第5話

「嫉妬だったんです……」


翌日、病院内のイスに腰掛けて、私は文歌さんと話をしていた。

分かったことは、彼女は通院じゃなくて入院患者であること。

昨日は、無断で外出をしていたことだった。


「会わないんですか?」


「いまさら……」


幼い頃は、構ってもらえない寂しさがあったらしい。けれど、いつしか小説家としての母を追い掛け始めたのだという。そして、娘でありながら自身の無才に愕然として嫉妬するようになり、気が付けば、近くにいることすら辛くなってしまったのだそうだ。


「その気持ちを伝えたことはありますか?」


彼女は首を横に振る。


「これ、受け取ってもらえませんか?」


私は、リュックから【彼】を取り出した。


「母さんが書いた……」


「ページの一番うしろ、見て頂けますか?」


「あ……」


枯れ葉のような手が震えた。今にも、折れそうな細い指先で文字をなぞった。


「お母さま、小説書くのをやめるって仰ってました」


「そんな!?」


「大切な家族を犠牲にしてしまったって」


文歌さんの目に瞬く間に涙が浮かぶ。


「私は、母にとんでもないことを言ってしまったんです。許してもらおうなんて虫が良すぎます」


「なにを言ったんですか?」


「小説の為ならなんでもする、売女みたいな女だって」


ほとんど本を読まない私には、小説が出来あがる過程なんて想像もつかない。それは、彼女にとって醜く映るものだったのかもしれない。あるいは、ある種の凄みや恐れとなっていたのかもしれない。圧倒的な存在の母。肩を並べることさえ適わない相手。他人だったら、見て見ぬ振りも出来ただろう。けれど、親子ではそうはいかなかった。でも、私は思った。やっぱり、ただの親子喧嘩なんじゃないかって。


「私は、幼い頃に母を亡くして父に育てられました。その父とは、ほとんど喧嘩をしたことがありません。私が一方的に怒って終わりです。怒っている間は、父は困ったような顔をしています。そんな父ですが、小さいころ私が言ったことにポツリと言い返したことがあります」


「なんて?」


「できることなら、そうしたいんだよって」


「凪さんは、なんて言ったんですか?」


「お母さんじゃなくて、お父さんが死ねばよかったって」


「……」


「本音じゃありません。でも、一人で家にいると、他所の家にはお母さんがいるんだろうなとか想像してぶつけてしまったんです。今でこそ喫茶店なんてやっているから毎日のように会えますが、当時はサラリーマンで私が起きている時間には会えないことが多かったんです。寂しい気持ちを上手く伝えられなかったんです。でも、その言葉でとんでもないことを言ってしまったんだと気付きました。たぶん、父も母がいなくて寂しかったんだと思います。だから、私は父に泣きながら伝えました」


文歌さんが、ひとつ身を乗り出す。


「ごめんなさいって」


そうして、彼女は涙を溢れさせながら笑った。

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