開催

 それからの日々は、もやしを栽培するというより、祈りを捧げる日々であったという方が正しい。

 まずは、軍馬用の飼料として輸入された大豆の中から、状態が良いものを選び抜く。

 本来の用途が用途であるため、管理は杜撰であり、もやしの栽培に使えそうなものを選ぶのは、骨が折れる作業であった。


 そこからは、かつてと同じ栽培の工程を踏む。

 幸いにも、スプラが実験農場としていた小屋は無事であったため、そこを拠点とする。

 かつてとは違い、ムロにストーブまで設置して万全の備えだ。


 また、人員に関しても、十分以上な体制を取ることとなった。

 ゲミューセ王子が軍部に声をかけ、精鋭の兵士を回してもらったのである。

 ストーブはレイバの指示に従い、彼らが交代で番をするので、火災事故の可能性は未然に防げた。

 また、番をする兵士そのものが防衛力として機能するため、先日のような火付け騒ぎに遭う心配もない。

 さらに、この実験小屋でもやしを栽培をしていることは極秘とし、表向きには、聖供祭への出品が絶望的であると発表している。


 備えは――完璧。


 今度こそ、絶対に不慮の事態には遭わぬという強い意思が反映された陣容であった。

 ただし、それが実を結ぶかを決めるのは、豆次第である。

 首尾よく発芽し、聖供祭当日までにもやしとして成長してくれるか……。

 全ては、そこにかかっているのだ。


 だから、スプラたちは日々のやるべきことをこなしながら、それぞれに祈った。

 ゲミューセ王子は、公務をこなしながら……。

 スプラは、婚約者として、それに追従しながら……。

 レイバは、実験栽培する小屋に直接泊まり込んで、もやしの面倒を見ながら……。


 それぞれに、祈り続けたのである。

 そして、ついに聖供祭の当日となった。




--




 帝都中央公園といえば、二十年ほど前に再生整備を終えた帝都市民憩いの場だ。

 公園の中央には、その気になれば水泳も可能な規模の大噴水が存在しており……。

 その周囲を囲う円形花壇は、四季折々の花でもって、工業化の流れへ置き忘れたものを思い出させてくれる。


 青々とした芝生が敷かれた園内には、溜め池や東屋などの他に、石造りの舞台も存在し、時には祭事へ合わせ、音楽隊の演奏や劇団の上演が催されていた。


 そして、聖供祭を迎えた今日、この舞台に用意されたのは、豪奢な造りの長机や椅子である。

 そこに腰かけるのは、なるほど、これだけ見事な調度を、わざわざ屋外に持ち出したのも頷ける面子だ。


 農林水産省の大臣がいる……。

 現役の陸軍大将と海軍大将が、それぞれ一名ずつ出席している……。

 芸術家として名高い人物や、商社の取締役なども姿を見せていた。


 そして何より……。

 この女性がいる。


「皆の者!

 今年もこの聖供祭が迎えられたこと、嬉しく思う!」


 舞台の前へ押しかけてきた帝都市民に向け、女性が朗々たる声を張り上げた。

 年の頃は五十を迎えたかどうかというところだが、年齢を感じさせない張りのある声だ。

 白髪交じりの髪は、あえて染めたりなどの悪あがきをすることなく、丁寧に後ろでまとめるに留まっている。

 ふんだんに布地を使ったドレスは、ペリーズと呼ばれるコートから派生したもので、その先進的な仕立ては、世界を牽引する国家の主として相応しい。


 何より――その美しさ。


 絶世の美女というわけではない。

 しかし、ただあるがままに老いを受け入れ、その上でなお輝く様は、女性というよりは、人としての理想的なあり方であると、万人が思えるのであった。


「知っての通り、今年、我が国は不作に見舞われた!

 学者たちの推測によれば、遥か南方で起こった火山噴火が、影響を及ぼしたのではないかということだ。

 かつての我々ならば、ただ、悲しみに暮れ、飢えへ苦しむこととなっただろう……。

 ――しかし!」


 そこで、彼女がきっと顔を引き締める。

 そして、堂々と告げたのだ。


「我らは、我が国は強くなった!

 麦が不足したならば、よそから仕入れればいい!

 それをするに足るだけの輸送網が整い、また、十分な財力を手にしたのだ!

 これは、父上の治世では成せなかったことである!」


 彼女の言葉を、主に老齢の市民たちが噛み締めた。

 この世代は、知っているのだ。

 天候というものに左右され、翻弄されるばかりだった弱き日の自分たちを……。


「ゆえに、私はあえて、今年もこの聖供祭を開催する!

 豊かとなり、飢えに苦しむことがなくなった自分たちを祝福するために!

 より美味なる食材を後世に残し、我らの子や孫が、今の我らには思いもよらぬ美食を楽しめるように!」


 そこで、彼女がたっぷりの間を置いて、聴衆を見渡す。

 市民たちは、一言一句が己の身へと染み入るように聞き入っており……。

 それを受けて、いよいよ開催の宣言となった。


「大勇帝国女王エリザベートの名において、今年度の聖供祭を開催する!」


 ――ワッ!


 ……という歓声と、万雷の拍手が降り注ぐ。

 祭り開催と、何より、彼女の見事な挨拶を讃えているのだ。

 彼女の名は、エリザベート。

 大勇帝国の偉大なる女王であり、ゲミューセ王子の母である。


「まったく。

 毎度毎度、大仰な演説がお好きな方だ」


 舞台の隅……。

 厳正なる審査の結果、女王陛下を含む貴人たちへ料理を振る舞う資格が得られた者たちに交わり、ゲミューセ王子は肩をすくめてみせた。


「そのようなことを、仰るものでは……」


 実の子である彼だからいいが、他の者が口にすれば不敬罪である。

 たしなめるスプラに対し、王子が飄々と続けた。


「そうは言うがな。

 このような行事がある度に、長々と話をしようとしては、秘書からの添削を受けているのだ。

 もっと、簡潔に済ませられた方がよろしい」


 余人は知らぬし、知ってはならない王室の内容が、赤裸々に暴露される。


「あ、あまり王室内のことを外で口にするものでは……」


「いやいや、これからの世はそうも言っていられん。

 開かれた王室にしなければな」


 あくまで、軽口を叩くゲミューセ王子だ。

 彼が、そのような態度でいられるのは、他でもない……。


「ゲミューセ王子とご婚約者だ……」


「新聞によれば、参加を諦めたという話だったが……」


「ああ。

 なんでも、もやしを栽培する工場が全焼したとかで……」


「だが、それがここにいるということは……」


「どうにか、調達できたということか……?」


 他の参加者たちがささやき合うように、もやしの栽培が間に合ったからであった。

 その功労者であるレイバの姿も、観客の中に紛れているのを見つけられる。


「ふっふ……。

 どうやら、皆、俺たちの参加が意外であるようだ。

 ふむ……」


 周囲の様子を見て笑った王子が、ふと一点を見つめた。

 その先にいる人物を、忘れようはずもない。

 金色の髪を持つ貴公子じみた青年……。

 かつては、己の婚約者だった人物……。

 ハベスト・プーアーが、歯ぎしりしながらこちらの方を見て……いや、睨みつけていたのである。


「何か、思いもよらぬところで恨みを受けたかな?

 まあ、いい。

 我らは、正々堂々とこの祭りに臨もうではないか。

 そう、正々堂々と、な」


 何か、含みを持たせた言い方で、ゲミューセ王子が自分に告げた。

 その真意について、スプラが推理する間もなく……。


「では、参加者の皆さんたちは、調理の準備に入って下さい」


 係官の言葉によって、自分たちは特設の調理場へと移動させられたのである。


「さあ、腕が鳴るよ!」


「張り切りすぎて、ヘマしねえようにな」


 ランファと、彼女の父だという人物が、そう言って勢い込んでいた。

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