ミラー♾️スペクルム

@garyoutensei1228

第1話 僕らのユートピア

僕は鏡が好きだ。


鏡は嘘をつかない。


純粋でありのままの世界を見せてくれるから。



これはいつの記憶だろうか?


俺は何不自由も無い理想を捨て、何かを急ぐように、小刻みに吐息を溢しながら、マリオネットのように無心で駆けていた。


天空は白色の絵の具と黒色の絵の具を無慈悲にかき回している真っ最中だった。


人通りの少ない、住宅街の中の交差点に来ると、俺は何をそう急ぐのか分からないまま、今、交差点を抜けようとするトラックに身を投げた。


そして次の瞬間には、理不尽にも俺の上半身のみが宙を舞った。下半身は見るに耐えないミンチの姿。


落下後、俺は近くにあったカーブミラーの見せる真実に呆れた。


そこにはトラックに惹かれ、赤黒い色の池を作りながら、息絶えかける、哀れな真実があった。


どこかで人は死ぬ時、体が無性に熱くなったり、走馬灯を見たりすると聞いたことがあった。だが、そんなのはただの偽りに過ぎなかったらしい。


今の俺にあったのは、深い闇の中に孤独にある『無』だけだった。


俺はカーブミラーの映す真実に頼んだ。


もっと、俺は生きたいーーーーと。



「あれ?」


張り巡らされた蜘蛛の巣に囲まれた薄暗い二階建ての小さな廃病院のベッドの上で、西崎夫楼々(にしざきおろろ)は目を覚ました。


病室はベッドが四つ、それぞれ端の方に置かれた長方形のこぢんまりとした部屋で、病室内には窓が無く、一つの開けっ放しの引き戸から外明かりがほんの少しだけ入るという造りだった。


だが、何故か、廊下の窓は全て派手に割れていて、冷たく吹く風はその開放感を物語っていた。


さらに、病院内には一切の人気も無く、天井に両サイドで固定しているはずの照明器具は、片方が外れてしまい、ふらり、ゆらりと揺れを繰り返し、ベッドを隠すためのカーテンは、ペットに噛み遊ばれた後のティッシュのように、ビリビリに裂けていた。


「酷いな・・」


夫楼々はそんな不穏な空気にゾッと身震いをした。それからすぐに、自分がどうしてこんなところにいるのかを整理するために自問自答を始めた。


「僕はさっき人を助けて、トラックに惹かれて・・それで・・」


だが、いくら苦悶しようが、肝心な記憶がどうにも思い出せなかった。


木に引っかかってしまった風船を必死に取ろうとする無邪気な子供のような情けない気持ちになっていた。


考えがまとまらない中、夫楼々はベッドから体を起こし、下唇を軽く噛みながら、病室の引き戸、外の光が見える廊下の窓の方へ、無意識に近づいた。


その時、夫楼々はその景色に、思わず目を疑った。


「何だ、何だよ・・これ・」


見える範囲の家々の窓は全て割れ、雑草が建物を侵食し、人の姿は無いが服やズボンなどが無造作に散らかっていた。


まるで、人が突然消えてしまい、荒廃した世界を写像的に映しているようだった。


その途端、夫楼々は自分の服や体がやけに臭いことに気づいた。


と、同時に服装が事故にあった時と変わっていないことにも気づいた。


「僕はいつから寝ていたんだ?今日の日にちは?消えた人は何処に行ったんだ?」


度重なる、不吉な疑問が夫楼々に抱きついた。


だが、夫楼々には一つだけ分かったことがあった。


それは今、一体何が起きているのかを確認しなければならないということだった。


思いついた途端に体が動いた。


廊下を突き当たりまで行き、階段を駆け降り、窓ガラスの破片が散らばるカウンターを横切り、外に出た。


外に出ると、その荒廃した世界が現実のものだということをしっかりと、再認識させられた。


夫楼々は深く深呼吸をすると、まずは生存者を探すために無我夢中で駆け出した。


しかし、それはそう単純な話ではなかった。


どこの道を歩こうが、どこの家を覗こうが、全てもぬけの殻。


雲ひとつ無い蒼穹はどこかあざ笑っているかのようにも見えた。


いつまで歩いたのだろう。


いつの間にか夫楼々は道に迷ってしまった。


さらに、夫楼々は身も心もヘトヘトになってしまい、遂には、諦めかけてしまった。


と、思ったその刹那、


「・・んxg・・・s@b」


ほんの微かに人の声が耳を擽った。


夫楼々はまるで主人の帰りを喜ぶハチ公のように一直線に声のする方へと駆けた。


そして、声が聞こえた場所からすぐ近くの家の塀からその声の在り処を静かに覗き込んだ。


だが、夫楼々はその姿を見て、思わず血の気が引いた。


憂鬱そうに猫背でゆっくり歩く老人のような、ゾンビのような人影。


何か意味のわからないことを言い続ける不気味さ。


更に顔は、目と口と鼻が無い顔を筆で混ぜ合わせ、歪ませたような、悍ましい顔になっていた。


夫楼々は呼吸を荒げ、思わず、泣き叫びそうにもなった。


だが、何とか冷静を取り戻し、その場から一歩、二歩とバレないように後ずさりをした。


その時だった。


「うわっ」


夫楼々は足元に落ちていた革靴を踏んでしまい、足をすくわれた。


体制を崩し、小さな悲鳴と共にその場に尻もちをつくと、人型の化け物はギョロリと、夫楼々のいる方へと振り返り、一歩、二歩とちょっとずつ、夫楼々との距離を詰めた。夫楼々はことの大きさに気づくと、這うように必死で、近くの家の塀の裏側へと滑り込み、息を殺してしゃがみ込んだ。


それから数秒後、化け物との距離は狭まり、コンクリートの塀を隔てたところまで来ていた。


夫楼々はパニックになり、自身の心臓のドクン、ドクンという音すらも、恐怖の対象になってしまっていた。


その時、都合よく足元に酷く錆びついたフライパンが落ちているのを見つけた。


反射的にそれを握りしめると、しばらくそのフライパンを睨みつけてから、化け物の様子を塀の隙間から確認した。


化け物は夫楼々が隠れていた塀を通り抜け、夫楼々に対し、背を向けていた。


「今なら行ける。」


なぜだか無性に勇気が湧き出た夫楼々は決意を固め、強く握り締めたフライパンで化け物の背後から頭部を狙い、野球選手がバットをスイングするように思い切り振った。


「あ、ごめんなさ・・」


夫楼々はつい謝ってしまう程に理不尽に強く叩いてしまった。


その結果、化け物の頭は正位置から七十度近く曲がってしまった。


だが、夫楼々はすぐに言葉を失った。


化け物は何事もなかったかのように曲がった首を自身の手で元に戻したのだ。


そして、夫楼々の方に顔を向き返し、


「・・・ed・・ed・・9bp・・」


何を言っているのかは理解できなかったが、化け物が不機嫌そうなことはよく伝わった。


夫楼々はフライパンをその場に落とし、また尻もちをつくと、化け物の顔がゆっくりと夫楼々の顔へと近づいてきた。


万事休す、夫楼々は絶望に浸りながら力一杯に絶叫した。


「キャーーー」


その時だった。


化け物の脳天に錆びついた一本の杜が貫通した。


「大丈夫か?」


化け物が膝をつき、横に崩れ落ちるように倒れると、その背後にいた三十代後半ぐらいの年の男の人と二十歳ぐらいの年の青年とロングヘアの女子高校生だと思われる人たちの姿が夫楼々の目に入った。


「は、はい、なん、とか・・」


あまりの衝撃に、弱った捨て猫のような震える声で夫楼々は答えた。


そして、少ししてから率直に質問を返した。


「あなた方はいったい?」


すると、彼らは一度、お互いの顔を見合わせて微笑むような笑顔を作ると質問に答えた。


「通りすがりのファミリーですよ。」


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