短編小説
湯田かに
兄の自殺
兄が死んだ。自殺だったそうだ。
数年前、父が癌で亡くなった後、後を追うように母も亡くなり、それからは私と兄の二人家族だった。兄とは仲が良く、よく一緒に飲みにいったものだ。
私は結婚すると同時に家を出たけれど、兄は実家に住み続けていたから、実家にもよくお酒を買って顔を出していた。
兄は昔から面倒見が良く、明るく、人から好かれる人だった。
学生時代、家に引きこもりがちだった私とは対照的でよく両親から比べられたのを思い出す。兄はそんな私をよく外に連れ出してくれていた。兄の友人たちも良くしてくれたな。
高校大学と進学し、兄は不動産関係の仕事に就職した。
そのときは、大学時代から付き合っていた彼女との結婚話もあったようで、順風満帆な人生を送っていたように見えたのだが、
入社して2年が経つ頃、突然会社を辞め彼女とも別れたようだった。
「人間関係リセットしたくなったんだよな」
なんて笑っていっていたが、次に就職した会社もまたすぐに辞めてしまったらしい。
心配した友人や後輩たちが実家に押しかけていたが、それも年数が経つごとに減っていき、次第に誰も実家にくることはなくなった。
兄はその後、何度かアルバイトをしたがそれも長くは続かず、結局は両親の遺した遺産で生活していた。私も細々ながら兄に仕送りをし、近所のマンションに住んでいたからたまに食事を届けたりしていた。
兄のことは誰よりも気にかけていたのに。
まさかあんなことになるなんて思わなかったのだ。
兄が自殺した日。私たちは旅行で大阪へ行っていた。兄には旅行前、一言声をかけた。
「明日から3日、旅行にいってくるから」
中学のとき、あいつを無理やりに犯したことがある。あいつはまだ小学生だった。
男同士だから普通なんだ、おかしくないなんて丸め込んで自分のを触らせて、その後はわけも分からず無理やり犯した。
あとになって後悔した。ひどく悔やんで、あいつに何度も謝った。そうしたら、あいつは「もういいんだ」と笑うばかりだった。
けど、あいつは何も許したわけじゃなかったんだ。
職場にはよく無言電話がかかってきた。
差出人不明の手紙が何通も届いた。俺の写真が、たくさん入っていた。顔の部分が何度も何かで引き裂かれたようなものだった。
警察に届けるか、と聞かれたがそれは断った。全部実家で撮られたものだとわかったからだ。
弟が俺に復讐しているのだとすぐに分かった。
その頃付き合っていた彼女にも、何度も俺の写真が送られてきていたらしい。職場にも、自宅にも、実家にまで送られていたそうだ。
警察に相談したい。相談しないなら別れてほしい、と頼まれ、すぐに別れを告げた。
俺のせいで弟を犯罪者にしたくない。何より、自分の行いを彼女や友人に知られたくない。
それから何度か働いたが、やはり結果は同じだった。
弟は何も言わなかった。それどころか、毎月仕送りをし、何度も食事を届けに家に来た。
怖くてたまらなかった。何か言ってほしかった。俺が何をすれば許してくれるのか、どうしたらいいのか教えてほしかった。
あの日も夜、食事を届けに来た。
「明日から3日、旅行にいってくるから」
それが合図だと思った。
義兄が死んだ。ようやく死んでくれた。
私たちが楽しく旅行に行っているときに死んでくれるなんて、とても運が良かった。
夫とは大学時代から交際を始めたが、今まで一度も性行為はない。
付き合って2年がたった頃、酔った勢いでラブホテルに行ったことがある。そこで夫は、ベッドの上で泣きながら、怖くて仕方ないのだと話してくれた。
義兄からされたということを、夫の気持ちも踏まえて話してくれた。それ以来性的なことが怖くて仕方ないのだと。
けれど、そんな兄でもとても良い人なのだ。嫌いたくないのだと言っていた。
私は許せなかった。
義兄の会社に無言電話をかけたのも、手紙を送りつけたのも私だ。初めは少しでも怖がればいいと思っていた。
だが、すぐに義兄は会社を辞めた。
それならと、次は義兄の彼女に手紙を送った。大学時代、同じサークルの先輩で仲が良かったこともあり、住所はよく知っていた。
義兄はすぐに別れていた。
それからも義兄への嫌がらせは続けた。歳を重ねるごとに義兄が憎くなった。
私たち夫婦に子供ができないのも義兄のせいだからだ。
夫はどこまでも優しくて、義兄に毎月仕送りと食事を届けていたけれど。
それも憎くてたまらなかった。
でもこれで終わりだ。
前向きに生きていこうと決意した夫を支えていくのだと誓う。
妻がしていたことについては、“私は一切知らない”。
短編小説 湯田かに @tmg1223
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