第4話
どうやら、かの御当主様が見つかったらしい。
喧騒は静まる気配も見せ、落ち着きを取り戻した守衛たちの口ぶりも穏やかなものとなって聴き取りが可能な早さになる。
毛だらけの顔から感情を読み取ることは至難ではあれど、目元に浮かぶ安堵の色は偽りはないだろう。
程なくして、年長らしき男が現れた。
顔は人の特徴を多分に残しているが、鼻筋は不自然なほど反り返っている。
垂れた犬の耳や頭髪はやや褪せた感じの桜色で、祖国の駅舎広場に寄贈された、枝垂れ桜を想起させた。
「近習頭のソーシャである。殿はご多忙じゃ。早う済ませ」
散々待たせたのはそちらだろうに。
武人めいた朴訥とした口調でそう上から言ってくる。それは言葉の壁というものではなく、不審の色がありありと浮かんでいる。
「まったく、お館様は何を考えてこのような……前とても」
と聞こえよがしにぼやき、ブツクサと過去の因縁のを蒸し返しているあたり、口ぶりが古式ゆかしいだけで、その気質は武人のそれとは程遠い。
そして通された広間には、直立した獣たちが居並ぶ。
好奇の眼差しを向けてくる者。あるいは嫌悪さえ浮かべる者。前者は若手が多く、後者は広間を挟んで彼らに対する大人衆が主である。
そしてそれら群臣らの奥より、彼は現れた。さながら舞台袖から登場する主演俳優の如くに。高位にあるであろう獣人らを伴って。その中には、先のソーシャもいる。
(なるほど、
その異名に相違なく、首より上は灰狼。その頭上に戴くは鹿角の冠。墨染の裘を肩より打ち掛け、その袖口より覗くはやはり灰の毛皮、そして鋭い爪である。
しかして静謐の光を帯びた双眸には、人の知性が宿っている。
それが、レイキバの新領主、ルフであった。
「テレサ・シンヴレス殿か」
名手の手によって調律されたヴァイオリンのような、張りのあるような響きで下問があった。
だが、どこか作っているような感じもある。声質自体も、数百単位の集団を率いる長としては若い。
「
胸の上に手を当てて、テレサは立礼した。
「お初にお目にかかります。御前に侍りますは、エスケーシアより参りました、司教テレサ・シンヴレスです。この度の主の導きと心得、彼のご意志を身近に感じられますよう、努める所存にて」
「殊勝な物言い、まことに恐れ入る」
と、その口上の中途で挟まれた、低い声。
品は良いが、枯れている。そしてこちらへの疑義に満ちている。
その声の方角を見ればさもありなん、とテレサは思った。
ルフと同じく顔貌は灰狼の
黒地に金を誂えた外套で、首から下の皮膚を徹底しているが、その彫刻刀がごとき指の輪郭は剣呑そのもの、指輪を散りばめた手袋の上からでも分かる。
「貴国にとってはすでにご承知のこととは思うが、我ら無学非才の身にて、天獅教なる教え、如何なるものか心得がない。かいつまんででも、この場で教えてはいただけないだろうか」
何よりも分かりやすいのは、あえて北方語を用いた慇懃無礼な言葉の端々に浮かぶ、明白な感情。テレサにとっては、よく知る眼差し。偏見と蔑みと、警戒。
その席次は彼らが王の手前、彼の話す異国語を解する者は皆無だろうが、それでも余計な差し出口を挟む者はなく、近侍する者は皆、緊張感を持って肩を張っている。
「なるほど」
という相槌は、テレサの、状況把握からくるものだった。
彼の方に首のみ向けて、
「謹んでお答えします。教義それ自体はさして重要ではありません。森羅万象、如何なる事物にも天獅さまのご意志があり、それを如何に読み解くか、感じ取るか、それこそが肝要なのです。私はその解釈をお手伝いするため遣わされた者に過ぎません」
テレサは、あえて龍雲語をもって返した。
ルフが、わずかに息を漏らした。何が気に食わなかったのか。眉間に皺など寄せている。
「ほう? されば我らのごとき信仰心が無くとも、主とやらは常に身近にあったと」
絡むような問いかけにテレサは頷いた。
「知っているかはさておき、我らは五十年前、総領主カグラ様と共に立ち上がり、龍雲より自治と自由を勝ち取った。この戦いにおける勝利もまた、天獅の意志であろうか」
そうだ、と答えることは容易だ。凡百の宣教師であればしたり顔でまずそうした。
そして、そう答えればまず己らの歴史を汚されたと獣人たちが憤ることも想像がつく……この男の思惑通り。
「存じ上げません」
率直に、テレサは答えた。
「ほう! 教えを説く身でありながら、分からぬと!」
肩透かしを食らっただろうに、それをおくびにも出さず、さもおかしげにその老は嗤うあたり、老獪だ。もっとも、挑発自体は、周囲がそれに示し合わせたように同調して笑いだすことも含めて、安い。
「はい。何しろ、その場に居合わせたわけではないので」
あっさりその事実を認める。
「貴方がたの勝利が自由が、仰せの通り主が加護したがゆえなのか。はたまた
「――貴様」
パオル、と呼ばれた老狼は獣面であろうと分かるぐらい眉間に皺を寄せた。
当て推量ではあるが、まず間違いではないはずだ。
ルフの叔父、パオル。
新当主の跡目相続に当たり、諸々の後押しをして円滑にそれを推し進めることに貢献した、先代の弟であり、この小国家、そしてルフにとっては無視することの出来ない存在である。
正確な年齢は定かではないものの、五十年前と言えば彼とて当事者と言えるかどうか。よくて小姓どまりだろうに。
「叔父上、その辺りで」
ついに見兼ねてか、ルフがそう口を出した。
気づけばその叔父とは逆に目元の険を収めた表情で、
「テレサ殿、長旅でお疲れところ、議論などさせてしまい申し訳ない。城内に住まいは手配させてもらったゆえ、そこで一先ず疲れを落としていただきたい。しかる後、折を見て話をお聞きするとしよう」
という鶴ならぬ灰色狼の一声でもって、テレサは解放されたのだった。
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