辻売り

 さすがは、第一王子の力という他にないだろう。

 レイバと、彼が背負いかごに入れたもやしを伴って帝都に帰還すると、すでに、辻売りの準備は整っていた。


「ご要望の品、全て整えてございます」


「うむ、よくやってくれた」


 場所を整えてくれていた壮年の召使いへ、ゲミューセ王子が鷹揚にうなずく。

 目抜き通りの片隅という一等地に用意されていたのは、折り畳み式の簡易な机に加え、薪式のコンロや鍋……。

 加えて、秤や使い捨ての紙袋といった品々である。

 ビーンズ伯爵領から電報を送られての短時間で用意したにしては、十分すぎるほどの備えであった。


 通常、電報というものは、目的の相手へ届くまでに幾分かの時間がかかるものであるが、そこは王子特権ということだろう。

 何よりも優先して王城に届けられ、この召使いが準備を済ませたに違いない。


「それから、こちらは釣り銭になります」


「おお、俺が忘れていた釣り銭まで用意してくれるとは。

 やはり、こういったものはリーベンへ任せるに限るな」


「まあ、殿下がご無理を仰るのは、毎度のことですから」


 少々の疲れを感じさせる表情と声で、リーベン氏が答えた。

 なぜだろうか……。

 なんとなく、それが未来の自分に起きる出来事と思えて、他人事ではないスプラである。


「へへ……。

 おれってば、一度商売っていうのをやってみたかったんですよ」


 意外なほどにノリの良さを見せながら、レイバがもやし入りの背負いかごを机に乗せた。


「上手く、できるかな……」


 一方で、スプラの方はどうかといえば、これは及び腰だ。

 そもそも、社交会というものへほとんど参加しなかったことからも分かる通り、スプラ・ビーンズは内気な少女である。


 帝都の目抜き通りという、この世で最も多くの人間が通行する場所で、予告も何もない辻売りを行う……。

 それは、スプラにとって未知の体験どころか、半ば悪夢めいて感じられる事柄なのであった。


「まあ、なんでもやってみるしかないですよ。

 それに、上手くいけば、帝都の皆にもやしのことを知ってもらえるわけですから」


 あくまでも前向きな思考で、レイバが答える。


 ――ううん。


 ――そうじゃないと、いけないよね。


 昨日の誕生パーティーで発揮した勇気……。

 それを、今一度、奮い起こす。

 自分の誕生祝いという、圧倒的に有利な場でさえ、ゲミューセ以外に受け入れてもらえなかったという事実には、やや臆するところもあった。

 だが、それでもやらねばならないのだ。


 自分の推測によれば、近い内に必ず凶作が起こる。

 レイバの祖母や妹のように、善良な人々がそれで苦しむことなど、あってはならないのであった。


「うん。

 わたし、やってみ――」


 言葉が途切れたのは、その男を見たからだ。

 上着は、おもむろに脱ぎ捨て……。

 代わりにシャツの上へ羽織っているのは、これはどこから調達したのか、東方でハッピと呼ばれている羽織物である。

 頭には――ねじり鉢巻!

 大真面目な様子でそれら衣装を身に着けたゲミューセは、しかも、その手にハリセンを握っていた。

 そのハリセンで、バアンッ! と、机を打つ。


「さあ、さあ、寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい!

 これよりお見せしたるは、東方より渡来せし神秘の野菜!

 これを見逃すのは、人生の損失だよ!」


 あまりにも堂々とした売り口上……。

 その格好と行動に、言葉を失う。

 それは、どうやらレイバも同じだったらしく、二人で立ち尽くしてしまったが……。


「二人共、何をしている!

 売って、売って、売りまくるぞ!」


 そんな自分たちへ、ゲミューセの大真面目な叱責が飛ぶ。


 ――この人。


 ――何をするにも、全力全開だあ。


 スプラは、そのことを思い知ったのであった。




--




「さあ、さあ、そこの奥さん。

 夕飯に何を用意するか、困っておいでではないですかね?

 ここはひとつ、寄っていって下さいな。

 本日、採れたての新鮮なお野菜!

 ご奉仕価格で提供させて頂きます!」


 まるで、流れる水のような……。

 実に流麗な言葉遣いで、ゲミューセ王子が道行く女性に声をかける。


 ――あなた、大勇帝国の第一王子ですよね?


 それは、そうつっこみたくなるくらいに様となっている姿であった。


「あら、男前。

 それじゃあ、ちょっと見て行こうかしら」


 売り口上の勢いが良かったか、はたまた、単なる顔面の力か……。

 中年女性が、足を止める。


「さあ、さあ、どうぞどうぞ。

 こちらのお野菜、今ならお安くしときます」


 これを逃してはならぬと、レイバがかご一杯のもやしを見せた。

 そこで、若干のノリ気すら感じられた女性が、顔を引きつらせる。


「え……。

 これは……」


「豆から生み出した神秘の野菜――もやし!

 今なら、茹で立てもご賞味頂けますよ!

 ――なあ!?」


「――ひゃ、ひゃい!」


 突然に話を振られ、固まってしまう。

 そういえば、あのリーベン氏――今は建物の陰からこちらを見ている――が用意していったのだろう。

 自分の眼前では、こんろにかけられた鍋がお湯を煮立たせていた。

 鍋の隣には、使い捨ての楊枝や木皿……。

 これで、もやしを茹でて食べさせろということか。


「い、今すぐご用意を……。

 あわわっ……!」


 慌てて取ろうとしたからだろう。

 もやしを取り落とし、地面に落としてしまう。

 それで、女性のみならず……。

 なんだなんだと注目していた通行人たちも、しん……と、言葉を失ったのである。


「……気持ち悪い」


 誰かが吐き出した言葉。

 それが、ぐさりと胸を貫く。

 そこからは、畳みかけだ。


「なんなんだ、あれは?」


「野菜とか言っていたが?」


「あり得ない。

 そもそも、植物なのか? 薄気味悪い」


「まるで、悪魔か何かが生み出したようだ」


 おそらく、悪意はない。

 彼らは、ただ、率直な感想を述べているのだ。

 だからこそ、余計に胸を抉られた。


「わ、私、失礼するわね!」


 最初に呼び止められた女性も、そそくさと退散してしまう。

 それでくじけなかったのは、ゲミューセ王子という人物の強いところだろう。


「さあ、さあ、こちらのお野菜!

 見た目は、かくも不気味かもしれません!

 ですが、味は抜群! 値段もお安い!

 騙されたつもりで、とは言いません!

 ここはひとつ、騙されて、味だけでも見ていって下さいな!」


 熱意ある呼びかけに、時たま人は止まる。

 しかし、もやしの実物を見ると、気味悪がって立ち去ってしまう。

 その繰り返しで、いつの間にか、スプラは下を向き続けてしまったが……。


「お嬢さん。

 ひとつまみ、味を見させてもらえるか?」


 声をかけられたのは、そんな時だ。

 反射的に顔を上げると、そこに立っていたのは、痩せ細った老紳士であった。

 ただし、背筋はぴしりと伸びており、立ち振る舞いにも隙はない。

 何か、武術でも嗜んでいるか、あるいは市警察なり軍なりの元関係者……。

 いや、きっと両方だと思える。


「あ、えっと……」


「どうかな?」


 老人の眼差しは――優しい。

 凍てつきつつあったスプラの心を、優しく温めてくれるかのようだ。


「……はい!

 すぐにご用意します!」


 もやしを茹でるのに、さほどの時間は必要ない。

 さっと茹でで、木皿に載せた。

 それと楊枝を受け取って、老紳士が味見を行う。


「ふむ……」


 果たして、どんな感想がくるか。

 だが、返ってきたのは、そういった言葉ではなかったのである。


「これは、国内で……。

 いや、自明でしたな。

 ぜひ、ひと袋頂きたい」


「――はいよ!」


 レイバが答え、手のひら大の紙袋へ、一杯なるまでもやしを詰め込む。

 そして、ふと何かへ気づいたようだ。


「あ……。

 値段の方、どうしましょうか?」


「うむ。

 考えてなかったな。

 スプラよ、どうするか?」


「値段は……」


 即座に頭を働かせ、計算する。

 レイバたちへの給金など、諸経費を考えれば、この量で……。


「ひゃ、100ルードです」


「ほう、安いな」


 老紳士が、わずかに目を見開く。


「これから、もっと安く。

 それでいて、大量に用意できるよう、努力していきます」


 勇気を振り絞って、そう言う。

 そんな自分のことを、ゲミューセ王子は何も言わず見守っていた。


「ははは。

 楽しみにしておりますよ」


 老紳士は、もやし入りの紙袋を手に立ち去っていき……。

 結局、それだけが、今回行った辻売りの成果となったのである。

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