惑わす海

永字八法

序章

騒騒。騒騒。海の騒めきが聞こえる。

その一つ一つの音には、寂しさが宿っていた。

ただ真っ白い砂浜。

その中央に立つ男。

吹き荒れる風をものともせず、男は砂浜に立っていた。

男は、ぶつぶつと呟き始めた。

いや、呟くという表現はおかしいのかも知れぬ。

兎角、呟いているというか、唱えているかのような、そのような感じだった。

しかし、一定のリズムはあるらしく、男もそれをわかって唱えているような感じだ。

私が聞いたどの宗教の経文にもこんなものは無かったはずである。

外国語でもない。私は少々英語や中国語などはニュースなどで聞いている。

まさか、呪詛ーーーー。

私の脳裏に時代錯誤なものが浮かんだ。

否、そんなことはなかろう。

信じるしか無かった。

かなりの時間が経ったのかも知れぬ。

男は最後に、おそらく日本語らしい言葉を残した。

「ありがとうございます」と。

風の声、潮騒。

音は次第に大きくなっていく。

男の声はやんだ。

しかし、砂浜の砂の擦れる音、風の声、潮騒。

混ざり合う自然現象。

男など、本当は生贄だったのかも知れぬ。

私も、この浜の近くに住む人々も、魚も、蛸も、蒲公英も、すべての生命が、生贄なのだ。

大きな悪意による人々の殺戮ーーーーー。

それに応えたのは、また無数の悪意であった。

私の耳に、奇妙な鳴き声が聞こえてきたーーーーー。


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