夜食のときめき
うめおかか
揚げ物の罠に魅入られて (からあげ)
手にはスーパーとかによくある白っぽい袋、さらにその中には紙袋に包まれていても匂いを漂わせている土産が入っている。そして夜中に呼び出してきた友人のアパートのドアを開けた瞬間、酷く顔を顰めた住人が現れた。
「なかなか酷いものを持ってきたな」
「へ? お前の好物だろ?」
「それはそうだけど」
ぶつぶつと文句を言いながら、大学の同級生でもある友人は、俺を急いで部屋の中に入るよう促してくる。別に土産を持ってくるのが初めてではないし、なんで機嫌が悪くなるのかわからなかった。
見慣れたワンルームのソファーに座ってから、俺はテーブルの上に土産を置く。それからジャンパーを脱いで、適当な所に放り投げるまでが、この家に来てすぐにすることだった。
体はジャンパーとか着込んでいる服のおかげで暖かかったけど、手袋をつけ忘れた手はかじかんでて冷たい。まだまだ冬の夜は寒い、しかも最近は気温が下がりすぎて寒いし。
「どうして僕が嫌な顔をしているのか、わかるか?」
「いや」
わかるわけがない、何せこいつの好物を持ってきたのだから、喜ばれるのはわかるが、機嫌を損ねるのは予想外だ。しかもこっちはアルバイト帰りに呼び出されてるから、体が重くなるぐらい疲れてるし。
昼間は大学の講義、夜はアルバイト、そして明日は日曜日で講義もなく、アルバイトも偶然入っていなかった。
だから急な呼び出しにも対応できたし、土産もあるんだから何か問題があるのか。じっと睨みつける俺に対して、こいつはぶっきらぼうにマグカップを二つ、テーブルの上に置いた。
「僕はダイエット中だと言っただろう!?」
「そうだっけ?」
「そうだ」
そんなことを言っていたかな、と記憶を探っても、ダイエットという単語が思い出せない。しかもこいつは痩せ型で、ダイエットの必要があるようには見えない。
「彼女になんか言われた?」
「ああ、少し太った? と言われた話をしただろう。だから僕は節制をする!」
胸を張って宣言されて、本気なのは理解できたけど、別に見た目は変わりない。こいつの彼女がそう思っただけなのか、実際体重が増えたのか、詳しいことなどわからなかった。
「だからこそ揚げ物はタブーなんだ」
「からあげに罪はないだろうが」
俺は呆れながら、からあげの入った紙袋を開けていく。これはアルバイト先の居酒屋でもらってきたからあげで、店長が持たせてくれたものだった。お金を払うっていったんだけど、いいからって半ば押しつけられた。
あいつの好物だからちょうどいいかな、と店長にお礼をして今に至る。しかも鞄の中にレモンサワーとジンジャーエールの缶も用意済みだ。居酒屋で働いているけど、酒が飲めないので俺はジンジャーエール、こいつは飲めるのでレモンサワー。どちらも揚げ物に合うはずだ。
「うちの店のからあげだぞ」
「それは旨いものだ、だが……」
ぐぐぐ、と歯を食いしばりながら必死に何かと、いやからあげの誘惑と戦っている。こいつも何回か食べたことのあるからあげなので、間違えなく美味しいのはわかっているのだ。
「その分運動すれば良いだろ?」
「この時間に食べるのが……」
「最近節制してるんだろ、今夜ぐらいはいいんじゃないか?」
間髪入れずに指摘する俺の言葉に、もがき苦しみ続けている。なんだか悪いことを言っているような気もするけど、からあげの誘惑の抗うのは自分自身だ。別に明日のおかずにしてもらってもいいし。
「真夜中……唐揚げ……」
「レモンサワーもあるぞ」
「レモンサワー……!」
床に崩れ落ちる友人の前に、俺はレモンサワーの缶を置いた。隣にはジンジャーエールの入った缶を、これでからあげを食べる準備は完璧だ。
「罠か!」
「罠じゃないだろうが。美味しく食べるための工夫と言え」
また歯を食いしばって、何か言い返そうとしてるけど、何も思いつかないらしい。
というより、からあげを食べるかどうかの葛藤だな、これ。
ちなみにこいつの彼女は大学の同級生、俺とも面識があったりする。太った発言を聞いた後、深く考えもせずにこいつの彼女に太ったのを気にしてたっていったら、そんな意味じゃないって返されたなぁ。
一度指摘されると気にする奴だから、別の言い方が良いと思うよ、と彼女にアドバイスっぽいことを伝えた記憶はある。
でもここまで体重を気にしてるとは思わなかったな。
「彼女は食べ物を残すのが嫌いだろ、確か。ここにからあげがあって、一番美味しい状態を逃すのは……」
「ああ、彼女は嫌いなはずだ。だが」
「運動しよう、それが一番良い」
わざわざ彼女の意図を伝えない、むしろ良い機会だから運動させよう。運動不足を心配されてたし。
「くそっ、わかった。からあげに屈服しよう」
悔しがりながら座ると、からあげに負けた男はレモンサワーの缶に手を伸ばしていた。俺もジンジャーエールの缶を取って、軽快な音をたててプルタップを開ける。
店長がからあげをすぐに食べられるように、と割り箸も入れてくれた。本当にありがたい話だ。
「んじゃ、お疲れ様」
「お疲れ様だ」
お互いに缶に口をつけて、まず水分で体を満たす。炭酸特有の泡が喉から流れていく感覚がたまらない、そして甘いけれど生姜のぴりっとした味もする。うん、すっきりと爽やかな味だ。
「あー、アルバイト終わりの炭酸がうまい」
「そうだろうな、俺は風呂上がりだ。熱い体にレモンサワーがたまらん」
それはそうだろうなぁ、と笑いながら俺は割り箸を二つに割って、からあげに手を伸ばした。
こんがりと揚がったからあげの色は濃くて、醤油で味付けているからと店長は教えてくれた。あといろいろ調味料を揉んで漬け込んで、食べる直前に粉をまぶして揚げる、らしい。俺は料理に詳しいわけじゃない、居酒屋でもホールだからよくわからない。
でも、間違えなく美味しいからあげなのは知っている。
大きめのからあげを思い切り囓ると、口の中で鳥の脂が弾けた。旨すぎる液体、そして香ばしい衣の味が混ざり合って最高の味を作り上げてる。しかもピリッと生姜の味もして、真っ白なご飯にも抜群に合う。
「旨い、旨すぎる! からあげとレモンサワーはどうして出会ったのか」
「それはわかる。どうしてそれで食べようとしたんだろうな」
あまりの旨さに悶絶している姿を眺めながら、俺はジンジャーエールを飲む。脂に支配された口の中を、爽やかな味わいの炭酸が消してくれる。その消える瞬間の混ざり合う味に、俺もまた悶絶した。
「旨いなぁ。店長のからあげ、最高!」
「うむ、レモンの爽やかな味と合う。そもそもからあげにレモンをかけることもあるからな」
「味によるかな。このからあげは濃いからさ、そのまま食べても旨い」
「そうだな。だがどちらでも間違えなくうまい」
からあげという言葉を言い続けながら、笑いながら味を語り合う、からあげはとにかく旨い。居酒屋でも人気のメニューになるのも頷ける。
もう一口食べても、旨い。飽きない旨さ、そして炭酸を体に流すように飲む。永遠に繰り返される旨いの連鎖に、俺と友人の顔は緩みきっていた。
「忘れてたな、呼び出した理由はなんだったんだ?」
ふと思い出した俺の一言に、友人の手が止まる。
「ダイエット相談だったんだ。だが、今はその言葉を封印するとしよう。からあげに失礼だ」
「だな」
まだしっかり残っているからあげを食べながら、友人は苦さと決意の混じった顔で二つ目のからあげに手をのばす。
「マヨネーズも合うんだよなぁ、からあげ」
「それは、そうだが、お前は」
鬼だ、と悔しそうな顔をしている相手に、俺は平然と冷蔵庫へと移動してマヨネーズを発掘する作業に移った。
からあげに負けたんだから、とことん負ければいい。
「食べるだろ?」
「当然だ!」
吹っ切れた声に俺は笑いながら、マヨネーズを取り出したのだった。
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