第23話
パチパチと、いつもよりも多い瞬き。ちらり、と揺れた視線。
「本当に、切っていいの?」
「うん。お願い」
「じゃ、じゃあ」
ミントの瞳に、色が宿る。いつもとは違う。自分が好きな、やりたいことに集中している目だ。
ユズは煌めく瞳を目に焼きつけたいと思った。けれど、そんなことをしてしまえば、ミントへの圧力になりかねないと、じっと我慢する。
チャキ、チャキチャキ、と軽快な音が響く。
すーっと髪を引っ張る時の力加減が絶妙で、頭皮をマッサージされているような気さえした。
このまま、眠ってしまえそう――。
「ユズ、できたよ。……ユズ!」
「ん、ああ」
「髪の毛切られてる時って、普通、ちょっとくらい見ない?」
「ん?」
「何でそんなに頑なに見ないかなぁ」
「ミントの集中を邪魔したくなかったんだよ」
「ふーん」
差し出された鏡を見る。
絶妙なバランスのアシンメトリーがそこにある。
「ミント、こういうの好きだよね」
「だ、だめ?」
「ううん。すっごくいい。ぼく、自分じゃこういう風にしようとしないし。どう頼んだらいいのかもわからないから、できないし。そんなだからかなぁ。おまかせで頼んでもきっと、こうしてもらえない、と思ってる。『コイツは無難なやつがいいな』なんて思われてそうっていうか、なんていうか。だから、ミントにこの髪型にしてもらえて嬉しい。ありがとう」
ポリポリと頭を掻く。きゅうっと口角が上がる。
「どういたしまして」
恥じらい混じりの笑みは、ユズの目尻をすっと落とした。
「そういえば、最近また、タイムを見ないけど」
「んー。ミツバとあれこれやってるみたい」
「あれこれ?」
「うん。会議っていうか、なんていうか」
言いながらミントは、自分の髪の毛を撫でた。赤い部分を切って、緑髪だけにしても、きちんとスタイリングできそうなくらいに髪が伸びた。
――力とその代償。
タイムの話をしながらそれを気にするということは、タイムの不在は何か力と関係すること、ということなのだろうか。
深入りしたいという思いは確かにあるが、深入りすべきことではないとも思う。
ユズは話題をチャービルの部屋でのクッキー修行についてに切り替えた。タルトの土台にこだわりがあって、超えるためにのめり込んで――と、どうせミントは聞いたことがあるのだろう話を、ペラペラと言葉に変えた。
ミントの体に、冷たい何かが走った気がした。それは普通、目に見えない、緊張のような何か。
この話題も違うか。何か話すことはないか。無言であることは悪ではない。事実、チャービルの部屋で言葉が途切れた時、特別不快ではなかった。けれど、今この瞬間は、言葉を切ってはならない気がした。正しいかそうではないのかはわからないけれど、言葉で空間を埋めておかなければ、心にヒビが入るような気がした。
「あのさ」
ミントが口をひらく。
ユズはなんてことない話をしかけたが、言葉をゴクンと飲み込んだ。
「うん」
「チャービルのクッキーは、本物だよ。あたし、すっごく好きなんだ。チャービルが作るお菓子。もともとは、そんなにスイーツとか、好きじゃなかったんだけど、あれは特別」
「女の子って、スイーツ好きなイメージあるけどな」
「あたしが育った家ってね、けっこう無理をしている感じで。だからかな?」
「無理?」
「そう。簡単に一品できますよ、みたいな調味料とか、売ってるじゃん?」
「ああ、麻婆豆腐の素とか、そういうやつ?」
「そうそう。そういうのを使うのを嫌う家で。だから、普段の料理はさしすせそフル活用みたいなやつで。だけどさ、そういうのが得意な人じゃなくてさ。頑張ってはいるんだろうけど、味が乱れたりとかは日常茶飯事なわけ。で、そういう、うまくいかなかった時に、不満を漏らすことなく美味しい、美味しいって言って食べないとね、ガス欠になるの。そうめんとかうどんとかそばとか。そういう麺つゆ料理になる」
ユズの顔がほころんだ。
「なんか安心した。麺つゆはオッケーで」
「チッチッチ。ユズは甘いな」
「お、まさか麺つゆもお手製?」
これからこの話が進む道は、決して甘い道ではない、とユズは感じていた。だからこそ、声音を弾ませた。いくらでもあるのだろう落とし穴に、ミントを落とさないように。
「そ。あぁ、でもね、お弁当の時は売ってるやつだったみたい」
「お弁当で麺つゆ持ってくの?」
「そ。ビニールに麺がドーンって入っててさ。薄めてない麺つゆと一緒にお弁当袋に入れられて」
「ビニール? お弁当箱じゃなくて?」
「ね。たぶん、洗いたくないからだと思う。あたしが洗ったりもするんだけどさ、基本的にキッチンに入られたがらない人でさ。『ここは私の城ですから』って感じ。城のものを勝手にいじられたくないし、洗うにしたってレベル感があるじゃん? ほら、とりあえずそれっぽく汚れが取れてればいいや、って人がいればさ、指で触って〝キュッキュッ〟ってならないと気が済まない人がいたりして」
「ああ、確かに。父さんのお母さん……だからぼくからしたらおばあちゃん。そのおばあちゃんがさ、適当なタイプなんだよね。それで、母さんが『あの洗い方嫌だ』って、よく言ってた。すっごく稀ではあるんだけどさ、父さんの実家に行って、泊まることがあったんだ。そういう時は、母さん、誰かと魂入れ替わったんですか? ってくらい俊敏に動いてさ。『お義母さん、私が洗い物しましょうね』って。おばあちゃんは洗い物をよく溜めててさ、料理とかご飯の前に仕方なく洗う人だったから、着くなり洗い出す、みたいな感じで。母さんは『中途半端に洗われるよりずーっとマシ』って言ってたな。納得いかない洗い具合のフライパンで作った料理など食べたくない! みたいなところもあってさ。でも、納得のいく綺麗さのフライパンで作られるのなら百歩譲れるっていうか」
「うわぁ、面倒くさいの、うちだけじゃなかったんだ」
語り合ったことは互いに綺麗な思い出ではなかったが、瞬間、汚れが流れ落ちた。こうして誰かとの繋がりとなるのなら、あの過去にも価値があったのだ。
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