合意の下で異世界へ

「……うぅ~ん」


 太陽が昇り始めた早朝の日差しを、端正な顔の頬に受けたミレーヌは、苛立つ様な呻きを漏らしながら寝返りを打った。


「……、…………、………はっ!、朝ぁっ⁈」


 ――と、ミレーヌは驚いた体でベッドから飛び起き、慌てた様子でキョロキョロと辺りを見回す。



 ちなみに、この段階では例の翻訳結界は切れたままなのだが――そこは、著者からの都合として、勝手に翻訳をさせて頂いた。



「っ!、……あれ?、コータさんは?」


 辺りを見渡しながら、急いで魔法の所作もして翻訳結界を敷いたミレーヌは、公太が部屋の中に居ない事に気付く。


「――もしかして、私と行くのがイヤで逃げ……いやいや、ココはコータさんの自宅おうちなんだし、いくら何でもそれは……」


 ミレーヌは顔をしかめ、同時にこめかみに冷や汗を滲ませる。



 自分にとっての、最悪なケースを最初に想定する辺り、彼女の自称を流用させて貰えば、流石は世界の存亡を託されている者――その先の展開までを冷静に読める、優秀な人物であると言えよう。



 ……ガチャ



 ――と、金属製のドアが開く音が響き、ミレーヌはハッと振り向く。



「……おっ?、起きてたかい」


 開いたドアの向こうから、部屋に入って来たのは公太――彼は、そのドアの向こうに、一旦置かれた恰好のビニール袋を持ち上げて玄関へと上がる。


「ふわぁぁぁ~っ!、コータさぁ~んっ……」


 ミレーヌはホッとした様子で脱力し、その場にへたり込んだ。


「ん?、ああ……大丈夫だよ。


 神や仏に誓って、"ヘンな事"はしていないからさ」


 公太が手を横に振ってそう言うと、ミレーヌはまたハッとなって、自分の衣服に触れて何事かの確認してみせた。


「――って、その様な事ではなくてぇ……コータさんが、突然居なくなるから、私てっきり……」


 ミレーヌは目を伏せ、もの悲し気な声でそう言うと、両手を小刻みに震わせた。


「『元』社会人の端くれとして、何らかでアテにされてるってのは心地良く感じるモンだ――久々過ぎて、忘れかけてたけど」


 公太はそんな言葉を呟くと、苦笑いを覗かせながら……


「――ミレーヌちゃん」


 ――と言って、彼女の肩にそっと手を置いた。



「俺……行く事にしたよ。


 その、クートフィリアって世界ところに」


「!!!!!」



 苦笑いを微かな笑みへと替え、優しい口調で告げた公太の決意表明を受け、ミレーヌは自分の口を覆って驚愕する。


「……本当に、よろしいんですか?」


 ミレーヌは顔をしかめ、公太に確認の問いを返した。


「おいおい……昨日は信じきった様子で居たのに、嬉しがってくれないのかい?」


 公太も、ミレーヌの態度の変貌ぶりに、苦笑いを混ぜて困惑する。


「――だって、自分が逆の立場に立ったならと思うと……絶対に、承諾は出来ないなと思って。


 それに、異界人の私に、2食と一晩の寝床を快く与えてくれた、コータさんの様なお優しい方に……自分が、いっ、如何に無茶苦茶で、酷い事をお願いをしているんだとも思ってぇ……」


 ミレーヌは、反応の理由を告げ始めると徐に目を伏せ、目の下の堤が結界した様に涙を溢す。


「……別に、慈善的でご立派な理由じゃないから安心しなよ。


 ミレーヌちゃんが挙げた成功報酬はオイシイし、何より、この不便な身体とオサラバ出来るってのもありがたい――打算バリバリな、チンケな野郎だよ、俺はさ」


 公太は後頭部を掻きながら、恥ずかし気にミレーヌから目を逸らしてそう言う。



「――さて、切羽詰まってる状況だってハナシだ……今日、早速発つんだろ?」


 ――と、公太はミレーヌにこれからの行程を尋ねた。


「えっ⁈、だっ、大丈夫なんですか?、もう……戻って来れないのですから、別れを告げたい方や、済ませておきたい用事とか……」


「だからぁ、俺は天下御免の独身者ひとりもの――別れを告げたいヤツなんて居ねぇってのっ!、嫌味で言ってんのかよ。


 済ませておきたい事は……まあ、有るには有ったから、その用を済ませるために出かけて来たのさ」


 ミレーヌの驚いた様子の返答と懸念に、公太は苛立ちも込めてそう伝える。


「――というワケで、コレ、朝飯っ!


 コッチじゃ、コレが最後の何とやらになるかもって事で、奮発して来たっ!」


 ――と、公太は提げて来たビニール袋を拡げ、2膳のコンビニ弁当。


 その値札に書かれているのは、彼の収入では1食分としてはちょっと躊躇してしまう額が書かれた、お高めなヤツである。


「まあ、コレを奮発と言ったら恥ずかしいし、ちいと朝飯にはヘビーだとは思うが……喰おうっ!、ミレーヌちゃん!」


 公太は、これまでには見せなかった様な快活な笑顔を見せ、ミレーヌに弁当と割り箸を手渡す。


「……」


 手渡されたミレーヌは、公太のそんな笑顔を見詰めると、ギュッと自分の胸元を掴み……


「――ありがとう、ございます……」


 ――と、ポロっと一筋の涙を弁当の蓋に溢し、割り箸の袋を握り締めながら頭を下げた。



 その後、弁当を食べ終えた二人は、公太の要望で部屋を片付け始め、荷造りとは言い難い量の少ない荷物をバックパックへと収め、公太はそれを背負ってベランダへと出た。


「――じゃっ、また飛ぶのね?」


「はい、クートフィリアとの繋がりが濃い場所に、ゲートを繋げたままですので」



 ――ビュゥゥゥゥッ!



 二人はまた手を握り合い、昨日と同様に発動したミレーヌの飛行魔法を用いて、空の上の人となった…




「……」



 2度目という事で、公太は幾分かはこの魔法に慣れたのか、少し余裕を持って、遠ざかって行く、これまで暮らして来た街の姿を見渡す。




 ――公太が済ませた用事とは、高めの弁当を買いに行った事だけではなかった。


 第一の用とは……ノートPCを用いて制作した、遺書に等しいこの世界との決別を綴った文面を印字し、それを手紙としてある人物へと送る事だった。



 その人物とは、一時は世話になった、養護施設の職員――有増あります三重子みえこに充てたモノだ。



 元妻や元カノなど、色気も帯びた相手への惜別なら、華にもなって物語として引立つのだろうが――この辺りが彼の地味さと、彼が後ろに背負う現実なのである。



 彼女には、家族が居ない事で色々と不都合な面――まだ、身体が動かせない頃から襲って来る、様々な行政上の手続きなどを代行して貰ったり、この公営団地に入居する上での保証人などにもなってくれている人物である。



 公太は街を見下ろしながら、夕べ綴った文面を思い出す――




 拝啓、有増様。


 突然のお手紙、驚いた事かとは思いますが、またお願いがあっての一文でございます。



 いきなりですが、私はこの世界から去ります。



 自分としては、自殺を仄めかしているつもりではありませんが、そう受けとって貰うのが一番解りやすいかとは思いますので、そう思って頂いて結構です。



 つきましては、賃貸契約の解除や障害年金の給付差し止めなどの手続きをお願いしたいのです。


 必要な書類や印鑑などは、用立てて頂いた公営団地のテーブルに揃えて置きます。


 後は、部屋の合鍵を同封致しますので、諸々の事、よろしくお願い致します。



 去る理由を並べても良いのですが、理解に困るかと思いますし、詮無き事かとも思いますので、それについては止めておきます。



『探さないで下さい』とベタな言葉を綴っても、探してしまう、探さなければいけないのが世の常だとは思いますが、見つかる事は絶対に無いかと思います。


 有増さんには世話になったので、何なら年金の給付は止めずに不正受給してみては?、あのニュースでよく見かけるヤツ(笑)


 俺は一向に構いませんよ、まあ、有増さんが警察に捕まっても良ければですが(笑)




(最後のは――黒過ぎるブラックジョークだったかね?)


 公太は、すっかり見えなくなった暮らしていた街の方角を見やり、ニヤリと笑って見せた。





「……これまた、ベタなトコにゲートを開いてんだね」



 ――と、公太は、ミレーヌが降り立った場所についてそう皮肉を言った。



 そう皮肉った場所とは…かの有名な富士山の麓、青木ヶ原樹海である。


「――まっ、去る前に生の富士山を拝めたのは、行幸かもだが」


「……繋いでみて、出て来てみたらココだったんですよぉ……あっ!、あったぁ~っ!♪」



 掻き分けて歩を進めると、そこにはミレーヌの魔法とよく似た波動が展開されており、その辺りの空間は何やらチラチラと発光を帯びている。


「――ふぅ、実はちょっと心配していたんです。


 10日もかかったから、もしかしたら魔力不足で閉じてしまったのではと……」


 ゲートの状態を確認したミレーヌは、安心した様子でそう言うと、公太と真っ直ぐに向かい合い……


「――本当に、よろしいんですね?」


 ――と、公太に再度の意思確認を告げた。


「ああ、異世界を救う英雄になりに行ってやるさ、そのクートフィリアってトコにっ!」


「……では、これを着てください」


 力強く応じた公太に、ミレーヌは例の精霊繭のローブを渡し、それを羽織る様に促す。


「――さあ、行きましょう!」


 ――と、ミレーヌは公太の手を握り、連れ立ってゲートの中へと彼を誘った。




 ちなみに――その後、公太の失踪は障害者の自殺と思しき失踪事件として、ローカルニュースなどでも取り上げられる、結構な規模の事件となったそうだが……家族も居ないためか、解決や発見に固執する者も居らず、アッサリと彼の事が人々の記憶から消えたのは言うまでもない――

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