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 僕はアリアを見た。彼女はさっきまで神殿の仕組みについて、僕に教えてくれていたけど、今はしゃがんで、リュックから冊子を取り出している。僕はそんなアリアに聞いてみた。


「何それ」

「次にやる作業の手順書。私はマチルダと違って記憶力も悪いしね。間違えないように作ってる」

「そんな言い方しなくても。知ってる手順も正解を読みながらのが間違えないと思うよ」

「ありがとう。ユウは優しいよね」


 可愛く微笑む美少女が手に持つ冊子を覗くと、見たこともないぐにゃぐにゃした文字とカクカクした文字がたくさん書かれている。

 僕は恐る恐る聞いた。


「……これ、アルバートさん読めるの?」

「いや、これは私しか読めない、さっきのはアルバートにも読めるように書き直している。こちらは私にしかできないから」


 外からの繋がりをトリオが内側から強制的に破損させ、アリアが外から切断して、外からの繋がりを完全に遮断すると言っていた。僕にはやり方はわからない。


 ただ、これだと一つ問題があるのは理解していた。


 僕は、目的のついでに、聞きたかったことを彼女に確認することにした。

 多分、今の彼女とこうやって話せるのはこれが最後だから。


「二百年、このために動いていたの?」


 アリアは頷いた。


「そうだね。君達と私の時間の感じ方は違うと思うけど、私にとってはこの世界に降り立って過ごした時間はかけがえのないものだ。ユウと出会ったこの数週間も物凄く濃密な時間だよ」


 彼女は柔らかく微笑んだ。


「ユウと会えて良かったよ。楽しかった」

「うん。僕もアリアと会えて良かったよ」


 僕の言葉に、アリアはピンク色の頬を緩ませ「ありがとう」と微笑んだ。


 好きな女の子が、柔らかい表情でそんなことを言ってくれるのは物凄く嬉しい。頬が熱を持ってくる。


 僕は冷静になろうとして、話をかえてみる。


「あ……アルバートさんとは付き合いは長いの?」

「四十年ちょっとかな。夫妻に第二子が産まれる頃、彼に近づいた。アルバートは最初、私を神の使いだと思ってたな。彼には勇者の権限を部分的に分け与えている。今トリオさんに渡そうとしているものさ」


 勇者と魔王の力を持つ存在。僕にはとても得られない強い力の持ち主。


「だから僕をこの世界に戻せたのか」

「そう。ニルレンがいない間に、様々な手段をアルバートと調べたり試したりしてた。半分だし、真逆の属性をもたせたから、無理はさせてたかも……」

「アルバートさんは気にしていないとは思うけど」


 そう僕が言うと、「だったら良いけどね」と苦笑する。


「度々姿をかえてやって来る私を、アルバートは何も言わず受け入れてくれた。彼は私にとってこちらでの親戚みたいなものかな」


 こちらでの。

 その言葉が頭から離れないまま、僕は聞く。


「……外の世界ってどんななの?」

「知ってはいるけど、実際の所はよく知らない。私はあいつの思考も、外の世界の知識も、記憶も組み込まれている。私のことのように思い出すことはできるけど、私自身の思い出ではないから」


 僕は曖昧な相槌しかうてない。


「だけどね」


 アリアは僕をじっと見る。


「この思い出はあいつのものじゃない、私だけのものなんだよ。だから、奪われたくないんだ」


 普段よりも、妙にあどけない表情で彼女は微笑む。


「ユウとこうして二人で話しているのも、私だけの思い出だ」


 前に夜の森で二人で話していたことを思い出す。彼女は「学校に行った記憶がある」と言っていた。その他人行儀な言い方には違和感しかなかった。

 あれはやっぱり彼女自身の記憶ではなかった。


 自分の世界に引きこもろうとする存在。

 自分と極めて似た考えを持つ存在。

 アリアはその記憶の持ち主のために、この世界を管理していた。


 ごく普通の村人の少年であるはずの僕は、思っているより大きな存在の記憶を持つ少女に恋をしたのかもしれないし、その大きな存在は、その名前から想像するよりも、小さいのかもしれない。


 僕の足元は思っているよりも脆いのではないかと、床を見て息を呑むこむ。


 でも、もうちょっとだけ、僕はアリアのことが知りたい。

 唇を軽く噛み締めた後、聞いてみることにした。


「……その姿って本物のセアラなの?」

「いや、最初だけ。君たちが来たのが予想よりもかなり早かったから、設定が分かる、彼女の身体を大急ぎで借りさせて貰った。今は本人じゃなくて、模した姿だよ」


 あの時、淡々とした口調ではあったけど、彼女は物凄く慌てていたのかな。

 当時は分からなかったけど、いまなら読み解けるかもしれない。

 あの、遠目で見たふわふわしたピンクのドレスのお嬢様を思い出す。

 物語の表紙を金色の縁取りで飾っていそうな可憐な少女。

 見たことないくらいの美貌をもつ彼女は、僕と同じ世界の住人とは思えなかった。


「つまり、セアラが勇者の仲間だったわけか」


 アリアは目を大きくする。


「ユウって本当に頭がいいよね」

「……言い方」


 僕とあまり年頃が変わらなく見えるのに、過ごした世界の違いからか、彼女の褒め言葉は何となく上からだ。


「当初はセアラを誘導して接触させるつもりだった。自分は後で必要になったときに適当なのを作ろうかと思ってたから、完全に想定外だ」


 そして、彼女はいたずらっぽく微笑んだ。


「でもさ」


 いつもは淡々とした口調にあった表情なんだけど、その表情はとても幼く愛らしく見えた。


「絶世の美少女になれる経験なんて普通ないからいい経験だよね」


 微笑む彼女の容姿は本当に整っている。

 本で見かけたつまらない表現だけど、滑らかでふんわりとした金髪。透き通るような白い肌。空よりも深い青い瞳と縁取られる金色のまつげ。ピンク色の柔らかそうな頬。人形のように現実離れした容姿の少女は、現実ではおろか、トビィに預けたアイドルのコレクションでも見たことないような美しさだった。


 ただ。


 最後かもしれないと思うと、今この瞬間、僕はどうしても彼女に伝えたいことがあった。

 ……今やれることで、多分一番効果的だろうし。


 マチルダさん達の方を気にし始めるアリアに、僕は慌てて大きめの声でひと声かけた。


 うん。今だ。今、言わなきゃいけないだけだ。

 それだけだ。他の意味はない。

 ない……。

 自分にそういう言い訳をして、息を飲み込んだ。


「……セアラの姿は確かにきれいだよ」

「でしょ。創造神の楽しみの一つだしね。色んな衣装や髪型があるんだよ」


 何でか得意げに言う彼女に対し、僕は勇気を振り絞って言うことにする。


「で、でも! 僕は!」


 今、僕は彼女の声と、自分の心臓の音しか聞こえない。

 気合いを入れすぎたせいで声が大きくなる。勢いに呑まれた形のアリアはきょとんとする。


「あ、アリアの本当の姿の方が! 絶対もっと、可愛い……と思う……よ……」


 かなり覚悟して言ったけど、だんだん地面を見つめながらになってしまったし、随分とぎれとぎれの細くて小さい声になってしまった。


 ……や、やっぱり届かなくていいや。

 なかったことにしよう。


 最初の方しか聞いてないことを期待して前を向くと、彼女は目を大きく開いて、唇を強く噛んでいた。頬も真っ赤に染まっている。

 潤んだ目で僕を見て、銀色の鈴が転がるような声が、僕の名を小さく呼んだ。僕の顔が熱くて手は汗で冷たい。見えないけど、自分の顔が赤くなっているのが嫌でも分かる。


 ダメだ。


 これ以上、何て言えば思いつかない。

 ……失敗かもしれない。

 人生経験の少ない二人で黙りこんでしまい、弱り始めた頃、僕とアリアのところにも強い光と衝撃音が飛びこんできた。

 強い衝撃が僕らを襲ったけど、救われた気持ちになって、僕は前を向く。


「解除できたわ! アルバートさん、保護をお願いします!」


 音の間にも、マチルダさんのはきはきとした凜々しい声が響いた。


「任せてくれ」


 アルバートさんは杖の頭を下に向け、マチルダさんは光の塊となっている左腕を振った。更に緑色の光が三人を包む。




 光が収まると、アルバートさんは杖に寄りかかりながらうな垂れていて、マチルダさんは手を繋いでしゃがみ込んでいた。


 そして、マチルダさんが手を繋いでいる男性を僕は見た。同じくしゃがみ込んでいる。


 ああ。


 出会ったのが鳥の時で良かったなぁ。


 声が分からない程度に距離を取っている。その姿をはっきりと確認できるほどではない。


 それでも。


 もしこの姿で出会っていたら、僕は今こんなに仲良くなれていない。

 緊張して、会話をしようとも思わないだろう。


 彼は、足下にいた三毛猫と茶色の毛並みの猿に笑いかけた。

 セアラとは色彩の違う薄い金のやや長めの短髪に、大きめの緑色の瞳。すっとした鼻筋。背が高いと言うほどではないが、低いわけでもない中肉中背の中性的な男性がそこにいた。


 ついさっきまで愉快な見かけの黄緑色の鳥だった男性は、しょんべんちびるが大げさではない程度には、現実離れした美しさの持ち主だった。




☆☆☆

トリガモトニモドッタゾ!

さらりとアリアについても説明してみました。


というところで、10章終わりです。

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