11.(10)

 マチルダさんへの、呆れたようなその口調。

 僕らはぱっと部屋の入り口を見た。

 そこには暗い色のマントのフードとスカーフで顔を隠し気味の男性が立っていた。

 彼はだらりと寛ぐベンを抱っこしていた。タマは足下で、付かず離れずの距離を保っている。


「トリオ!」


 名前を呼ぶと同時に、僕は走ってトリオに飛びついた。挟まれかけたベンは器用にするりと抜ける。

 僕より少し背の高いトリオは、拒まずに僕を迎えてくれた。彼の顔にかかっている布がゆらりとゆれる。


「良かった! ここでは会えないかと思ってた!」


 基本的におとなしいとか穏やかと言われる僕が、感情のままに人に抱きつくなんて普段は絶対やらない。


 ましてや男に。


 でも、ここでは会えない、もしかしたらずっと会えないかもしれない可能性さえ疑っていたトリオが戻ってきてくれたことが嬉しくて、僕は「良かった!」と連呼しながら笑って、トリオにしがみついていた。

 僕の頭がぽんぽんと叩かれる。


「心配かけてすまんのう。あのわからず屋の説得と説明に手間がかかってな」


 近くで聞こえてくる声は柔らかい。

 ああ、この元鳥は本当に優しい。


「とにかく無事に帰ってきて良かったよ……」


 穏やかな気持ちになった僕はトリオから離れた。マチルダさんはトリオの向かいに立ち、肩にポンと手をおいた。


「おかえりさい。トリオ。思ったよりは遅かったわね。お疲れ様」

「何こっちの質問誤魔化そうとしちょるんじゃ!」


 さっき不穏なことを言われたので、当然ながら、トリオはマチルダさんに抗議する。矛先のマチルダさんは口を尖らせる。


「なによー、人聞き悪いわねー」

「悪いのはそっちじゃろ!」

「えー、まあ、今度はこっちが口説き落とすと言ってたくらいだし、不安にさせちゃったのかなとは思ったけど」


 見かけ的には許せるかもしれないけど、案外クサいこと言ってた美形の男性は当然慌てた。


「な、何で声に出すんじゃっ!」

「心配する必要はないから、そんなことより、アリアよアリア! アリアはどこよ!」


 トリオを投げやりに宥めようとしたマチルダさんと僕は、背伸びしてトリオの向こうを見た。そこには誰もいない。

 疑問に思って首を捻る僕たちに、トリオは頬をかいた。


「あー、アリアは、ちょっとのぅ」


 マチルダさんの表情は変わった。


「え、まさかアリア戻るの? あんた、何、手ぶらで帰ってきてるのよこの説得ベタ! あっちにいるよりも、わたしと一緒の方が絶対幸せよ!」

「落ち着けい」


 トリオは語気を強めるマチルダさんの背中をポンと叩いた。


「一応、こっちに来る気にはさせた」

「えー、じゃあ何でいないのよ。この嘘つき元バカ鳥」

「落ち着け言うちょるじゃろ。問題なく来れるようには、準備が必要じゃと言うちょった。世界もアリア自身もな」


 トリオは説明し始めた。

 ただ外との繋がりをなくすだけでは、外の世界で不審に思われる可能性があるらしい。だから、もともとアリアはこちらの世界が外から見つからないようにするつもりだった。

 その作業を終えてから、こちらに来るつもりらしい。

 また、アリア自身もこの世界に馴染むよう、過ごせるようにもするらしい。


「ただ、その作業は、どれだけかかるか分からんらしい。やり方自体はあるし、最速で何とかするとは言うちょったが」

「えー、そんなかかるの? とは言っても、外の話だとトリオに手伝わせられないものねぇ」

「……あんなところ、絶対もう行きとうないわ」

「うーん、せっかく記憶戻ったし、アリアには今すぐでも話したいことがいっぱいあるのに。それってわたしが死ぬ前に会えるのかしら、ボケてないといいんだけど」


 突然未来の話をし始めたマチルダさんに、僕は言った。


「え、まさか、そんな気の長い……」


 僕の言葉に制止が入った。トリオだ。


「そういうことじゃ。あちらとこちらは時間の感覚が違うし、作業時間も分からんしで、どれくらいでここに来れるか分からんらしい。もともとあいつはこちらに戻らんつもりで動いちょったことから、作業を早く行うという観点では何もしちょらんかったらしいしな」


 その説明に対し、表情を変えることが全くできない僕に対して、トリオは続ける。


「じゃから、ユウ」


 一息おいて、トリオは言った。


「自分のことは待つなと言うちょった。……約束、しちょったんじゃろ?」

「いや、約束はしてないんだけど……」


 この前、したかったんだよなぁ。

 約束という言葉で、ハヅの惣菜屋の前で、二人で並んで話したことを思い出した。

 告白という以前に、そこに男女としての意味をもっていたかすら分からないけど、彼女から「好き」という言葉を聞いた時は、心が浮き足立った。

 さっきは、二人で顔を赤くして立ち尽くしていた。

 目を潤ませ、戸惑った表情で真っ赤な頬をしたアリアは、どんな姿なのかは関係なく、僕にとっては今まで生きてきた中で一番可愛い女の子だった。

 一昨日、僕はアルバートさんに協力してくれと言われた。アリアをこの世界に戻れるようにしたいと頼まれた。

 僕は頷いた。三人に比べたら僕がやることはたいした事はないんだけど、ただ、アリアが僕と同じ世界にいてくれればいいのにと思った。

 でも、正直なところ、彼女とこれから先同じ道を歩けると思っていなかった。会いたいんだけど、それに関しては無理な結果になるかもしれないなとは薄々感じていた。


 多分だけど、僕は少なくともアリアに嫌われてはいないと思う。うぬぼれかもだけど、多分全く脈がない訳ではなかったとは思う。

 でも、それは彼女が本当にフミの町のお嬢様だったらの話だ。

 世界を管理してきたという想像もつかないことをしていた女の子と、その辺の村人である僕。

 二人を繋げる道を見つけることなんて出来ないんじゃないかなと思っていた。


「やっぱりダメかぁ」


 つい口元から出た言葉に、トリオが頭を下げる。


「ユウ、悪い」

「いや、トリオが悪いわけじゃないし」


 僕が彼女とどうこうしたいということに関しては、現実ではとんでもなく起こり得ないことなんだろうなと覚悟してた。

 当たって欲しくないと思いつつ。


「トリオ、伝えてくれて有り難う。帰ろうか」


 僕は二人に帰宅を促した。



 これが、失恋なのかなぁと思いながら。

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