第13話


 ミツバがすっと立ち上がった。

「ずっと喋っていたから、喉が渇いちゃった。ユズも飲む? 今日はね、幸せなことにコーヒーがあるんだ。オリジナルが分けてくれたんだよ。ユズ、コーヒー飲める?」

「飲め、ます」

「オッケー。淹れてくるね」

 ミツバはたくさん喋った後だというのに、疲れひとつ見せずに、鼻歌を歌いながらコーヒーを淹れる。苦く爽やかな香りが空間に広がりだした。

 タイムはといえば、話の途中からくぅくぅと寝息を立てていた。前も似たような感じだった。この話をしている途中、大あくびをして。ミントに「もう休んだら」と言われて、眠りについたのだ。

 タイムの能力と、何か関係があるのかもしれない。彼は、過去を振り返ることに膨大なエネルギーを使う、とか。

 ふたり分のコーヒーを持って、ミツバが戻ってきた。

「ありがとうございます」と言うと、微笑みが返ってくる。

 一口、飲む。

 コーヒーって、こんなに香り豊かだったんだな。香りのかけらを逃さず楽しんだのは、これが初めてかもしれないと、ユズは思った。


 さぁ。それじゃあ、並行世界の話といこう。

 マリーと出会って、しばらく経ってからのことだった。

 あの、謎の空港と廃ホテルの話をした時、マリーと会話が噛み合わないことがあったんだ。けっこう時間が経っていたから、記憶が曖昧になったのかな、なんて、わたしは思った。わたしにとっては人生の土台を揺るがす大事件だったけれど、マリーにとってはたいしたことない日常の迷惑ごとだったかもしれないからね。

 でも、違ったんだ。

 マリーは言った。「ああ、もう限界!」

 どういうことかというとね、あの空港と廃ホテルで出会ったのは、マリーであってマリーではなかったんだ。わたしたちのように、完全なる複製体として存在する、もう片方。ちなみに、こっちのマリーがオリジナルで、あっちのマリーはレプリカってことになっていた。マリーとマリーじゃわかりにくいから、当人どうしにおいては、レプリカのマリーを「ローズ」と呼んでいた。

 ローズとマリーは、常々交信していた。といっても、マリーの方が思考を受信する能力を有しているらしくて、ローズの周辺で起きたことを逐一ただ受け取って。都度、必要に応じてマリー側から連絡する、っていう、すごいのやらそうではないのやらわからない方法でね。

 でも、ずっとレプリカの思考とリンクさせていられるはずもなく、まれに連絡をしたところですべてを共有できるはずもなく。ボタンの掛け違いがあったんだろうね。それで、齟齬が生まれて、「ああ、〝もう単一体ごっこは〟限界!」となったわけ。

 マリーは、勢いそのまま、「この世界とて複製世界だ」と口にした。わたしの思考には、それがすぅっと滑らかに入ってきた。

 自分がコピーできるなら、世界もコピーできると思ったんだ。

 なるほどねぇ、なんて笑っていたら、今度は少しも笑えなくなった。

 なぜかというと、複製世界は現実世界をベースに構築されたものであり、その世界上に自分が複数存在していると認識できる者は現実世界上には存在しない、という言葉が鼓膜を刺したからだ。

 わかりにくいよね。

 ほんと、難しい世界なんだよ、ここは。

 コピー元の世界に存在しないくせに、こっちにいたらおかしいだろって。それも、ふたり。

 結局さ、人間ってみんな、自分がいちばんなんだよね。隣のお家の子どもが死んでもさ、「かわいそうに」でおしまい。しばらくしたら、日常に戻る。

 そうして、わずかなズレなんて、もともとなかったことみたいに均されていくんだ。だから、別にここにモブが居たってかまわないってことなんだよ。派手にやって、世界を壊さなければ、道はほぼ並行を保ったまま、どこまでも続いていく。あまりにもずれたときは、チャービルって感じ。うん。チャービルの存在意義はそこだろうね。できるだけ、現実に近い世界とするための。本当は、オリジナルのユズを消すための力ではない。あれは、ミントの……ね。

 さて。ユズは特殊ケースだ。現実世界と複製世界のユズの扱いは、異なっている。現実は神隠し、複製はオリジナルの喪失。

 このことが意味するのはね、ユズには現実に、元居た世界に戻る道が残されている、ということだよ。

 元居た世界に戻る道が残されているケースというのは、決して珍しいことではないんだ。ただ、最後の扉を開く鍵がないから帰れないだけなんだ。

 ユズの場合は、その鍵もある。

 時が来れば、キミが戻りたいと願うなら、いつか帰れるからね。

 そうそう。もし帰ったら、ぜひ行って欲しいところがあるんだ。その場所を知るために、今度チャービルのところに行ってみてね。

 それと――


 ふわぁ、と大きなあくび。タイムが目を覚ましたのだ。

「タイム、おはよう」

「うーっす。ふわぁ……あれ、もしかして、終わった?」

「うん。ほとんど。そうだ、それで、ユズ」

「は、はい!」

「チャービルのところに行ったら、ミツバが『ハト』って言ってたって、伝えて」

「は、はと?」

 ミツバはニィッと笑う。どうして『ハト』なのか、その理由を教える気はないよ、とその顔が言っていた。

「いい匂いする。あぁ、コーヒー飲んでるのか。ん? 俺の分は?」

「ないよーだ!」

「うわぁ……。あ、ユズ! 俺の分、飲んだな!?」

「え、えぇ!?」

 責め立てる気のない、キラキラと眩しい笑い声と、優しい手。

「あ、あのぅ。そういえば、占いって」

「ん? 言ったじゃん」

「へ?」

「チャービルのところに行って、『ハト』と言うべし」

「それって占い、だったんですか?」

「ったくユズ。細かいこと気にしてんじゃねぇよ!」

 タイムがユズの頭をガシガシと撫でた。痛い、痛いってば、と文句を言うユズだが、その顔は笑っていた。

「んじゃ、また来るわ」

「うん。またね」

「おじゃましました」

「チャービルによろしく」

 ユズとタイムは、再び不思議な扉を通った。とぷん、と何かが揺らめく。体に触れるでもないのに生まれた波紋がふわんと広がって、消えた。



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