『天空のリヴァイアサン』‐光の月と闇の月‐

朧塚

第一章 森の村『グリーン・ノーム』


 エートルはもうすぐ十九歳になる。

 少年時代がもうすぐ終わる。

 もう一年程、時を重ねれば晴れて、魔法学院の入学試験を受ける事が出来る。魔術師達は二十になるまでは、街に住まう魔法の師匠や、街の学校で魔法を覚えなければならなかった。


 この森と巨大な岩に囲まれた街『グリーン・ノーム』の外に出てみたい。

 世界は一体、どうなっているのだろう?

 そう思いながら、彼はパン売りのアルバイトが終わった後、いつものように森の奥を目指した。


 かつて魔族達の手から、人間を守る為に、強大な強さを持つ勇者が現れたのだと聞く。

 だが、かつての悪魔の王を倒した後に、勇者も共に倒れた。

 ただ、勇者は死ぬ間際に、この世界の神から力を借りて、二つの領域を分断する光の壁を作ったのだと聞く。この世界には、人間界と魔界の二つの領域がある。


 魔族達は、光の壁を越えて、この人間の住まう世界へとやってくる。エートルも勇者に憧れる英雄の一人となりたかった。街のみなも、大切な幼馴染も、自分の手で守りたい。


 エートルは幼馴染である少女、イリシュに恋をしていた。イリシュは十六歳の時に修道院に入って、所謂、シスターの仕事をしている。すっかり美少女に育ってしまった。


 神に奉仕する身である為に、生涯の婚姻を誓う事以外の恋愛は許されない。エートルはイリシュに認められるような人間になりたいと思った。幼馴染の為に戦う。


 今日も、修練の為に、森の魔物と戦いにエートルは森の奥へと向かった。



 その惨状は、想像以上に悲惨だった。

 未だくすぶり続ける炎が建物を焼き、真っ黒な炭となったかつて人だったものが転がっている。瓦礫が並び、瓦礫に押し潰されている人間もいる。


「これが、魔族のやる事…………」

 ロゼッタは、手を口元に当てて嘔吐を抑えていた。

 人々の悲鳴と、硝煙の臭いと、肉の焼ける臭いが充満している。

 一体、どれだけの人間が……友人知人が亡くなったのだろう。


「許さない…………」

 少女は怒りに震える。

 ロゼッタは、遥か遠い空を睨み付ける。

 まだ、空には怪物達が舞っているように思えた。


『魔王ベドラム』。

 ロゼッタが討つべき敵だった。

 彼女が住んでいた都市の一部が、ベドラムの空中要塞と闇の女王と共に動くドラゴンの炎によって飲まれた。騎士団の宿舎が襲撃されたのだ。

 

 ロゼッタに良くしてくれた、騎士団のメンバーは彼女の友人みたいな存在だった。


 友人、友人の家族達、騎士の宿舎付近にいた都市の者達は全て散り散りで行方不明になってしまった。今も焼け跡から死体と生存者を探している最中なのだと聞く。

 

 黒と赤を基調としたドレスを纏う、人型の魔王。

 人に近い姿をしており、人語も理解するが、まるで言葉が通じない。人間達が代表を募って、対話出来ると決めていた。だが、その結果が、この状況だ。

 

「とにかく、フリースに会いに行かないと…………」

 ロゼッタは、天体観測所へと向かった。


 天体観測所は、此処から離れた村にある。

 交通機関も破壊されている為に、馬を使わなければならない。

 ロゼッタは、馬に跨り、森の村にある天体観測所へと向かった。

 


 天体観測所。

 そこにある魔法の天体望遠鏡。

 それは、遥か遠くの地平線の向こうまで観測する事が出来る魔法の望遠鏡だった。天体観測所があるからこそ、この街は魔物の襲撃に対して備える事が出来る。

 

 見張りとして、管理人のフリースがいた。

 フリースはロゼッタの幼馴染だった。

 水色の髪がいつも揺れている。

 女らしくないロゼッタに、女の子のしきたりや趣味を教えてくれたのはフリースだった。

 フリースには、色々と世話になっている。


「どうしたの? ロゼッタ」

 フリースはきょとんとした顔をしていた。


「事情を知らない筈は無いでしょ? 王都がドラゴンの軍団に焼かれたわ。『竜の魔王』が現れた。この街も狙われるかもしれない」

 

 フリースはまるで想い出したような顔をしながら、頷く。その顔は何処か上の空だった。彼女は戸棚から茶葉を取り出して、お湯を沸かす。そして二人分の紅茶を作る。


「いいライチの紅茶が入ったの。まずは落ち着いて」

 フリースはいつもの調子だった。

 この浮世離れした幼馴染は、いつもこんな感じだ。

 いつも何処か、ぼうっとしており、時折、人間の心を持っていないんじゃないかというような発言も行う。変わり者の変人、それがフリースだった。


「落ち着いてられないよ! 王都の大部分は壊滅した。沢山の騎士の友達が死んだ…………」

 少女の顔には悲嘆に満ちていた。


「そうね……。でも私が思うには…………」

 フリースは少し考えてから告げる。


「本当に悪いのは、魔物やドラゴン達だけかな?」

 この赤髪の女は、時折、酷い言葉を放つ。

 その酷い言葉を聞いて、大抵の場合、ロゼッタは激昂してしまう。


「連中は絶対悪だっ! 悪いに決まっているでしょ!」

 今回も、ロゼッタを怒らせるには充分だった。


「でも、騎士団達は、ベドラムとその同胞のドラゴンとの戦争を止める事はしなかった。ベドラムは魔王の一人だけど、和平の交渉の末、決裂して、今回の戦争が始まったと聞かされているよ。つまり、我々、人間が彼らに“先制攻撃”を仕掛けたんだ。報復されて当たり前の状況になってしまった」


 それを聞いて、ロゼッタはテーブルを叩く。

 勢いよく紅茶がこぼれる。


「よく魔族の肩を持つ事が出来るわね」

 ロゼッタは、眼の前の女を睨み付けていた。


「観測の結果。ドラゴン達によって焼かれた場所は、王宮周辺と騎士団の宿舎が中心だよ。後は物流を破壊する為に、鉄道などの交通機関か……。向こうも戦争を終わらせたがっている。友人知人が巻き込まれたのは悲しい事だけど、向こうだって、人間の騎士や魔法使いに何体も眷属のドラゴンを殺されている…………」

 フリースは、淡々と今回の被害の状況説明を行う。


「そして、何よりも。これは重要だよ。王都ジャベリンが攻撃したのは、子供のドラゴンがいる場所だよ。向こうからしたら、沢山の未来ある赤子達が亡くなったんだ。それも奇襲、不意打ち、対話の裏切りという形でね。逆の立場を想像してみなよ? 醜い姿の魔族達によって、率先して、年端もいかない子供達のいる学校を襲撃されたら。今回の人間側がやった事はそういう事だよ」

 フリースは、温めた紅茶を覚ましながら啜っていた。

 本当に、人間側の事などどうでも良いといった上の空な顔をしていた。


「もういいっ!」

 ロゼッタは踵を返した。


「貴方に助言を求めるだけ無駄だった! でも望遠鏡だけは貸してっ! 連中の拠点を観測しなければならないっ!」


 ふうっ、と、フリースは溜め息を付く。


「ねえ。ロゼッタ。貴方や王都は魔王ベドラムと“その家族達”を倒したいのだろうけど。ベドラムは比較的、話が通じる悪魔だよ。もし彼女が倒されれば、彼女が抑え込んでいるであろう、「倫理の魔王」であるジュスティス。「自由の魔王」であるパペット・マスター、リベルタスの二人の魔族は、好き勝手に動き出すだろうね。ベドラムは「平和の魔王」。人間側と魔族側の領土を公平に決めたがっている。交渉……人間と魔族の話し合いは行われていたのに、今回は人間が悪いんだよ」

 フリースは、少し悲しそうな顔をしていた。

 おそらく、騎士団に命じたのは、国王なのだろう。

 その事実は、きっと自分の親友を苦しめる。


「あのね。魔族は絶滅させるべきよ。私は貴方の意見にまるで同意出来ない」

 そう言うと、ロゼッタは階段を登っていった。


 ごとごとと、上の階で物音がする。

 ロゼッタが勝手に望遠鏡を弄っているのだろう。


「あーあ。ほんと、幼い頃から騎士達に可愛がられていたから。血気盛んに育ってしまったなあ。まあ、私も“養育係”としてつかわされたけどさあ。私の言う事は、まるで聞かなくなったか」

 フリースは溜め息を付く。


 ロゼッタは、王都の王女だった。

 そして、フリースは王女の養育係の一人を命じられた。

 

 十数年以上の月日が経過した今でも、関係性はあまり変わっていない。

 違う事と言えば、王女は身体も成長し、強気な性格に育ってしまった。

 十数年前と比べて、フリースはまるで年を重ねていない。

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