第35話


 ユズ。これからユズに、大切な仕事を頼もうと思う。これは、わたしたちからの依頼。報酬らしい報酬は、あげられない。だから、やるかどうかの判断は、ユズに任せる。わたしは仕事の話をする前に、ユズに謝らなければならない。ごめんね。本当に、ごめんなさい。わたしたちは、ずっと、ユズを利用するつもりだったんだ。これは言い訳みたいに聞こえるかもしれないけれど、わたしたちは本当に、ユズのことが好きだし、大切だし、愛しているよ。ただ利用するためだけの関係ではなかったと、それは明確に言葉にさせてほしい。

 以前、ユズに話をしたことがあるよね。飛行機が失踪する話。もしかしたらユズは、空想世界のお話のように思ったかもしれない。けれど、それは現実の話だ。もしも、この世界を離れる時が来たなら。その時は、ぜひ過去のニュースのなかから、飛行機の事件を探してみてほしい。

 知らないことを責めるつもりは、微塵もない。だって、自分に関係しないことなんて、そうそう気にしていられないでしょう? いいや、気にしていたら生きていけない、の方が適切かもしれない。見ず知らずの、自分の人生に影響を及ぼすことがなさそうな一般人が、数十人、数百人単位で消えたからと、心を削っていたら、もたないもの。関心を削ぎ、今に集中する。それは、少しでも幸せに生きようとしたら、当たり前のことだ。みんなは、悪くない。誰も、悪くない。

 すごく稀に、ニュースで扱われているけどさ。ニュースってさ、受け取りに行かないといけないもんね。それを押し付けられたとしても、視界や鼓膜が受け取りを拒否したらそれまでだし。

 ユズに話をしてもピンとこないのは、わたしたちにとっては好都合だった。変に同情されたりしたらさ、嫌だから。

 みんなにとってモブの失踪が過去どうでも良かったように、わたしたちの家族にとってもそれがどうでも良かったかというと、違う。当たり前の話だよね、って言いたいところだけど、必ずしもそうじゃないっていうのが、ちょっと悲しいところだ。

 失踪、というのは、残されたものたちへの負担が大きい。いっそ死体が見つかればいいのに、と、秒針が進めば進むほど、思うんじゃないかな? そして、そんな心を嫌悪して、壊れていく。わずかな、一パーセントでも残ってしまう、〝どこかでまだ生きている〟という希望の灯火を、自ら消そうとしているというその逃避を、悪魔の所業と思い込んで。

 忘れないで、と誰かに懇願した人がいた。けれど、覚えていたところで何が変わるでもない。変わるとしたら、「まだ見つかりませんね、見つかるといいですね」と同情の言葉をかけてもらえることくらい。嫌々口から吐き出される同情なんて、ほとんど慰めにはならない。

 当事者でもないのに、事件に深く首を突っ込み続けようとする人なんて、いなかった。搭乗していた人たちの顔ぶれが違かったなら、未来もまた違っていたのかもしれないけれど。みんな、大人しかったんだよね。大声を上げるでもなく、じっと帰りを待ち続けちゃった。

 そっとしておいた方がいいと思ったか、周りとて大声を上げない。ただ、すっかり忘れたわけじゃありませんよ、っていうモーションを、年に一回、数分とる。

 ある人の家族は、事件のあともずーっと、ある人の家の家賃を払い続けてる。ライフラインの契約もしてる。住んでないのにお金がかかる。それでも、払い続けてる。

 その部屋は、雑居ビルの五階にあって、その場所はあまり治安がいいとは言えない。ライフラインが使える空き家だという情報が漏れたらしく、侵入されて、電気やガスや水道を使われたこともある。それでも、何ら対策を講じることはない。ただ、冷蔵庫にはバターなどの製菓材料をしまい、本棚にはそっと週刊誌を置く。

 そんな日々が続いたらね、「あの部屋は狂ってる」って噂になったみたいで。よほど覚悟を決めないと侵入できなくなったみたいだよ。

 侵入されても、荒らされても平気で、行くたびに綺麗になっている。冷蔵庫を開けてみれば、賞味期限内の食べ物が置いてあるし、最新の雑誌が置いてある。

 ――透明人間が住んでいる。

 そう言って、忌み嫌われ始めたんだ。



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