月夜にぽつん

大薮永未子

第1話「どこかの国のとある人」

部屋の窓から月を眺めていて

ふとある人を思い出す


当時の私は新卒で入った会社を6年で退職した

よく続いた方だと思う

同期入社は4人だったけど私が一番最後まで残った

一人は結婚、一人は海外留学、一人は転職したのだった

私はと言うと・・・ただ何となく


特別仕事が嫌なわけでもないが、生き甲斐ってわけでもない

ブラックな会社でもない、むしろ人間関係は良好な方だった

しかし私は無性に会社を辞めてどこかに行きたくなったのだ


28歳にもなって親に相談と言うのも情けないが

一緒に暮らしているから仕方なく伝えた


「私、会社辞めようと思ってるんだけど」

一人娘が結婚するとでも思ったのか、妙な間があった。

最初に口火を切ったのは父ではなく母だった


「もしかして結婚とか・・・?」

「ううん、違うよ」

「なんだ、他にやりたい事でもあるのか?」

「ちょっと旅行でも行こうと思って」

「だったら有給取って行けばいいじゃないの」

「まあ、そうなんだけど」


面倒臭くなって

「ちょっと考えておく」

と、言って逃げるように二階の自分の部屋へ行く


でも私の心は決まっていた

やっぱり辞めよう。一度生活をリセットするんだ

退職願を書き、翌週に提出した


少し緊張したけどアッサリしたものだった

理由を散々聞かれたが

「しばらくのんびりしたくて」と答えた

嘘をつく必要もないので本当の事を伝えた


それから1か月半後に私は無事退職した


次の日からはずっと休日

私の心はウキウキしだした

帰りに本屋に寄って海外旅行雑誌を数冊購入


私は一人でどこかに行こうと考えていたのだ

どこに行こう

なるべく遠くが良いな


結局私はカイロに行くことにした

前にエジプト神話を元にした神々のバトルアクション漫画を読んで

少し憧れを持っていたからだった


もし再び就職して結婚でもしようものなら

そうそう長旅など出来ないだろう

これはビッグチャンスだ


心配する両親を説き伏せカイロに出発

ガイドブックに載っていた日本人にも安心というゲストハウスへ行く


驚いたのは男女相部屋なのだ

女性だけの部屋だと少し割高

あまりお金は使いたくないが元々安いので女性専用部屋を選ぶ


次の日、観光に出かけようと受付のあたりで地図を眺めていたら

一人の日本人男性が声をかけてきた

「案内しましょうか?有料だけど」


明らかに怪しいじゃないの


私が戸惑いを見せていたら

「あ、怪しいと思ってるでしょ?」

素直にうなずく


彼は本棚に置かれている旅行雑誌を広げて

とあるページを指さして私に見せた


目の前の彼が雑誌に載っている

「カイロを周るならこの人!日本人の名物ガイド」と書かれていた

私は雑誌と彼の顔を見比べる


まぎれもない目の前の人だ!

雑誌に載るくらいだから安心なんじゃないか

そもそも私ひとりじゃどこに行けばいいのかもわからないし

何よりもアラビア語なんて話せないし!!


「おいくらなんですか?」

彼は満面の笑みで答える

「半日で2500円、1日なら4000円。明朗会計でしょう」

想像よりもうんと安かった


私は会ったばかりの怪しい日本人にガイドを頼むことにした

何より日本語が通じるので安心感が半端ない


自動的にお昼ご飯も一緒に食べることに

まじまじと顔を見ると一体この人何歳なんだろう?

日に焼けているから若く見えるけど30代半ばくらいかしら


男性とは言え初対面の人に年齢を聞くのはためらわれ

「ガイドの仕事で暮らしているんですか?」

「うんまあね」

「もしかしてあの宿に雇われているとか?」

「いいや、俺はただの宿泊客とうか、あそこに住んでる」

「ホテル暮らし?」

「そう、もう12年くらい」

「ええ!」


聞けば大学の時に一人旅でエジプトにやってきて

気に入ってしまい、もうしばらくいようと思って

1年1年と伸ばしているうちに気づいたら12年経っていたのだそうだ


そんなに長期滞在できるわけがない

なんと彼は何度も出国して再び入国してを繰り返していたのだが

それもとうとう面倒になり・・・

要は不法滞在者として生活しているのだった


名前を聞いたら「ハル」と答えた

「春野だからハル」


「日本には戻らないんですか?」

「うーん、こっちが気に入ったからね」

「不安になったりしないんですか?」

「何が?」

色々言いたい事はあったが無難に

「仕事とか、お金とか」

「うーんまあ何とかね、一応英語も出来るからガイドで十分食っていけるんだ」


「そんな暮らしもあるんですね」

「まあね」

「家族とかに連絡してるんですか?」

「いいや、もういいかなと思って」

「エジプトにいる事は知っているんでしょう?」

「ううん、何も言わずに荷物1個で出てきたから。捜索願くらいは出てるかもね」

「・・・」


目が合って思わず私の方が目をそらしてしまった

あんまり踏み込んではいけない気がしてそれ以上は聞かなかった


宿に戻って、と言っても同じ宿だけど

私は二階に泊まっているが、彼は六階に宿泊している

この宿はエレベーターが設置されていない

上の階になるほど宿代が安いのだ


彼に4,000円払う

贅沢しなければ宿代を払って3日間くらいは何とか暮らせる金額だ

「明日、明後日はすでに予約が入ってるけど3日後ならまた案内できるよ」

「残念、明後日にはもうここを立つの」

私はルクソールへ行こうと決めていた


「そっか、気をつけてな」

「うん、ありがとう」


彼とはそれっきり会っていない

手紙を受付に渡しておこうかと思ったけど辞めておいた


あれから日本に戻った私は半年後に就職をした

彼とは6時間ほど一緒に過ごしただけ

過ごしたと言うと変だな、観光案内をしてもらっただけ


自分にはあんな生き方は出来ないけれど

彼は今どうしているだろうか


まだあの古びた安宿の六階に宿泊して

観光客を見かけたら声をかけてガイドをしているのかもしれない


満員電車に乗って会社に行ってパソコンの前に座って

同じ毎日をずっと過ごしている

たまに無性に何もかも捨ててどこか遠くに行きたくなる


でも私は今日も朝起きて会社に出かける

ハルさんはどうしてるかなあ・・・

彼を思い出すたびに

自分にも違った生き方があるのかもしれないと考えずにいられない


今日も月がきれいです
















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