤だ。

牢番の仕事は三交代制勤務となっている。

朝から夕方、夕方から深夜、深夜から朝までと異世界ながらになかなかハードな職場である。


牢番は国の兵士ではあるが、騎士団とは立場が違い下っ端も下っ端である。騎士団は軍服を身に纏っているが、牢番などの下級兵士の服装は木綿と麻でできた布で灰色と薄緑色の中世の兵士が着ているのと同じデザインで非常に簡素な服だ。


男は階段を降りるとそのまま地下路を進んだ。


しばらくすると通路の突き当たりに古びた扉があった。誰しも入る事を拒むかのような重厚な扉が眼前にあり、男は扉を見つめる。


黒い鉄で出来た扉の枠は錆びないようにしっかりと油を塗ってある。扉自体は木の板を合わせて造られてあるが、扉の厚みは男の拳ほどあり、たとえ屈強な男が本気で殴っても斧を振り下ろしたとしても、すぐに割れる事が無い。


それほどに頑丈な造りとなっている。


「さて、と」


男は視線は扉の一部、左中央にある鍵穴の部分に目をやった。そして腰にかけていた輪っかを手に持つとジャラジャラと音を立てて10数本の鍵の中から一本の鉄の鍵を手にした。


「これ、だな」


男は鍵を鍵穴に差し込むと、そのまま捻るように鍵を回した。


ガチャ、


ん?


ガチャ、ガチャ、


「違ったか?」


男は一度鍵を抜き、目を細くして鍵の先を眺めながらもう一度鍵の形状を確かめる。


「クソ、こんなにたくさんの鍵だとすぐわからなくなっちまうな」


男は長年ここに勤めているはずなのだが、時折こんな事を繰り返している。本人曰く鍵の先にある形状は覚えているものの、時々同じような形をした鍵とすぐ間違えてしまうらしい。


ちなみに鍵の持ち手には各々数字が刻まれているのだが、経年劣化により数字がかなり削れているため、目視ではわかりづらくなっているのだ。


他の牢番たちは普通に鍵の配列順番で覚えているらしいが、この男はそれをしなかった。

したがっていつも鍵を間違えては、繰り返しもう一度鍵を差し替えているのだ。


「チッ!めんどくせえな!」


学習能力の無い男だった。


ギイィ……。


男が合鍵に当たるとようやく重厚な扉が開いた。


そして男が中に入ると入り口付近に髭の蓄えた痩せぎすな老兵の牢番がいた。


「よお!爺さん、お疲れさん」

「おお!エリック、ようやく交代か!」

「ああ、今用意するから少し待ってくれ」

「ああ、わかった」


牢番たちは引き継ぎのため、二人待合室に入る。


エリックと呼ばれた男はテーブルの上にカンテラを置き、机の引き出しにある短刀を取り出して腰のベルトにかけた後、壁にかけてある槍を手に取った。


牢番は全身鎧を身につける必要はないが軽装ながらも胸当て(プレートアーマー)の着用は義務付けられている。それこそ紙のような薄いペラペラの鉄板の装甲である。あとは必要な装備は籠手こてと脛当てぐらいだ。


あと楔帷子くさりかたびらを装備する者もいるがそれなりに重量があるため、特に重要な罪人が留置されることがなければ誰も好き好んで着ることはない。


そして、今日はそれが必要な日だった。


「……いけねえ、忘れてた」


エリックは槍を壁の槍置きのところに戻して後ろの棚にあった共用の楔帷子を手に取った。


ジャラ、


「……重てえな」


ジャラリと金属の重なる音がする。

手に持った鎖帷子はズシリと重く、男は胸当てを外した後、たたまれた鎖帷子を広げて嫌々袖を通すと一気に上半身が重くなるのを感じる。何故かこの鎖帷子だけは矢や小刀を全く通さないほどに重厚な仕上がりとなっており、その分重量がハンパない。


「……やっぱ、重てえなあ」


しかも臭い。

鉄の匂いと汗臭、さらには牢番おっさんたちの加齢臭も加わって楔帷子は一段と過激な匂いを放っている。


まさかお貴族様でもあるまいに、オーデコロンのような香水を身につけている者などこの牢番たちの中にはいるはずもない。


エリックは臭いを抑えるべく鼻で息をするのをやめて口呼吸に切り替えると、テキパキと装備を整える。


そして再び短剣と槍を持ち、当番用の兜を被り一通り支度を整えた。そして交代する牢番と極めて簡略された情報共有と引き継ぎを行う。


「いつも通り、異常なし、だ」

「爺さん、あんた楔帷子着てねえのか?」


エリックはもう一人の牢番の装備を見て訝しげに睨みつける。


「お前さんほど若いなら着れるがなあ。ワシには長時間アレを着るのは体力的に無理じゃよ」


「しかしなあ、仕事だぜ?」


「まあ、そんなものが無くても特に困らんわい。証拠に今日は何も起きんかったしのう」


「爺さんは幸運ラッキーだな」


「まあの、さて、帰って酒でも呑むかの」


「呑み過ぎるなよ」


「わかっとるわい。飲むって言ってもほんのちょっとだけじゃ」


「いつもそう言ってアンタ、呑み過ぎてカミさんに怒られてるじゃねえか」


「それはカミさんの愛情表現じゃよ」

「ケッ!よく言うぜ!」


「お前さんも、はよ嫁さんを貰え。そしたらワシの気持ちがわかるぞぃ」


「俺だってなあ!はよ嫁さん欲しいわ!でもこんな牢番のオッサンなんかに来てくれる殊勝な花嫁なんて!この町には、いねえんだよぉぉ!!」


「それはわからんぞ?まあ、本当に嫁さん欲しいなら毎日毎日神様にお願いすることじゃな」

「それならとっくに来てるはずだ!」


「なら信仰が足りんのじゃよ。教会に寄付を持っていかないからじゃな」


「神様ってのはかねを出さねえと願いも聞いてもくれねえのかぁ!?」


「そんなんだから信仰が足りんのじゃよ。ワシなんかいまだにカミさんとラブラブじゃよ?」


「爺さん気持ち悪いんだよ!そもそもアンタ、そんなに教会に行ってねえだろが!嘘ついたら地獄に堕ちるんじゃなかったのか!?」


そもそもこの老兵が毎日教会に通っているところを見たことがない。何をほざいていやがるんだと男は憤った。


「おお、恐いのう!こんな地獄ところ長居はしたく無いわい。さ、ワシも早く天国おうちに帰って愛しの酒とカミさんの下に帰ろうかの」


老兵はニタリと微笑む。


「カミさんより酒の方を愛してるんじゃねえの?」


「何を言っとる。酒はワシの命。カミさんはワシの人生そのものじゃ」

「ケッ!さっさと帰りやがれ!」


「おお、あとはよろしくの」


他愛もない会話と引き継ぎの後、老兵は老体とは思えないほどに軽快な足取りで帰っていった。


「ああ!あんちくしょう!気に食わねえなあ」


エリックはぐちぐちと老兵を罵りながら待合室を出ると先程まで老兵が座っていた簡素な造りの木の椅子に腰を下ろした。


いつも通り牢番の業務に徹するために通路全体を見渡す。


通路の両側には鉄格子があり、牢屋は左右に5室ずつ、最奥1室あり、計11室となっている。


牢屋はいつも満室というわけではなく、いまは4室が空いている。こんなに牢屋の数が少ないのは比較的王国の治安が良いからなのだろう。


罪人の滞在期間もだいたいは二、三週間といったところで、それ以降は刑が執行され、死罪の他は鞭打ち、奴隷落ち、鉱山送りとなる。刑の執行後は当然ながら罪人は牢にいなくなる。


罪人も色々で一番重い罪はもちろん殺人罪だ。その他には窃盗、放火、拉致誘拐、恐喝や喧嘩などがあり、罪人の多くはほとんど町民ではあるが、たまに他国から来た流れ者が町で犯罪に手を染めここに連れてこさせられることもある。


ちなみに貴族の罪人はこの地下牢ではなく、塔の上にある別室に隔離される。そこは騎士団の管轄で下っ端の牢番たちは許可なく入ることもできない。


しかし、


今回、イレギュラーというべきか、最奥の牢屋には珍しく訳ありの罪人が入っていた。


「ええと、たしか、アイリスとか言う娘だったっけか?」


今、目の前の最奥の牢屋の鉄格子の奥には、中は薄暗く、うっすらと全身に影を帯びながらも、それはもう今まで見たことのないほどに美しいご令嬢が座っているが見えた。

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