第2話 澄花サイ

 空中都市ジパングは過去に存在した古き良き日本を再現した都市で、過去の国の文化、街並みを再現した地区があります。その中の古都、「新カマクラ」と言うのが私の生まれ育った町です。

 火星に来ても人間は故郷のことを忘れられず、自分たちの先祖が慣れ親しんだ街並みを、わざわざ地球の建築物を輸送してまで再現しています。

 その行動の理由の一つには激しく変わってしまった地球環境から貴重な文化遺産を守るというものがあるらしいのですが、私にはこれは今の人が昔の人が確かに生きていた証しを遺したかったからという想いやりの面が強い気がするのです。

 剣ヶ丘八幡宮つるがおかはちまんぐうというカマクラタウンの中心にある大きな神社。緑豊かな丘の上に建っており、その周囲は木々に囲まれています。その東側の更に小高い丘の上に、言凪いうなぎ家の人が代々入っているお墓があります。

 私はお墓の前に翡翠で出来た勾玉のペンダントを置いて手を合わせます。

「行ってくるね、お姉ちゃん。遠い空の上から見ていてください」

 くるりと振り返ると、私は街を一望します。

 爽やかな夏の日差しに照らされる、私の街を。


 ▼   ▼   ▼


 お参りを終えて、神社沿いの狭い路地を抜けると、大きな鳥居の真正面に伸びる広い参道に出ます。

 剣ヶ丘八幡宮つるがおかはちまんぐうを訪れる多くの人が通るメインストリート。真ん中には段葛ダンカズラと呼ばれる桜の木が植えられた道路よりも一段高い石畳の細い参道が鎮座して歴史を感じさせます。私はそこから交差点を挟んだ向かい側の大きな赤い鳥居の下で信号待ちをしています。

 手鏡で前髪をいじりながら、おかしなところがないかをチェックします。


「……大丈夫」


 だと、いいんですけど……。


「おはよう、ノアちゃん」

「ひゃあっ!」


 横から声をかけられて、大げさに飛び上がってしまいました。


「ご、ごめん。びっくりさせちゃったかな?」

「い、いえ。ごめんなさいは私の方です。すいません、ヘンな反応しちゃって……」


 恥ずかしい。だけどその気持ちを抑えて私は、彼の目を見ます。


「おはようございます。サイさん」

「フフ……おはよう、ノアちゃん」


 二度目の朝の挨拶を言ってくれるのは澄花すみかサイさん。

私の家庭教師でユイハマ大学でクローン細胞学を勉強している19歳のお兄さんです。


「朝に会うなんて珍しいね。何かあったの?」


 サイさんはいつも見せてくれる優しい微笑みを私に見せてくれます。女の人のような白い肌とスタイルの良い細い体つきで、歌舞伎の女形の人ってこういう人がなるんだろうなと思わせるほど美しい人です。


「い、いえ……今日は終業式ですから、学校で朝から大掃除があるんです。だから早めに学校に行かなきゃいけなくて」

「そうなんだ。大変だね」


 ズキンッ……私の心が鳴りました。

 パッポー……! パッポー……! パッポー……!

 歩行者信号が青になったことを告げる鳩の泣き声が、信号下のスピーカーから流れだします。


「一緒に行こうか。僕の大学はノアちゃんの中学校の向かい側だから」

「は、はいぃ……」


 前をあるくサイさんに対して何だか申し訳ない気持ちを抱えながらも、横断歩道の上を歩き始めます。

 横断歩道の前で止まっている自動運転バスの中にはスーツを着た会社勤めの大人の人はいましたが、私のような中学生はほとんどいませんでした。

 運転手のいない、道路の上をホバリングしながら進む小型班重力ジェネレータ搭載のAIバスは過去に使われていたバスよりも軽量化されていて、ガラスの面が広く外から中が結構見えます。

 私が登校する時はいつもカマクラ第二中学校の生徒がひしめき合っています……。


「あの、サイさん」

「何だい、ノアちゃん」

「ごめんなさい。私嘘をつきました。本当は今日、朝から大掃除があるなんて嘘なんです。本当は、本当はサイさんに会いたくて早起きしてきたんです」

「……そうなんだ」

「そうなんです……」


 キョトンとまあるくなった目で、サイさんは私を見下ろします。


「それは嬉しいけれど、嘘だってバラさなくて良かったんじゃないかい? だって、言わなきゃ僕は気が付かなかったよ」

「でも、嘘は嘘です。ちゃんと正直に言わなきゃなんだか自分がダメになるような気がして。それに、それに……」

「それに?」

「嘘を付いたら、針を千本飲まされるんですよ!」


 お母さんから昔から言われている言葉。

 それは本当に怖いことです。


「プッ、アハハハハハッ! アハハハハハハッ!」


 なのにサイさんは口を大きく開けて笑い始めてしまいました。


「ど、どうして笑うんですか?」

「ごめんごめん。いやぁ……ノアちゃんって真面目だね」


 ズキンッ、私の心がまた鳴りました。


「そんなこと……ないです」

「そんなこと、あるよ。今時そんな子は珍しい。だからこそ僕は君のことが好きなんだろうね」

「えっ」


 褒められて、ついつい私の心はときめきます。さっきまでショックを受けて傷ついていたのに、もうその傷は塞がってただただ高鳴るビートを刻み続ける楽器になるのです。


「さ、サイさんそれってどういう———」

「お~い、ノアちゃ~ん!」

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