第2話 人の騙し方

「ルプリの雑貨屋、本日からリニューアルオープンよー!」

「わーぱちぱち」

「……無理して盛り上げなくとも結構よ」

 ジュースを注ぐ音、お菓子の袋を開ける音が店内に響く。

 ルシャスハイツから徒歩数分の立地に店舗を移転させた隠れ家的雑貨店の主ルプリ・セドゴーンスは、唯一の店員であるロドーネ・マクソンとその新装開店を祝っていた。

「これもひとえに、私の『錬金能力』のおかげよねー!」

「店長、声大きすぎ」

「おっと危ない」

 ルプリがパーマのかかった長めの茶髪を揺らしながら披露しかけた自慢話をロドーネが遮った。

 ルプリが『錬金能力』と呼ぶ魔法。それが公明正大に自慢できるものではないことを、ロドーネは知っていたからだ。

『錬金能力』はルプリが自身の能力に付けた仮の名前である。正式には「感覚的価値を同様に変換する能力」。同様に変換、とは、物事の本質そのものを変換することのない能力を指す表現だ。

 では全く使い物にならない能力かというと、そうではない。魔法における変換のレートは、能力者の技量で決まるからだ。シファンが人ひとりを空中に飛ばすほどの爆発から虫退治用の極めて小規模な爆発まで、両極端な威力の爆発を使い分けられるのは、変換のレートを調節しているからに他ならない。

 そうやってルプリは自身の魔法を『物の価値を自在に操る魔法』として運用していた。自らの売り出す商品の価値を高め、売りさばいているのである。

 もっとも、その価値感覚の変化は錯覚であり、一種の催眠術とも呼べる代物だが。

「でもさ、『錬金能力』が通用しない人もいるのよね。あんたみたいに」

「俺は特別だよ」

 短い茶髪の童顔な少年、ロドーネは腰に携えた剣の柄を撫でながら言う。

「もーっ! またそうやって勝ち誇っちゃって! いつか絶対あんたの剣、手に入れてやるんだから!」

「はいはい」

「それにしてもほんっと、その鍔に埋め込まれた……宝石? 魅力的よね……。欲しい……」

 ルプリは袋ごと抱えたパーティーサイズのスナック菓子を次々に口に放り込みながら、剣を覗き込んだ。




 シファンの部屋。そこにはシファンの他にクレアナの姿もあり、缶コーヒー片手に世間話をしていた。

「ミラニカの名字? ああ、チェーターキョウって言うらしい」

「チェーターキョウ。なんか偉そう」

「どうやら本当にその“卿”らしいんだ。先祖代々“卿”をつけて呼ばれてたもので、いつの日かそこまで含めて名字になったんだとか」

 話題はミラニカに関するものだ。ミラニカは口数が多い方ではなく、シファンにとって謎の多い人物だった。シファンがミラニカについて知っていることは、物静かで内職オタクな男性であることと、勤勉であること。それくらいだった。

 ミラニカに関するプロフィールに不明な点が多いことはクレアナも同様だった。故に、話題は広がる。

「そうだ、これはここだけの話なんだが」

 クレアナが姿勢を正した。シファンも思わず正座の体勢を取る。

「ミラニカの部屋を“女”が出入りしている」

 なんだそういうことか、と言わんばかりに正座を崩すシファン。だが、クレアナの二言目を聞くと再び正座に座り直した。

「ただその“女”、……恐らく本人だ。髪色も顔立ちも、……骨格も」

「そんなまさか、いや、まあ……」

 シファンの第一印象は「こじつけ」。だが、常日頃から自身を美しく見せるための努力を惜しまないあのクレアナが、見かけた謎の人物の髪・顔・骨格の3つの要素からたどり着いた結論。

 侮れない根拠を感じた。

「でも、いったいなんで……」

「早まるなよ、これは非常に繊細な話題と言える」

「……一旦話題変えよう! 今日から近所に雑貨屋さんがオープンしたらしくて……」

「雑貨屋? その話、詳しく聞かせてくれ」

 話題に食いつくクレアナ。行動に移すスピードの早い彼女が靴を履き始めるまで、あと30秒もない。




「いらっしゃい」

 ルプリの雑貨屋、リニューアルオープン初日。店員兼用心棒のロドーネが迎えた最初の客は、派手なアクセサリー類を着飾った容姿端麗な銀髪の女性だった。

 その姿は、もちろん店の奥にいるルプリの目も捉えている。

『錬金能力』一辺倒の商売にならないよう適切に運用するためには、客の観察は欠かせない。客の一人一人に売るべき商品の最適解がある。ルプリの信条だった。ルプリの能力は彼女を商人として圧倒的に優位に立たせるだけの強みを持つが、自身の目の届かない範囲での悪評に対処できるほどの強みがないことも弁えていた。

 その『錬金能力』は今日も好調だった。銀髪の女性は次から次へと商品をカゴに入れていく。表情もご機嫌そのものと言うほかない。

「店員さん、カゴ持っててくれない? 近くに自販機あったでしょ? 水が飲みたいから」

「どうぞごゆっくり」

 ルプリに気になったことがひとつ。あの客の水の飲み方は異常だ。入店時にまだ半分ほど入っていたペットボトルの水を飲み干し、まだ飲み足りないらしい。精算前に買い足すのは買い物を続けたい証拠だろうから、ルプリとしてはまったく問題ない上客と言えるが。

「ありがとー」

 銀髪の女性がまた同じ銘柄の水を買って戻ってきた。会釈しつつロドーネからカゴを受け取る。

 その瞬間。

「こんにちはー!」

「邪魔するよ」

 2人組の客が入店してきた。パーカーの少女と、金髪の美女。シファンとクレアナだ。2人は店内に入るや否や、銀髪の客を気にし始めた。

「あ、ミラニカ……」

「ミラニカだよね……」

 ルプリは勘づく。この3人、なにやら訳アリであると。この銀髪は世界的インフルエンサーで、2人はその大ファンかもしれないとか、生き別れの兄弟かもしれないとか、あれやこれやと妄想しながら娯楽としての観察を始めた。もはや『錬金能力』そっちのけだ。

 ルプリの注視する対象は既に“ただの客”ではなくなった。なし崩しに『錬金能力』は効力を弱め、この雑貨店の商品たちから異常なまでの付加価値は消え去った。

 現在ルプリに穴が空きそうなほど注目されているこの銀髪の人物、紛れもなくミラニカだった。

 彼には秘めておきたい事情があった。そして、その“事情”を忘れたり無かったことにせず、適切に付き合っていくと、その“事情”の存在に気付いた幼少期から覚悟していた。




 カクテルパーティー効果。騒がしい状況下など本来は声が聞こえづらいはずの場面においても、自身の名前を呼ばれると聞き取ることができる。ミラニカはそんな知識を想起した。

 そして、現在取るべき策を行動に移すきっかけとなったその“効果”に感謝した。

 速やかにカゴの商品を精算。それらを水入りのペットボトルと共に買い物袋に手早く詰め込み、無言で店員に会釈し店を後にした。

 この店はルプリの投資によって古民家を改装したものだ。決して大型店舗ではない。つまり、退店の際は至近距離でシファンたちとすれ違うことになる。

 同じアパートの住民同士。雑談は避けられない。

 本来ならば。




 その頃、シファンとクレアナは共にある雑貨に心を奪われていた。電源を入れた状態で音を感知すると「ワンワン」と吠えて返事をする、サラブレッドな馬の置物だ。

 馬なのにワンワン、これは傑作だ。シファンとクレアナは一言一句違わずその感想を持った。

「逆にこいつに『ワンワン』と言ったらどうなるだろうな」

「やってみよう! ワンワン!」

 おうむ返しのようにそのまま『ワンワン』と返す馬の置物。2人はもはや、その虜だった。

 やがて2人はその馬の置物を購入し、店内を後にした。帰る途中で2人ともが水を買ったのを見て、ルプリは「店頭にも自販機を置いたらいいのでは」と思った。




 買い物袋片手に、ミラニカは人目を気にしながら短い家路についていた。

 時間稼ぎはできている。帰る途中でルシャスにでも鉢合わせしたら厄介だ。よって、前方を警戒する意味がある。

 問題ない。雑貨屋の2人は既に術中。馬の置物に夢中で、しばらくしてから帰ってくる予定だから。

 ふと、声が聞こえた。

「《ミラくん、ごめん。イレギュラーだ》」

 仕方がない。作戦変更。水をがぶ飲みし、潤った口内の唾液を能力で変換、そして筋力を増強。

 ここから跳躍し、家1軒跳び越して横の通りに着地すればルシャスハイツはすぐそこだ。シファンたちを撒ける。

 跳躍のため屈むと、履き慣れないスカートが風に揺れた。

 万事休すか。




「あれー、ん? 誰?」

 誰何したのはシファンなりの予防線だ。好奇心を辛うじて一瞬押さえ込んだ優しさの賜物とも言える。

「《あれー、じゃないって! 何してくれてんのさ!》」

 そんな声掛けの直後、音もないのに確かに声を聞いた。最近どこかで聞いた気がする声だな、とも思った。

「なッ!? 何者だ!? 私の脳内に!!」

 あわてふためいたのはクレアナだ。その理由はシファンにも理解できた。自身の脳内に語りかける存在について、この場の全員が認識した。

「《『馬なのにワンワン、これは傑作だ』! 私の声で確かに意識逸れたよね!? なのになんで!》」

 狼狽えながら話す謎の声だが、その内容はシファンとクレアナにとって確かに覚えのあるフレーズを含んでいた。2人が雑貨屋でふと見つけた置物に関する、第一印象。

 顔を見合わせるシファンとクレアナ。

 あの思考、今思えば自分自身のものではなかった。あれを脳内で言い放ったのは、よく思い出してみればこの「謎の声」そのものだ。

 それからの記憶が曖昧だ。微かな記憶を辿ると、あれから喉が渇いて。

「いいよ、大丈夫。種明かしの時が来たみたいだ」

「《ミラくん……》」

 己の過去、現在、未来。そのすべてについて、ミラニカは話すと決めた。




 物心ついてすぐ、地元の保育施設主催の運動会での徒競走のとき。能力が能力だから保護者の集団に混ぜられて、位置について、よーい。

 ミラニカは『この声』に気づいた。

「《頑張れ、ミラくん!》」

 やってやるさ、と思った。違和感は無い。

 無事1位を取ったあと、考え込んだ。ミラニカは幼いなりに蓄えた知識から、“自問自答”という言葉を想起した。それでもそれは確かに“対話”だった。

「《私はね、ミラくんの魔法が生み出した存在》」

「(魔法? でも、僕の魔法は……)」

「実はね、『唾液を生命力に変換する』より、もうちょっとだけ複雑なんだ。ミラくんの魔法」

 思念だけでコミュニケーションが取れた。だから、自分の内に確かに存在するそれとの交流を欠かさずとも、その他の人間関係で代償は伴わなかった。

 ミラニカは2つの事実を知った。

 ひとつは、人が皆能力を持って生まれてくる理由だ。人が能力を所有し使役するのではない。人の魂と能力とが紐付いていて、片方があるところには必ずもう片方がある。

 一般的な能力は本人の魂と紐付いているが、それが『能力を生む能力』だった場合、行使すると魂がもうひとつ生まれる。学者の間では未だに研究段階にあるが、確固たる真実。

 もうひとつは、己の能力の正体。

「唾液を『苦痛を生命力に変換する能力』に変換する能力」、と彼女は表現した。

 能力を使うと確かに喉が渇くけど、“苦痛”ってなんのことだろう。わからない……。

 ただ。

 ミラニカは己が生み出した魂に「ライフ」と名付けた。




「ライフは女性で、しっかりとした自我を持っていた。その人生が、僕の人生の裏方で終わるのは……なんだろうな、嫌だった」

「……その子にミラニカの体を明け渡し、余暇を過ごさせていたわけか」

 彼女が思い思いの服に袖を通し、気に入ったアクセサリーを耳元で揺らしながら、自分の思った通りの言葉遣いで日常を過ごす、そのための秘密。

 暴いてしまったのは、私だ。クレアナは己の罪を痛感した。

「本当に、申し訳ないことをしたな」

「頭下げることじゃないって。僕だって本当のこと聞いてもらって、ちょっと嬉しい」

「《そうだ! もうバレちゃったんだから、喋りかけてもいいってことよね?》」

「でも、『唾液を能力に変換する』から、ライフが中にいるとその人の喉が渇いちゃう」

「《えー、水飲めばよくない? それに、加減すればあんまり渇かないよ》」

「私でよければ歓迎だが」

「《わー! ありがとう!! じゃあこれからよろしくね、クレアナ! シファン!》」

 場違いなほど明るく聞こえるライフの言葉遣いが、徐々に場違いではなくなっていった。

「それにしても、『馬なのにワンワン、これは傑作だ』って言われたときは、本当に自分の思考かと思ったよ」

「《それね、初回限定の効果っぽい。次からは話しかけてるのがバレる》」

「らしいぞ、シファン。実に興味深い話だな」

 立ち尽くすシファン。

「……シファン?」

「おーい」

「《もしかして、難しい話しすぎちゃった、とか?》」

 無言のまま微動だにしないシファン。

「……らしいな」

 その夜、シファンに一連の情報を理解させるために皆で説明を行ったが、完全に理解する頃には朝日が昇っていたという。




「ね!? “ワンワン馬の置物”! あんなのでも売れちゃうなんて、私って本当に商売の達人だわー!」

「また調子に乗る。程々にな、店長」

 ミラニカが去ったあとの雑貨屋で、ルプリは再び『錬金能力』を使い始め、シファンたちに馬の置物を買わせていた。ライフが「買うか買わないか迷う程度の金額の商品」として目を付け、時間稼ぎに利用するはずだった馬の置物をいとも容易く購入させたルプリの存在こそ、ミラニカの誤算だったと言える。

「それにしても水、売れてたな」

「そうなのよロドーネくん! 自販機、明日到着するから。設置手伝ってあげるのよ!」

「仕事の早いこと」

 あれほどまでに高まった水需要のバブル崩壊は、既に起こっていると言っていい。だが、ルプリはまだその事実に気付けずにいる。

 ルプリもまた、ミラニカの能力の正体を知らないのだから。

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