第26話


「大丈夫だよ。仕上げちゃお」

 強引に弾ませたような、不思議な響き。

 ユズは不安にとらわれて、それが心に打ち込んでいく疎外感に蝕まれた。皆の中では共通認識であるけれど、自分だけが知らない何かが、この本か、メニューに隠れている。

 自分は新入りであるから、知らないことがあっても何ら不思議ではない。けれど、ここ最近の彼らとの親密さが、本来の関係にメイクをしていた。そのことを、瞬間、強く感じたのだ。

「ユズ?」

「ん? あぁ、ごめんごめん。えっと、それで、続きは――」

 サポートに入ったミントの動きは、全てを理解している人がなしえるものだった。作り慣れ、食べ慣れているのだろう。

 ――違うメニューを、選べばよかったかも。

 悶々とするも、それをひた隠し作業を続ける。途中、仕事を終えたチャービルがふたりの様子を見に来た。

「息ぴったりだね」

「そ、そうかなぁ」

「もう、ミントってば――」

「あーもう。うるさい! もうすぐできるから、あっちで待ってて!」

 追い出されたチャービルは、不貞腐れながら床をゴロゴロしだした。その不思議な様を見つめていると、

「一仕事終えると、ああやって大地を感じたくなるんだって」

 ミントが囁く。

「ふーん。ここ、五階だけど――」

「あ、ユズ。それをパパっとしたら完成だね」

「ほんとだ」

「ほんとだ、って……。ボーっとしてた?」

「うん。ちょっと」

 この部屋には、三人がゆったりとくつろぐことができるテーブルなど、ない。ユズがどうしようかと考えあぐねていると、ミントが出来上がった三人分の料理をチャービルの邪魔をするように、床に置いた。

 いまここに、お行儀のよさをアピールする相手など、ひとりもいないとでも言いたげに、迷いなく。

「なんか、ピクニックみたい」

「確かに」

「悪くないね」

 視線が交錯する。笑顔が弾ける。

 いただきます、と両手を合わせ、食べ始めた。

 ユズにとっては、初めての味。と、いっても、母が作った、似たような料理を食べたことはある。

「ん。けっこうおいしい。けど」

「けど?」

「あんまり女の子が好きそうな味じゃない」

 チャービルが口から食べ物を飛ばしそうな勢いで、ガハハと笑った。

「あったりまえじゃない。『ズボラ男でもできる』料理なんだから、ズボラ男好みの味に決まってるもん」

「とりあえずガツンとした味にしておいて、炭水化物をモリモリ食べようってやつだよね」

 ミントとチャービルが意気投合した。

 ユズは少し、複雑な気分になる。人間をズボラであるかそうでないかで分けたとしたら、おそらく自分はズボラ側だ。けれど、とりあえずガツンとしておけばいいとは思わないし、炭水化物をモリモリ食べようというのも違う気がする。過去、そういう思考の時期があったことは否定しないけれど。

 つまるところ、ミントとチャービルの意見は、偏見ではないか?

 ひとりゴールにたどり着き、導き出した答えと共に、料理を咀嚼し飲み込んだ。

「そういえばさ、ミントとユズの出会いって、どんな感じだったの?」

「なに? 急に」

「えー、だって気になるんだもん。ミントが私の力を使おうって思うなんて相当だし。だから、何かあったんだろうな、何があったんだろうなって思ってた。妄想はもうし飽きたし、ふたりともいるときなら真実を聞けそうだし」

 チャービルがパクッと咥えたスプーンが、上下に揺れた。

「べ、別にいいじゃん。どうだって」

「ユズぅ。どうだったの?」

「うーん」

 振られることはわかっていたが、言葉を用意するほどの時間はなかった。揺れるスプーンを見つめながら、偽りのない、純な言葉を探す。

「なんかすごく怒られたし、なんかすごく嫌われてる気がした。なんかわかんないけど、とりあえず謝りまくった」

「もう! そんなことないって」

「アハハ! やっぱりミント、そんな感じだったんだ」

「な、なにさ! 〝やっぱり〟ってなにさ!」

「気がある人にはツンツンしちゃうもんねー、ミントちゃんは」

「もう! チャービルのバカバカバカ!」

 ポカスカと振り下ろされる拳は、空を切る。

 ミントにチャービルを殴る気はないのだ。殴りたいくらい文句があるんだから、と主張する気はあっても。

「おーこわこわ。それで? ユズはミントの第一印象、変わった?」

 ふたりの視線は、ユズに照準を合わせている。

 それは刺々しくない。

 ひとつは包み込むように優しく。

 もうひとつはビクビクと怯えている。

「変わった。本当は優しくて、可愛い人なんだなって」

「ヒューヒュー! ミントかわいいー!」

「もう! チャービルは黙ってて!」

 ぽこん、とチャービルの頭に拳が当たった。

 えへへ、と笑う顔を見るに、それは微塵も痛いものではなく、ふたりにとってのコミュニケーションのひとつに見えた。

「でも」

「でも?」

「正直を言うと、ちょっと怖いなって思うことも、ある」

「わかる! ミント、すぐに手が出るもんね!」

 ――ぽこん。



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