童神

夏香

童神《わらびかみ》

 盛大な結婚披露宴だった。出世街道まっしぐらの長身の新郎。その新郎と永く愛し合った白いウエディングドレスの新婦。クリスマスとハロウィンが一緒にやって来たようなにぎやかさだった。

 村上尚美むらかみなおみは、披露宴の帰り、タクシーの中で夕暮れの街並みを、ぼんやりとながめていた。

 同期入社の女子社員が、結婚していくのを見るのは嬉しいことでもあるが、自分がまだ独身の場合は、「おめでとう」の言葉もうわべだけの言葉になってしまう。

 尚美は溜息ためいきをついた。今年三十八歳。社内では、自分と結婚した友人だけが最後まで残っていたが、今日で社内で独身なのは自分一人となってしまった。

 しかし、たとえ自分一人が取り残されても、自分に恋人でもいるならば独身だってかまわない。しかし、生まれながらにして引っ込みがちな性格の尚美は、異性にも消極的で、今だにそんな相手も見つからなかった。

 家に帰って居間に明かりをつけた。暗い家に帰るのはもう慣れている。

「お母さん、ただいま」

 尚美は、薄暗い廊下を歩いて行き、すでに休んでいる今年七十歳になる母親に声を掛けた。父親は八年前に亡くなっている。尚美は一人っ子、兄弟はいない。両親の面倒は最後まで尚美が見なくてはならなかった。

 尚美は、仕事以上に疲れた披露宴に肩がり、風呂にも入らず、そのままベッドに入ってしまった。

 ウトウトしていた尚美が、その声に気づいたのは、深夜午前二時を過ぎたころだった。

 十二月の深夜、北風がぴゅ~ぴゅ~と音を立てて電線を揺らした。その風の音の中で、悲鳴にも似た子猫の泣き声が聞こえてきたのだ。

 放っておこう。尚美はそう思い、子猫の鳴き声を無視して布団の中に潜り込んだ。  

 ずっと前にもあった。玄関先、段ボール箱に捨てられていた子猫がいたのだ。その時は、真夜中に仕方なく起き出して家の中に入れてあげた。しかし、今日はそんな気にはとてもなれない。子猫にはかわいそうだったが、拾ってあげるような気分じゃない。

 尚美は、誰か心の優しい人が拾ってくれないか、通りがかりの誰でもいい、子猫を拾ってあげてほしい。そう願いながら、尚美は布団の中で子猫の鳴き声を聞いていた。

しかし、ここは商店街の裏通り。尚美の家の両隣は空き家だ。この子猫の鳴き声が聞こえているのはこの家だけだろう。尚美は、布団を頭からかぶり、子猫の鳴き声を無視した。

 

 お願いだから、泣き止んで……

  

 なんとか泣きやんでほしいと心底思ったが、子猫は一時間たっても泣き続けていた。  

 お腹も空かせているだろうし、きっと寒いだろう。箱の中で真冬の寒さにこごえているに違いない。

 「まったく」

 尚美は、舌打ちしながら半ばヤケクソで布団を跳ね除け、パジャマのまま起き出し、玄関まで冷たい廊下を素足のまま小走りしていった。

 今日だけ、今日だけは暖かい家の中に入れてやろう。そして、明日はどこかに捨ててしまおうと尚美は思った。

 玄関を開けると、思ったとうり段ボール箱が置かれている。子猫の鳴き声はその箱の中から聞こえている。たぶん産まれたばかりの子猫だろう。

 尚美は箱の中をのぞき込んだ。

 その時だった。尚美は自分の目をうたがった、そして言葉を失った。

 尚美は、あわてて母親が寝ている和室へ走っていった。

「ねえっ! お母さんッ! 大変ッ! 赤ちゃんが捨ててあるッ!」

 段ボール箱に入っていたのは子猫ではなく、人間の赤ん坊だったのだ。



「いってらっしゃい、車に気をつけるのよ」

 尚美は、娘の架純かすみの背中に声を掛けた。

「わかってるよ、いつまでも小学生扱いしないでよ」

 架純かすみが自転車にまたがったまま、後を振り返った。

「だって、先月までは小学生でしょ、あなた」

 娘の架純は、ほほふくらませながら自転車を漕いでいった。架純は今年の四月から中学生になったのだ。

 尚美は、セーラー服の後ろ姿を見送った。

 子供の成長とは、なんと早いのだろうと思った。あの日から十三年がたったとは思えない。

 尚美は、あの日、捨てられていた赤ん坊を、なんと、自分の産んだ子供として区役所に届けたのだった。

 あの日のことは、昨日のことのように覚えている。


「どうしようか、お母さん?」

 尚美は途方とほうにくれてしまった。独身の尚美には赤ん坊をもったことがなく、どうしていいかまったくわからない。母親も声も出ず黙ってしまったが、とにかくおちちをあげたらどうかと言った。

「お乳ったって……」

 出るわけがない。でも、なんとかしなくちゃと思い、尚美は出るはずもない自分の乳首を、泣きじゃくっている赤ん坊にくわえさせた。

 赤ん坊は夢中になって、出るはずのない尚美の乳首を、チュパチュパと吸った。

 尚美は、自分の乳首を吸わせながら、これが「母親」になるということなんだと実感した。と同時に、赤ん坊とはなんと可愛いものなのだろうと、心の底から思った。         いつか警察や区役所に届けよう、届けようと思いながら、知らず知らずの間に、時が経ってしまったのだ。



 赤ん坊の名前は、かすみ草が好きだった母にちなんで「架純かすみ」とした。その母も三年前に亡くなった。

 尚美は、 いつかは本当のことを架純に話さなくてはならない日がくるだろうと思った。そしてその時、あの子はどんなショックを受けるのだろうか。考えるだけで憂鬱になる。そんな日が永遠に来ないことを今は祈るしかないと思った。

 尚美は、小さくなっていく娘の後ろ姿を、いつまでも見送った。


 THE END



 

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童神 夏香 @toto7376

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