精霊の気まぐれ

 ――その後、他のこの地に住まう数人の転移者とも顔を合わせ、晩にはささやかな宴が催された。


 この地に住まう――いや、アブドゥルやシンジに言わせれば、この地に『残った』転移者たちは、この着陸現場の周辺一帯を農場とする事をドワネ政府に申し入れ、転移後のこの十年、彼らにとっての”はじまりの地”で、転移者たちは晴耕雨読の日々を送って来たそうだ。


 チュンファも2年前――15歳となるまでは、皆と一緒にこの地で暮らしていて、シンジ曰く、転移した皆にとって、彼女は娘や妹の様な存在となっていたという。



「――何せ、この転移のせいで、彼女は一瞬で両親を共に失った。


 まだ幼な過ぎる、7歳の身の上でね」


 アブドゥルは唇を噛み締め、転移した経緯の記憶を、辛そうに辿りながら語り始めた……



 ――機が、マレーシア沖の上空にまで達した時、突然に計器が乱れ始め、目の前に現れたのは、気象データには無かったはずのドス黒い巨大な雲。


 僕は不可思議に思いながらも、突入は逃れられないと判断して、乗客乗員にはショックに備える様にアナウンスをした。


 万が一に備え、ガッチリと操縦桿を握り、この巨大な雲をやり過ごそうと気を張っていたら、最初に気が付いたのは隣に座る副操縦士から、指示へのリアクションが無い事だった。


 たまらず横に顔を向けると、副操縦士の席に居た――いや『あった』のは、身体だけが溶けてしまった様に、中身だけがすっぽりと抜けた操縦士の制服だけ。


 僕は愕然とし、他のスタッフの方へも顔を向ける――後ろに控えていたはずのCAのチーフもまた、副操縦士と同様に制服だけがそのまま置かれた体だった。


 僕は幻覚でも見ているのかと、自分の頬を何度も叩くが、二人の様子はそのまま――そこに、更なる衝撃が機を襲い、周りに気を回す余裕も無くなった。


 数分に及んだ、この乱気流らしきモノとの格闘から抜け出すと、計器は一部を除いて正常に作動し始め、とりあえず墜落の危機は脱せたと僕は安堵した。


 僕は、早く近くの管制塔と連絡を取ろうとするが、それの応答はまったく無い……隣と後ろに目を向けても、副操縦士とチーフは消えたまま――というコトはと、僕は一つの推察をした。



 オカルティズムが過ぎるかもしれないが、僕とこの機は”バミューダトライアングル”的なモノに引き込まれたのではないか?



 僕は――恐る恐る、客席の様子を尋ねようと機内スピーカーをONにした。


 そこから聴こえた声は、驚愕と悲しみがシェイクされた様な、怒号と嘆きの声だった。


 同時に、客室に居た他の女性の乗員が、顔面を蒼白に変えてコックピットに駆け込んで来て――まずは僕の生存を安堵し、続いて副操縦士たちの姿を観て辛そうに顔をしかめた。



 彼女が私に告げたのは、客室に起こっている更に無惨な現状だった。



 コックピットと同様に、衣服だけが残っているだけではなく――片腕、片足、上下の半身だけが残った乗客までも居て、まさに地獄絵図の状況であると。



 そして、僕の推察が正しい事を決定付ける事態も起こった。



 こんな近隣には目立った山岳は無かったはずなのに、目の前に飛び込んで来たのは、見たことも無い風景を形作っている、この秀峰の姿だった。


 僕は観念して、管制からの支援抜きで、この秀峰に胴体着陸を敢行する決断を下し、どうにかそれに成功して僕らは、この異世界の土を踏んだんだよ――




「……着陸して、生き残っている事を確認出来た乗客は、112名中24名。


 乗員は、僕を含めて3名のみだった」


 アブドゥルは辛そうに、そう言って語りを締め括ると、気を紛らわそうとこの世界の酒――『アルネル』を一口、喉元に煽った。


「揺れる機内を怖がる、7つのアタシを宥めようと……母さんは右手で、父さんは左手で、真ん中の席に座ってた、アタシの両手をギュッと握ってた事は、今でも鮮明に覚えてる。


 その握ってた腕だけしか、二人はこの世界に来る事は出来なかったけれど」


 チュンファは悲しそうに、そして、幾分かの寂しさも滲ませた表情で、幼き日に起きた悲劇の顛末を揶揄した。


「――高純度の魔力や、精霊の加護に因る防護を身に施していなければ、生物が世界の境を超える事は不可能。


 ですから、この鋼の怪鳥の様な『物』は超えられても、生きた人間はその身を次元の闇に飲まれてしまうのが通例――その例外を起こしたのが、彼らの様な転移者の皆さんなのです」


 ミレーヌは補足する体で、この転移事件が如何にレアケースであるかを語り始める。


「『精霊たちの気まぐれ』などとも称される、こういう異界からの転移騒動は、物質の転移が報告される事は多々ありますが、生物――特に人の転移は、以前にも言いましたが数十年、数百年規模に一度あるか無いかというモノ。


 当時は私も子供でしたけれど、この『怪鳥事件』での30名に迫る人数の一斉転移は、世界にかなりの衝撃を与えていたと記憶しています」


「うんうん……エルフィの王族として、僕らへの表敬訪問に同行してた時のロリロリミレーヌたんは可愛かったよねぇ」


 ――と、ミレーヌが語る結構マジメな話を、シンジは台無しに話の腰を折る。


「……正拳突き、回し蹴りの次は――手刀が良いかなぁ?」


 冷めた目線をシンジに送り、何やら手もみをしているチュンファが、これからナニをしたのかや、顔色が蒼ざめているシンジの身にナニが起こったかは、さておき……


(――『精霊の気まぐれ』とは、現世いかいの言葉になぞらえれば、一種の”バグ”じゃ。


 どのように有能な神だとて、異変イレギュラーまでもを徹底管理する事は出来ぬのよ)


 コータの精神世界では、それをサラキオスが簡潔にフォローしていた。



「――なるほど、これでホントに諦めが着いたよ。


 実はちょっと思ってたんだ……この魔神の力をちゃんと使える様になれば、ひょっとしたら、俺もチュンファちゃんも、ココに居る様な望まずに転移してしまった人たちも、現世に連れて帰れる事が出来るんじゃないかって」


 コータは残念そうにそう呟くと、宴において新たに淹れて貰ったコルベを口に含む。



 ――コータは下戸である。


 もちろん、病気の再発を懸念した一種の飲食制限という側面でもあるが、彼は基本的に酒類を好まない。



「――ねぇ、アブドゥルさん……それに皆さん。


 良かったら、俺が貰ったっていう島に来ませんか?


 俺も、現世を知る人が側に居たら心強いし……俺たちは、この世界にとって”異質なモノ”――だから、現世人同士で、”袖すり合うも”……ってね」


 コータは照れ臭そうにそう言って、マグの中のコルベの水面を見詰める。


「……僕たちも、実は考えていたんだ。


 依り代となった、新たな転移者を領主として迎える土地が出来るのなら、そこに皆で移るのも悪くは無い選択に思ってね」


 アブドゥルも、コータと似た構想があった事を吐露し、彼はコータの顔を真っ直ぐに見詰める。


「皆を連れ帰る事までもを考えていたって言うキミなら、きっと信用に値する領主になれるさ」


 アブドゥルはそう言うと、励ます体でコータの肩を叩いた。

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