結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり

20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。

パリン、と父様の持っていたカップが割れた。持ち手から真っ二つに割れ、デスクの上の書類があっという間にゴミに変わっていく。帝国の自動人形なんて呼ばれる鉄面皮が嘘の様に青ざめ、僕でも読み取れるほど顔に『なぜ』と書かれている。…まぁ、原因がわかる夫婦関係だったらそもそもこんなことにはなっていないんだろうな。


対する、父様の向かいに立つ母様はとても晴れやかで。にこにこと微笑む姿はそれはそれは嬉しそうで、花が飛ぶ様が幻視できる。


「結婚する時に契約書を作ったでしょう?それでね、ランウェルも素晴らしいお嫁さんを迎えたわけだし、タイミングもばっちりだと思うの。」


ふふふ、と微笑む母様の言葉が、聞こえてるのかいないのか。父様はぶるぶる震えていて、酸欠の魚の様に口を開けては言葉に詰まっている。…ふむ、契約満了という単語からして、結婚時になにか夫婦間で取り決めでもしたのか。


「母様、その契約書は僕が見ても構いませんか?」


「うん?ええ、いいわよ。」


ぱんぱん、と軽く手を叩くと、母様の侍女が盆に書類を載せて持ってきた。…うわ、これ神殿契約書じゃないか?一枚作るのに金貨5枚と両者の血判が必要で、神殿で神官と神を前に取り決めるとんでもなく重い契約書だ。その分、証拠として十分な効力を発揮するんだけれど…。


「…え、これ…まって。本気?」


「そうよ?母様、頑張ったんだから。」


ざっと中身を確認して、…開いた口が塞がらない。こんなもの、むしろよく今まで離婚しなかったものだ。僕だったら即行殴り飛ばして、結婚自体無かったことにしていただろう。


厚みのある書類の内容は、要約すればこうだ。


・甲は乙に愛情を求めない。

・甲は医師の診察を毎月受け、可能日三日のみ乙と営むこと。

・それ以外の接触は、甲から求めない事。

・跡継ぎが生まれるまで継続すること。

・公爵家に恥じない振る舞いをすること。

・公爵家の財を、甲は求めない事。


こんなことが細々と、注釈をつけると五枚にも及んで綴られていた。おもわず嘘であってくれと父様を見るが、唇を噛み締めたまま目を泳がせている。そうだよね、神殿契約だものね。


「それでね?跡継ぎが成人、または公爵家を継ぐ…あるいはこれより30年が経過した場合、甲が望めば離婚を…」


「っダメだ!!」


ダン!と力任せに叩かれたデスクが、音を立てて真っ二つに割れた。父様の側近が大慌てで父様を宥めようとして、振り払われる。祝福を受けている父様は、感情が暴走すると片手で岩も砕く怪力になる。だから普段は冷静沈着を絵に描いた様な人なんだけれど。さすがに今回はそうもいっていられないようだ。


「なにが望みだ。金か?欲しい物があるのか?それとも、男でもできたのか?…自由にすればいい。それくらい、いくらでも目を瞑る!だが、っ離婚はダメだ!」


捲し立てる父様に、母様が眉間に皺を寄せて睨みつけている。…社交界の妖精と言われている母様が『怒ってます。』という顔をしても、全く迫力がないのだが。


「…嘘つき。大嫌い。」


「ぅぐっ…!」


ただ一言、呟かれた言葉が父様の心臓に深々と突き刺さったのが見えた。呻き心臓を押さえる父様などお構いなしに、ふん、と来た時とは逆にぷりぷりと怒りながら、母様は退室していった。


「オ、オリヴィアッ!」


半泣きの父様の制止も虚しく、母様の侍女の手で執務室のドアは閉められてしまった。呆然と立ち尽くす父様に、さて、何と声をかけるべきか…。


「僕達姉弟きょうだいとシーリカは母様の味方ですので。」


重要な部分を簡潔に知らせておくことにした。僕達はみんな母様を大事にしている。お嫁に行った姉様達も、あの契約書を見たら烈火の如く怒り狂うだろう。なにせ父様は姉様達に一切関心を向けず、跡継ぎの僕には一切の甘えを許さなかった。ぽっかり空いた父親へのあこがれも期待も、粉々に壊されて傷付けられて。その穴を有り余るほどの愛情で埋めてくれたのは母様だった。


さて、今頃僕の妻シーリカは、母様とお茶をしていることだろう。彼女は母様のファンで過激派だからな。あとで母様からもゆっくり話を聞く時間を取らねば。まぁ、まずは父様からだ。



「オリヴィアは、好きな男ができたのだろうか…、」


「もしいても目を瞑るって言ってませんでした?」


いまにも死にそうな声で嘆く父様なんて初めて見た。いや、そもそも感情があったのかこの人。どかりと音を立てて、質のいい椅子に腰かけると、顔を両手で覆って深いため息までついている。


「オリヴィアの最近の予定に、男と接触する機会はなかったはず…何か見落としか…、いや、どこかの茶会に招かれた際に…従僕という可能性も…、」


「いやいやいや、母様は不貞を働く様な人ではないでしょう。父様じゃないんだから。」


「ぅっ!…あれは若気の至りで…っ!」


ビクッと大げさに肩を跳ねさせた父様と僕の目が合い閉口する。カマをかけただけなんだが…。思わずゴミを見る目で父様を見てしまった。ううん、本当に今日は父様の初めての顔を沢山見れるな。すこし面白くなってきた。僕は母様の味方だから母様の望むようにしてあげたいけれど、…家族としては、父様の懺悔の機会もとってあげてほしいところ。まぁ、その前に父様が母様を愛しているのか、そこのところをしっかり確認してからだけれどね!


「うぅ、オリヴィア…。」


…確認するまでもないような気がしてきた。いまだ母様に『大嫌い』と言われたのが効いているのか、顔を青褪めさせ心臓を押さえて打ちひしがれている。40代の大の男が凹んでるの、結構きついな。


「私とオリヴィアは、典型的な政略結婚だ。家の為に嫁いできた花嫁は…6歳だった。」


「はぁ?!」


「その時は私もまだ10歳でな…。そもそも跡継ぎとしての教育を進めている最中だった。」


ため息をつきつつ、当時を思い出しているのか遠い眼をしている父様は、眉間に皺を寄せている。話はこうだ。父様の父親、ライナー公爵はとても優秀な宰相だった。その優秀さを父様も受け継ぎ、早くから高名な学者や専門家を家庭教師に呼び、跡継ぎとして教育を受けてきた。父様の神童ぶりは国をも渡り、それはもう大量の縁談が舞い込んできた。


が、ライナー公爵は縁談を送ってこなかった貴族から、花嫁を選んだ。理由は父様にもわからないらしい。問題は、父様の人格がだいぶダメな方に振り切っていたこと。頭が回る分、政略結婚については理解していても心がついていかない。さらに明らかに幼児な花嫁が早々に嫁いできた。優秀だと持ち上げられるほど高くなるプライドは自己陶酔に拍車をかけ、誰にも自分の心の内はわかりはしないのだという自己憐憫で…まぁ、要するに思い切り酔って患っていた。


「10歳の頃は仕方なかったとしても、歳を重ねるにつれそれなりに恋愛や青春は楽しんだんですよね?その情があったから、母様だって耐えていらしたんでしょう?」


「…………っ。」


まさか。目を逸らす父様に、絶句する。重々しく開かれた口から出る音を、僕は理解したくなかった。盛大に患った上に拗らせていた父様は、親が用意した子供の花嫁など、見向きもしなかった。冷たくあしらい、会えば嫌味を言う始末。暴力は無かったとはいえ6歳の少女に八つ当たりしていた。親の敷いた道を歩きたくなかったのだ。しかしできることにも限りがある。いくら神童でも、政略結婚を白紙にはできなかった。そして考え付いたのが、あの契約書。12歳になっていた父様は、8歳の母様を連れ出し神殿で契約書にサインさせたのだ。


「人として最低です父様。」


「わかっている…っ!だからあれはもうとっくの昔に破棄したんだ。なぜオリヴィアが持っているんだ…っ。」


それは確かに妙だが、持っているものはどうしようもないし、父様がしたこともなかったことにはならない。さらに父様の患いは、悪い方向に進む。妻が同じ学園の中等学舎に通っているにもかかわらず、高等学舎で一人の令嬢に侍り、好意を寄せ、さらには王妃殿下…当時は王太子殿下の婚約者を断罪する騒ぎまで起こしていた。


「えっ、そんな話聞いていませんが?!」


その学園は2年前まで僕も通っていた。が、一切聞いたことがない。噂にすら上がらないなんて、どういう事だ?


「令嬢が他国の間諜で、王太子に魅了と幻惑の魔法を使っていることが判明して、裁判にもなった。令嬢と関係者は死刑。当時の国王を始めとする重鎮を除き、記憶を消す魔法が使われた。私達はそれぞれ父上から殴られ、漸く目が覚めたのだ…。」


記憶を消す魔法って…この国の魔術師達が一か月かけて命がけでやる儀式じゃないか…!それが父様が16歳の時…うん?


「待って。母様、いま36歳ですよね?姉様が22歳…」


「……っ」


「13歳の子供になんてことしてるんですか…?!」


全然反省していないじゃないか!!一番上の姉様は22歳だ。つまり母様は13歳で妊娠して14歳で姉様を産んだことになる。しかも僕らは年子の三姉弟だ。身体が出来上がっていないのに出産なんて命がけのことをさせたなんて、正気とは思えない!憤慨して詰め寄る僕に、父様に長年仕えているロッドが待ったをかけてきた。


「ランウェル様、母体の健康や女性の人権について…、当時は今より軽く扱われておりました。もちろん、それが良い事であったとは思っておりません。ですが、同調圧力というモノは何に対してもあります。」


「つまり?今と違って若いうちからの結婚も当たり前だったし、父様の心が母様に向いたから、ここぞとばかりに皆で母様を手籠めにしたのはしょうがないって?」


わかっている。女性についての問題は、いまもまだまだ山積みで。ここ10年で少し光が当たるようになった程度。父様達の頃の女性の権利なんて、想像に易い。


「私は、オリヴィアを愛するようになって…恐ろしくなったんだ。自分のしたことを、毎日後悔した。不安になって、オリヴィアが私を愛しているという証拠が欲しくなって…。しかし、お前達が生まれると、今度は私に似ることが恐ろしくなった。」


姉様達は、賢い子供だった。そして自分も例に漏れず、家を継ぐ程度には。自分に似ることが恐ろしくなった父様は、僕達から距離を置くことにした。自分が拘らなければ、同じ間違いは起こさないはずだ。と。


「…父様って、自分本位で自分勝手ですね。母様は何が良くて父様と一緒に居るんでしょう。」


「私が聞きた…いや、聞きたくない。何を言われても、絶対に離婚しないからな!」


ひとまず父様の事情聴取で、聞きたくなかったことまで知ってしまった。離婚してもいいんじゃないかなぁ。僕の気持ちが顔に出ていたのか、父様が半泣きで僕を睨んでいる。…姉様達と違って僕の顔は母様似だから、余計に気まずいんだろうな。


「今日聞いたことは、姉様達には黙っておきます。…早めに謝罪に行ってくださいね。」


姉様達が帰ってきたら、父様に勝ち目はない。姉様達の手で母様はどこかへ隠され、その後一生父様は母様に会えなくなるだろう。小さく付け足した一言は、父様に正しく届いたようで。目を見開く様に笑いながら、父様の執務室を後にした。



「そもそも、旦那様は私を愛していないのよ?だから、喜んで離婚してくれると思ったのに。」


うーん、と小首を傾げる母様は、とても三人の子供がいるようには見えない。外見が20歳で止まっている母様は、社交界で妖精や魔女、エルフなのでは、なんて囁かれている。


「ランウェルには言い辛いけれど…、義務以外で私に触れてきたこともないし、愛を囁かれたこともないもの。」


私の存在なんて気にも止めていないわ。ただ事実を並べるように、世間話のような軽さで話す母様は、優雅な所作で紅茶を飲んでは顔を綻ばせて味を褒めている。シーリカは、いくら奮闘しても愚痴のぐの字も引き出せなかった、と落ち込んで退出していった。


「母様は、腹が立たないのですか?」


「?」


こてん、と小首を傾げる母様に、憤りも怒りも感じられない。…母様って、僕達の命に関わらないことでは本当に怒らないですよね。そう思うと、先程の母様はちょっと珍しかったな。


「母様が父様にされたことは、正直殴っても許されるレベルですよ。」


むしろ今からでも遅くないので、殴りに行きましょうか?そんな僕の言葉に数度瞬くと、噴き出してクスクスと笑われてしまった。…僕は本気ですよ?


「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、少し他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大切よ。」


眉尻を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉様達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。


「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないのですか?」


ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いている。…もしかすると、母様にとって父様は関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。


「うぅん、そうね…?」


「なにかしたいことが?」


離婚してまで、母様がしたい事。とても気になる。もし本当に母様が離婚するならば、母様の生活資金は僕が全力でサポートするつもりだ。むしろ適当になんてしたら、過激派のシーリカに殺される。妻は夫より母様が好きだからな。


「えっとね、んん、」


もじもじと言い辛そうに視線を彷徨わせる母様は、とても可愛らしい。父様の執務室の方から破壊音が聞こえるくらいに。テラスから見てるんだろうなぁ…。昔は不機嫌で暴れているのかと思ったけれど、今日の反応を見る限り母様に悶えて物を壊しているなアレは。母様は気が付いていないようなので、僕も何も聞こえないふりをして母様の返事を待つ。


「実は、貴方達が生まれてから子供服の事業を展開をしているの。思っていたより大きな会社になってくれたから、私の侍女や会社の従業員を今と同じだけ賄っても問題なく生活できるわ。住むところは…ちょっと都心から離れたところに土地を買って、私の好みに建てるのもいいわね…!小物とかも置いて、あ、庶民の小物屋さんにね、素敵なお店があるの。公爵家にいる間は私的なものは買えなかったけれど、これからは好きなものが買えるし…遅くまでお買い物したり、酒場でご飯を済ませてみたり、劇場に行ってみたり…そういったことをね、してみたくて。」


楽しそうに声を弾ませて、興奮気味に話す母様は、夢見る乙女の様に頬を紅潮させて瞳を潤ませている。…父様と離婚したら、害虫が寄ってこないように護衛を雇って警護を徹底させないと。


「それは、私と一緒に行くことは許されないのだろうか?」


「…え、旦那様?」


先ほどの話を聞いていたのか、母様の後ろから現れた父様に目配せして、席を代わる。母様の斜め後ろに待機しておこうかな。万が一チャンスがあったら父様に一発入れよう。母様をじっと見つめる父様の瞳は不安で揺れているが、母様に今までかけた苦労分くらい痛い目にあってほしい。


「郊外に君の望むように家を建てよう。支援したい店があるなら、うちで抱えるのもいい。君の欲しい物はすべて手に入れよう。深夜まででも喜んで付き合う。流行りの劇場も抑えるし、酒場は…いや、大丈夫だ。君が安全に楽しめるよう、手配する。」


「…私一人で大丈夫です。今までだって、旦那様の手を煩わせてはいないはずです。」


ふい、と眉間に皺を寄せて顔を背けた母様に拒絶された父様は、唇を噛んで言い淀む。腕を組んでガゼボの柱に身を預ける僕と、視線を彷徨わせていた父様との目があった。早く抱きしめるなり謝罪するなりしなよ。僕の言いたいことが伝わったかはわからないが、父様は母様の前に跪いた。


「…今まで、私が頼りなく不甲斐無い所為で、オリヴィアには苦労をかけた。すまない。謝罪して許されることでは、到底ないだろう。だが、私はこの先も君と共にありたい。…どうか、それを許してほしい。愛している。オリヴィア。」


悲痛な面持ちで、母様の手を取り懇願する父様。と、驚いているのか、目を見開いて固まっている母様。


「…旦那様、私のこと、お好きだったんですか。」


「んぐっふ!…ふふっ」


ぽつりと、本当に意外そうな、まさにいま知ったと云わんばかりの呟きに、父様が鈍器で殴られたような衝撃を受けていて思わず吹き出してしまった。


「っ愛してる!君がいないと生きていけない!誰よりも君を思っている!!」


まさか自分の好意が一つも伝わっていないなんて、思わなかったんだろう。半泣きで母様を抱きしめて愛を叫んでいる父様と、驚きながらも嬉しそうに抱きしめられている母様を背に、さて…僕もシーリカの所に行こうかな。早く宥めないと、父様が消し炭にされてしまう。



◇◇◇◇◇◇◇◇


私には、とても仲良しのお友達がいる。お互いの両親の仲が良く、それこそ生まれる前からの付き合い。その子の三歳のお誕生日に、私とその子は人には言えない秘密を共有した。…前世の記憶と言うやつだ。


その子が言うには、この世界は乙女ゲームの中で、悪役令嬢になってしまったんだとか。破滅とか、お家が没落すると嘆いていたその子は、お誕生パーティーのあと3日も高熱に魘されていた。


無事立ち直ったその子をお見舞いに行った日、私の立場とその子の立場のすり合わせが行われた。…私はどうやら『悪役令嬢の取り巻き』らしい。前世で乙女ゲームなんてしたことがない私からすると、これから少なくとも15年はその子とお友達でいられる確約のようで嬉しかった。


それをそのまま伝えて一頻り抱きしめられた後、今後の予定を告げられた。曰く、『どのルートもバッドエンドなら、平民として生きればいいじゃない作戦』らしい。なるほど、前世を思い出した今、身の回りのことは自分でできる。


ありがたいことに、今世は近代系の魔法学園恋愛ゲームが舞台だった。ドレスは着るし貴族制度があるし、考え方が中世に似ていてもゲームで魔法でフィクションだ。道具の利便性は前世とさして変わらず、井戸から水を汲まなくても魔法石付きの蛇口を捻れば水が出るし、庶民もクッキーを焼いておやつに食べられる世の中だった。


「私はお前を愛したりしない!好きになどならない!!」


6歳になった時、攻略対象の男の子と結婚した。…あれ?あの子は婚約って言っていた気がするのだけれど。まぁいいか。既婚者枠なのかな?すごいな昨今の乙女ゲーム事情。


私は不倫とか、一夫多妻制とか、とても嫌なので。男の子に何を言われても関心が向かなかった。だって、『主人公』の所に行ってしまうのがわかっていて、不毛なんだもの。


でも、あの子は悩んでいた。いずれ主人公の所に行ってしまう王子様が、自分に優しさと笑顔を向ける度に、私のところに来て泣いていた。散々泣いて、泣き腫らした顔で、『所詮最推しには抗えない』って笑ってた。私にできるのは話を聞いて、ただあの子を、ローズを抱きしめることだけだった。


なにもできなくて、なんの力も無くて、でもなにかしたくて、ローズの隣に立った。凛と立つ薔薇の隣に撫子なんて、滑稽だけれど。出来ること全てに手を広げて、泣いて、傷ついて、悩むローズに、幸せになってねなんて。言えなくて。


結局勝ったのは、ローズだった。王子様がローズを愛してくれたのが、何よりも心強かった。学園で『主人公』に会った途端、別人のように変わってしまった王子様。それを見越して、王子様自身が万が一の為にと魔道士を集めていたから、一週間もせずに洗脳は解けていた。


黒幕と関係者を全員捕まえるために、三年も掛かってしまったけれど。洗脳されたフリの王子様は、学園でローズに冷たく当たらなければならないのが堪えているようで、王宮ではローズから片時も離れない上、私にまで嫉妬して威嚇してきているのが嬉しかった。ああ、やっと、『幸せになって』と、ローズに伝えられた。


「なぜ私の洗脳は解いて下さらなかったんだ…。」


項垂れている旦那様に、いけないとは思いつつ笑ってしまう。


「ふふ、だって、旦那様は私のことがお嫌いでしたから。」


郊外に建てた新しい家には少しの使用人。ちょっと広い部屋の掃除や、荷物持ち以外は自分で済ませるから、旦那様と二人きりの時間が増えた。一緒に住むと言って聞かない旦那様は、本当に宰相の仕事をランウェルに引き継いで、事実上引退してしまった。…一週間に一度は、陛下に呼ばれて嫌々登城なさっているけれど。


「きっと、説明しても信じてもらえなかったでしょう?」


言葉に詰まって視線を彷徨わせている旦那様に、また笑ってしまう。ああ、そんなに落ち込まないでください。


「…私は、旦那様を見てはいませんでした。ローズから聞いた、物話の中の旦那様に、勝手に見切りをつけて現実の旦那様を割り切っていました。だから、旦那様が思うほど、私は健気でも、愛される女でもないんです。ごめんなさい。」


宰相職を辞任すると陛下に直談判に行った旦那様は、察した陛下に大笑いされた後、憤慨しながら帰ってきた。陛下から『いままで』を全て知らされた旦那様は、私から見たお話もお望みで。長くならないように、質問に答えつつ話した、私の全て。


入れ直した紅茶を旦那様の前に勧めると、そのまま手を取られて甲に口付けられた。探るような視線が絡まって、旦那様の薄い唇を重ねられる。私を壊れ物のように触れられて、


「…私は私の罪の重さを感じているが、オリヴィアは自分こそが悪だというのか。」


「そうですね、私が現実を見ていれば…とは。」


吐息が触れる距離に、目を伏せる。現実を見つめて、傷も厭わず戦ったローズと、自分で生きる道を作ろうとした旦那様。そして、知ったような顔をして、傷つくことから逃げていた私。怖がって隠して自分から動きもせず諦めて。流されるままに生きていた、最低な私。不思議な気分だった。吐き出すようにすべて話してしまったのに、旦那様が私を見つめているのは、触れるのは、なぜ?


「いまは、私を見てくれるのか?」


「どうするべきか、迷っています。まさか、お仕事までお辞めになるなんて思わなかったんです。旦那様はお優しい方だから…罪悪感でしょう?ご無理をなさらずとも、私は一人で大丈夫ですよ。」


笑う私とは反対に、不機嫌な旦那様。ああ、また怒らせて


「きゃっ」


ひょい、と子供のように抱き上げられて、旦那様の膝の上に乗せられてしまった。…ええ?これは、…どうしたらいいのかしら。向かい合うように腰を押さえられて降りられる気がしない。降ろしてくれないかな…と旦那様を見ると、眉間にシワが寄っている。ううん、ダメそう。


「愛している。」


「え?あ、はい。」


突然告げられた言葉に、驚いて返事をしてしまう。でも、それも気に入らなかったのか、何度も何度も、好きだ、愛している。と伝えられ、混乱してきた。


「どうなさったのですか?落ち着いてください。」


「……、」


む、と口を引き結んで不機嫌な旦那様。怒っても綺麗なお顔ですね。なんて考えていたら、噛み付くように口づけられた。


「ん、ぅ?」


「…罪悪感が無いと言えば嘘になる。だがそれは、オリヴィアを愛しているから感じている感情だ。愛していなければ、そもそも罪悪感など感じない。」


「ちゅ、んん、」


「ちょうどいい、初めからやり直そう。ここには君を愛している私と、私から逃げる君しかいない。」


「んぅ、はぁっ、逃げるって、んん、」


回数を重ねて、角度を変えては長く口づけられ、合間に唇を撫でられて舐められた。え?あの、旦那様?鼻先が触れる距離で、旦那様の紺色の瞳に私が映っていて。じわじわと顔に熱が集まってきたのが、自分でもわかる。


「これから時間はいくらでもあるんだ。覚悟しろオリヴィア。」


赤面する私を見て満足そうに笑う旦那様に、愛される覚悟なんて出来ていなかった私は、恋愛の経験値がゼロだわ。なんて、思い出したくない前世の情報を思い出していた。


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