#014


 この街に引っ越してきてから知り合った、ご近所さんのおばあちゃんは、いつも花壇のお手入れをしてる。

 私はそんなおばあちゃんの家の近くを通るたび、ちょっとした世間話をする。天気がいいね、とか、今日も元気? とか。

 時々、「スーパーで大根が特売だよ」みたいな感じで、お得な情報をシェアしたりする。そうすると、「あたしの分も買ってきてくれない?」って、おつかいを頼まれたりする。そして、私は喜んでそれに応じる。

 だって、どうせ、ついでだし。それに、おつかいのあとは、おばあちゃん特製の美味しいおかずのおすそ分けがあったりするから。

 

 今日は、牛乳と卵を頼まれた。どっちもおひとり様一点限りの品だ。本当のことを言うと、私も卵と牛乳が欲しかった。フレンチトーストが食べたい気分だったから。

 だけど、今日のところは仕方ない。戦利品は、おばあちゃんに渡すんだ。


「おばーちゃーん! 買ってきたよー!」

「あぁ、ありがとうねぇ。入ってきてぇ。冷蔵庫に入れてくれるぅ?」

「うん、わかったー!」

 おばあちゃんは、ちょっと耳が遠い。だから、話し言葉は全部ちょっと大きめ。お腹の底から声を出すことなんて、おばあちゃんと話す時くらいだからだろうか。日常から少しはみ出したこの瞬間が、私は好きだ。

「いつもありがとうねぇ」

「いーの、いーの!」

「そうだ。もうひとつ、頼んでもいい?」

「いいよ。なーに?」

 おばあちゃんは、タクシーの予約の電話を代わりにして欲しいんだって。耳が遠いと、電話が億劫になるみたい。聞こえづらいから、電話でも自然と声が大きくなっちゃうんだって。その大きくなった声が「怖い」って言われてから、電話することから逃げられるものなら逃げることにしたんだって笑う。

 私がスマホでかけようとしたら、おばあちゃんは「電話代がかかるでしょ」って、家の電話を使うように言った。

 私は受話器を取るのが公衆電話ぶりとかで、それこそ小学生ぶりとかで、だからすごくワクワクした。

 スマホもいいけど、受話器もいいよね。

 この、目に見えない、遠くにいる誰かと話すためだけの道具ってところに、私はときめく。

 タクシー会社に電話をしてみたら、私一人ではどうにも答えられないことがあって、おばあちゃんに声をかける。

 返答がない。聞こえてないみたい。

 受話器がぐるぐるコードで繋がってるから、大声を出さないと気づいてくれなさそう。もう少し長かったらいいのに。

 私は、電話機本体を手に取った。こうしたら、本体の電源コード分、おばあちゃんに近づくことができるから。

 コードがだらりとのびる。

 記憶の中、糸電話の思い出が、思考の特等席に座った。


 お礼にって焼いてくれたホットケーキを食べながら、窓の外、手入れされた花を見る。

 フレンチトーストもいいけれど、ホットケーキもいいよね。誰かが焼いてくれたホットケーキって、なんだか不思議な優しさがある。子どもに戻ったみたいに、無邪気にそれに、フォークを入れて頬張る。

 時間がゆっくりと過ぎていく。

 未来を向いた機械を使って、今を生きるのももちろんいい。

 だけどこうして、過去を感じながらあたたかい時間を過ごすのもいいなって、じゅわり溶けるバターを見ながら思った。



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