医者の生涯

看護師として初めて出会ったその人は、最低な人だっただった。


「先生、またお酒ですか?」

「ほっとけやい」


呆れて光のない目を向けた私に、先生は吐き捨てるように言った。

患者に法外な金額を支払わせ、そのお金で酒を買う。

浴びるほど呑んでぐっすりと眠り、そしてたらふく朝食を食べてまた荒稼ぎしに行くのだ。

どこかの国の医者のように大した腕を持つ訳でもなく、寄付したりするわけでもない。とんだダメ医者だ。

それでも、先生はみんなに愛されていた。

不思議な人だった。


「なあ、ステラよ」

「ファーストネームで呼ばないでください」

「俺は俺の体をいっとう大事にしてるんだ」

「話聞けよ」


私は自分の名前が嫌いだった。

地味で根暗で傷を負った盲者の私には、随分と眩しすぎる名前だったから。


「俺が死んじまったらどうする。この街には医者がいねえ。こんなクズカゴみてえな街にはな」


スラム街に正規の医者なんているはずがない。

世間的にはそういうものだと思う。

医者は金持ちの仕事だ。

それなのに、国に認められた正規の医者である彼はここから出ようとしなかった。


「ステラよ」

「だから名前で──」

「──お前“は”、死ぬなよ」


背筋に冷たいものが伝っていくような、そんな感覚。

「先生、まさか……」

「俺は120まで生きてやるからな」


心配して損した、とボードで頭を叩く。

小さな先生の頭を叩くのに、私のそう高くない背でも苦労はなかった。


「大事にしてるというなら、お酒は控えてくださいね。呑みすぎは毒ですよ」

「わかってらぁ」


けらけらと軽く笑う先生の声は心地よいが、同時に違和感を覚える。


(……こんなに、掠れてたっけ?)


食べる量は明らかに私より多いはず先生の声には力がなくなったように感じる。

痩せたって声が変わるわけではないけど。

筋力の低下が原因なら有り得ない話では無い。


「先生、少し体を──」

「おっと、回診の時間だ。行ってくる」


──それきり、彼の声を聞くことはなかった。


噂によると彼は道端で息を引き取ったらしい。

眠るように穏やかに、微笑みを浮かべたまま。


「……先生の、ばか」


私は彼を憎んだ。

置いていかれたのが悲しかったから。

だけど、彼を許した。

手探りで石に文字を刻んでいく。



スラムが誇る偉大な名医 レイザー・マルス


行年──120歳

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