マリアとユニコーン

小余綾香

 私はユニコーンとの出会いを覚えていない。

 それは日本でも有名な幻想生物の一種であり、大抵は一本角の馬か鹿のイメージを共有できる。私自身は六歳頃、ユニコーンにえにしを感じたらしく、辞書で引いた記憶が鮮明だ。ハンディサイズの国語辞典に載っておらず、違う辞書を見つけると「ユニコーン」を探したから余程、何か知りたかったのだろう。

 私の黒歴史は、


「純白の透き通る毛並みの生き物が私にだけ本当の姿を見せてくれたの」


 的な系統ではなく、ユニコーンを熱心にアナログ検索した結果、妙なところに結び付いてしまった話だ。辞書が黒歴史の扉とは何が災いするか判らない。叶うならこの奇特なる幼児に、


「ユニコーンはどこで会えるのぉ?」


 とでも大人の前で目をキラキラさせてみるんだ、と私は言いたい。稚気を好む大人が構ってくれて多分、その後の人生、もう少し生き易くなる。

 しかし、結局、私がユニコーンを発見したのは英和辞典の中だった。英語のスペル法則など想像もつかない頃だから端から頁をめくって「ユニコーン」と説明書きのある項目を見つけたのである。その労力ならば感動したのは判る。しかし、妙に安堵したのが何だったか今は理解できない。


 問題はここからだ。

 ユニコーンの説明は謎の一文が約半分を占めていた。


「処女しか乗れない」


 要はこういう趣旨だが、何分、六歳児。処女とは何だ、である。聖母マリア擁するカトリックの幼稚園に通っていた為、その字を「ショジョ」とは読めた。しかし、少女のお仲間で、子供を産むから少し年上なイメージがあった程度だ。

 そこで、また国語辞典で調べたが、乙女だ、生娘だと要領を得ない。

 それでも私は人に教えてもらう習慣がなかった。基本的に関心事の情報は自力調達である。その味方の辞書には処女が未婚女性という記載もあり、理解し易かった為、


「結婚しなければユニコーンに乗れるんだ! 私、結婚しない!」


 と、一応のビジョンをここで私は持った。

 自分のこととして振り返ると充分イタくて仕方ないのだが、年齢が年齢なので笑い話で済むと思いたい。いかにも黒歴史を築く未来が匂ってくる幼児ではあるが。


 先を読んでもらえる保証がないので、ここで言っておく。

 信頼できる人を選び出し、生身の体験を情報提供頂く能力は人生の最重要スキルの一つである。外国語の習得や難しい本を読む力の開発を少し休んででも獲得を試みる価値はある。

 次は正しく魔の中学時代、スキル獲得に失敗した子がやらかした黒歴史である。

 

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