師匠

諏訪原天祐

師匠

 えー、たくさんのお運びでありがとうございます。こんなにたくさんの方に足を運んでいただけるというのは、落語家冥利に尽きるものでありますね。わたくしもたいがい売れない落語家でありましたからね、こんなに多くの方にわたくし最期の独演会、来ていただけるなんて思ってもおりませんでした。師匠からはよく「お前は客入りが多いとはしゃいじまうからいけねえ」と言われておりましたが、これはさすがにはしゃがずにはいられないでしょう。

 皆様もおそろいの一帳羅で着飾って、まるで渋谷のカラスのよう。なんて慣れない客いじりまでしてしまって、向こうに行ったらきっとあのクソジジイに怒られてしまうでしょう。

 ところでわたくしの師匠、先ほど申したクソジジイこと四代目金苗亭金秀というろくでもない親父がいましてね。もう二十年前に亡くなっているんですがね、皆様もたいがい迷惑をかけられていたでしょう。

 金秀の弟子は、一応わたくしを筆頭に、秀東さん、栄秀さん、三代目馬団さん、あとは秀太郎と総勢五名のよく言えば少数精鋭、悪く言えば糞親父のところしか行く当てのない落伍者の集まりでありました。みんな、わたくしより先に金秀のところへ行ってしまいましたがね。

 さて、金秀が若いころは金秀の尻を拭うため西に東に奔走していた金秀一門の面々でありましたが、金秀も年を取り、とうとう物理的に尻を拭わなくてはいけないことになりました。こうなりますと、一番問題となるのが身寄りのないあの偏屈ジジイの面倒を誰が中心となってみていくか。わたくし以外の四名は当然自分がやりたくないものですから「惣領弟子のあんたが適任だい、どうせ金秀も継ぐのだから」と言って譲ってくれるのです。

 当然わたくしも抵抗します。

「忙しいからそこまで手が回らん」

「何を言っていやがる、先月のスケジュール、二週にいっぺんのラジオしかなかったじゃないかい」

 無事に尻拭い役を襲名することと相成りました。

 まあ、とりあえずは見舞いに行かなくてはいけない。そう思い、わたくしは金秀が収容された病院へと赴きました。

 金秀のくせにいい個室に入っていやがると内心悪態をつきながら、病室の扉を開けました。そこには枯れ枝のようになった金秀がぼおっとテレビを眺めているではありませんか。

「おお、秀三か。お前さんが一番乗りだ。さすがだな」

「師匠、遅くなって申し訳ありません。」

 師匠はこういうお決まりのとでもいうのでしょうか。こんなやり取りをひどく嫌がります。例によって、あの嫌そうな、コオロギでもいっぺんに口に運んだのかのような表情を浮かべ、あっという間に眉間に渓谷ができます。

「お前さんは相変わらず思ってもいないことしか言わねえ。全く可愛げがないところなんか誰に似たんだか」

「師匠は、とうとう向こうに寄席しに行くのですか」

「馬鹿野郎、勝手に殺すんじゃねえやい。と、言いたいとこだがな。どうやらもう長くねえようだ」

 さすがのわたくしも返す言葉がありません。なんせ、ずっと隣で見てきた人なのですから。さんざっぱら悪態ついても、心の底から憎んだことなんて一度もありません。

 黙り込むわたくしに師匠は続けます。

「お前さん、お前さんに一つ言っておきたいことがある」

「なんでしょう」

「俺あ、昔、『誰にも見せたことのない、とっておきのネタがある』ってお前さんに話したことがあるな」

「ああ、そんなこともありましたね」

 忘れもしません。わたくしと師匠が九州は小倉へ二人会をしに行ったとき、ぼろぼろの居酒屋でふと漏らしたことがあったのです。

「俺はな、まだ誰にも見せたことがないとっておきのネタがあるんだ。それを見たら、みんなひっくり返って驚くぞ。俺が死ぬ時にゃ、お前さんに受け継がせてえもんだなあ」

 普段、ネタのことそっちのけで競馬のことばかりしゃべり、弟子に稽古なんてろくにつけようともしない師匠がそんなことをふと言うもんですからわたくしは鮮明に覚えておりました。

「そのとっておきのネタ、お前にだけ教えてやる」

「そんな……」

 嬉しさ半分、悲しさ半分。それもそうです。これを伝えるときが自身の死ぬとき。師匠はもう自らの死期を悟っているのです。そのことをありありと突きつけられるようでした。

「ぼさっとするな。受け取れ」

 そういって師匠はわたくしに二枚の紙と一つのカセットテープを手渡します。カセットテープには几帳面な字で『粗忽長屋』と書いてあります。

「師匠、まさかとっておきのネタって『粗忽長屋』ですか? 確かにいいネタですけれど、わたくしも師匠ももうずっとやっているネタじゃあありませんか」

「馬鹿野郎、ただの『粗忽長屋』じゃあねえ。その紙を見てみろ」

 これまた几帳面に折られた紙を広げました。そこに書かれたものを見てわたくしは言葉を失いました。

「……、言ったろ? ひっくりかえって驚くってな」

 師匠が亡くなったのはその一週間後のことでした。

 師匠の葬式には多くの人が参列しておりました。なんだかんだで人望があったようで、見知った顔から、テレビでしか見たことのないスタァまで様々な顔ぶれが、師匠の死を悼んでおりました。

 坊さんが経をあげ、葬儀場全体が厳かな雰囲気に包まれる中、棺からガタンと音がしました。ガタンはやがてガタンガタンとなり、ガタンガタンがガタガタガタとなるころには、坊さんも読経を止め、会場の参列者もみな棺へ目線が釘付けになりました。

 ガゴン。

 棺が開き、死んだはずの師匠がのっそりと出てきます。

 葬儀場は阿鼻叫喚。しかし師匠はそんなことには目もくれず、棺の蓋を元に戻しそこへちょこんと正座をし、

「えー、世の中には粗忽な野郎というのも随分といるようですが……」

と、枕を始めたではありませんか。明らかに異常な状況でしたが、さすがは大落語家。葬儀場の喧騒も徐々に落ち着いていきます。

「そんなあたしも随分と粗忽者で、死んだと思って慌てて棺桶の中入ったはいいものの、どうも勘違いだったみたいですねえ。なんつったってこうしてまた高座にあがっているのですから」

 参列客から笑いが起きます。こうなってしまってはもう金秀の思うつぼ。皆、葬式中だということも忘れて金秀の噺に聞き入ります。

「なんてどうしようもないアタシではありますが、世の中にはそんなアタシと変わらないくらいに粗忽な者もおりまして――」

 師匠はゆっくりと羽織を脱ぎ――。

 肩からビームを発射しました。

「ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーー‼」

 何某とかいう俳優にビームが命中しあっという間に炎に包まれます。葬儀場はもうてんやわんやの大騒ぎ。

『前のほうでさっきから見ているお人、心当たりがないならさっさと行ってくんろ――』

 師匠はとつとつと『粗忽長屋』を演じ続けます。肩口からビームを出し、葬儀場を焼き払いながら。

『おい! 熊! 熊公や!』

『……なんだい八の野郎。何を慌てていやがるんだい。空き店叩いていやがる』

 燃える葬儀場。

『熊公、熊公、うるせえったらありゃしねえ。長屋はあいつ一人で住んでんじゃねえってんだ』

 逃げ惑う人々。

『まったくあの野郎はそそっかしいうえにせっかちだってんだから、どうしようもねえ』

 演じ続ける師匠。

『熊の野郎もそうだよ。呼ばれてんだから返事くらいすりゃあいいじゃあねえか。そういや熊ってえ誰のことだ。……、ああ、俺のことかあ?』

 四方八方飛び交うビーム。

 誰も彼も師匠の落語を聞くどころではありません。ただわたくしだけが、師匠のとっておきを知っていたわたくしだけが、炎の真ん中で演じ続ける師匠を見つめておりました。

『叔父さんの家でご馳走になってそれから方々歩いて、馬道に夜明かしが出て、酒の五合も飲んだかなあ。それからふらふら、ふらふら歩いて観音様の脇を通ったところまでは覚えてるんだがなあ。そのあとは、どこをどうやって歩いてきたのか、どうやって歩いてきたのかまるきり覚えてねえ』

 いよいよネタも終盤に差し掛かってまいりました。葬儀場はもうほとんど焼け落ち、周りには肉の焦げる嫌な臭いが立ち込めてきました。そこかしこには、丸焦げになった参列者がごろりごろりと転がっております。しかしわたくしはもうそんなことはどうだってよくなっておりました。師匠の、本物の粗忽者の、熊公のように生きているのか死んでいるのかわからなくなった者の、「本物」がそこにあるように思えました。

『それ見やがれ! それが何よりの証拠じゃねえか! おめえは屋台で悪い酒食らっちまってそんまんま観音様の境内で我慢できなくなって死んじまったに違いねえ! この野郎、そそかっしいのにもほどがあらあ。おめえは死んだのにも気が付かねえでそんまんま帰ってきちまったんだろうが!』

 師匠が今日一番の声を張り上げたと同時に、師匠の目がビカリ、光りました。

 光ったと同時に、太い太いビームがわたくしめがけて飛んできて――。

 目を覚ましますと、わたしは師匠の棺桶の目の前に転がっておりました。師匠は恍惚とした表情で、生涯最後のネタを終えようとしていました。

『何がわからねえ?』

『抱かれているのは確かに俺だけど、抱いてる俺はいったい誰だろう?』

 サゲを言い終わり、頭を下げ――。

「ああ、やっと死ねる」

 そう呟くやいなや、師匠が爆発しました。木っ端みじんになった師匠が、もうすっかり焼け野原となった葬儀場中に飛び散ります。わたくしはいつの間にか、涙を流しておりました。それは何に対しての涙かついぞわからないままでありました。

 ……、ずいぶんと長い枕となってしまいましたね。でも皆さん、しっかりと聞いてくださって安心しました。生涯かけてこの道に打ち込み、ようやく師匠の足元くらいには来れたのでしょうか。

 弟子は師匠に似るとよく言います。とくにわたくしは最近、四代目金秀の生き写しのようだと言われることも多くなっておりました。師匠は先ほども申しました通り大変な粗忽者で、その弟子のわたくしもまた、ずいぶんと粗忽者のようであります。

 粗忽者といえば、はるか昔の江戸にも、それはまたずいぶんと粗忽な者もおりまして――。


 師匠、五代目金苗亭金秀はそう言うと、ゆっくりと羽織を脱ぎ――。

 肩口からビームを発射しました。

 葬儀場はもうてんやわんやの大騒ぎ。皆一様に逃げまどいます。

「何してるんですか! 兄さんもさっさと逃げましょう!」

 弟弟子はそう言ってわたしの手を引こうとしますが、わたしはその手を振り払いました。同時に、ビームが弟弟子に命中します。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼」

 阿鼻叫喚、灼熱地獄の騒ぎの中、わたしはそこから一歩も動けず、師匠の最後のネタ――『粗忽長屋』に聴き入ります。

『それ見やがれ! それが何よりの証拠じゃねえか! おめえは屋台で悪い酒食らっちまってそんまんま観音様の境内で我慢できなくなって死んじまったに違いねえ! この野郎、そそかっしいのにもほどがあらあ。おめえは死んだのにも気が付かねえでそんまんま帰ってきちまったんだろうが!』

 師匠の目がビカリと光ります。一際太いそのビームは、わたし目がげて飛んできて――。

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