『黒羽美緒』
「つつじ、真矢、おかえりなさい」
仕事中に『戻ったら応接室に来るように』という旨のメッセージが入っており、つつじが運搬を終えて社に帰り、言いつけ通りに真矢と二人で部屋へ向かう。なんだか最近似たようなことが多いなと考えながら二人が部屋に着くと、そこには七華と、最近すっかりつつじと顔馴染みになった桜の他に、二人の女性の姿があった。
「あなたが、つつじちゃん?」
その内の一人が、七華の口ぶりから推測して、つつじに声をかけた。間違いなく初対面のその女性は、当然つつじの事を知らなかったが、つつじは彼女が誰であるのかを知っていた。
「は……あえ………」
つつじはあまりの事に声が震えて、悲鳴すらあげられなかった。
「七華ちゃんが、すごい式使いだ、って言ってて、会うのが楽しみだったの」
つつじの前にぴょこぴょこと軽やかな足取りで寄ったのは、シンデレラナイト二連覇を成し遂げた、最強のペア『マテリア』のナイトだった。
「よろしくね、つつじちゃん」
つつじの手を取り、勝手に握手を成立させる。しかしつつじはその温かな肌が触れる感触を、知覚できていなかった。
「………っ」
焦点の合わない目をしたつつじの鼻から、たらり、と鼻血が一筋流れ落ちると、そのまま慌てて真矢が背中を支えようとしたのも間に合わず、バタンと音を立てて、仰向けに大の字で卒倒した。
七華の判断で、応接のソファに寝かされたつつじが目を覚ますと、そこに卒倒する原因となった美緒の顔が、さらに近く、鼻がぶつかりそうなくらいのところにあり、即再び意識を失いかけたものの、下腹部にグッと力を込めて、意識を強く持つ力技でなんとか堪えた。
「ごめんねつつじちゃん、びっくりさせちゃって、まさかそんなに驚かれると思ってなかったんだよ」
予告なく、世界最強のチャンピオンが目の前に現れたら誰でもそうなると思う、と、つつじは心の中で強くツッコんでいた。
「七華ちゃんがあらかじめ言っておかないのが悪いんじゃないの?」
それについては美緒自身にも思う所があるようだったので、つつじの溜飲も下がりかける。
「美緒が私の立場だったら、言った?」
「うーん、絶対言わなかった!あはは」
こんなやりとりのおかげで、つつじの情緒はもうめちゃくちゃだった。目の前で、憧れの最強のチャンピオンが笑っている。あまりにも現実味がなかったのと、その笑い方がなんと言うか、とても親しみやすかったおかげで、なんとか意識を保つことができていた。
「改めまして、黒羽美緒です。私を知ってるなら、しーちゃんも知ってるよね」
「朝倉紫音です。つつじさん、真矢さん、ごめんなさい。突然来てしまって」
改めて自己紹介を受けて、差し出した手を取った時、つつじの幸せは絶頂に達していた。
「さっきも言ったけど、つつじちゃんの式使いがすごいって話で、楽しみだったの。桜からも聞いたけど、他人の空間跳躍の出口を塞ぐとか、魔法の銃弾を無効化しちゃうとか」
つつじも、美緒の方も気づいていないのだが、手を握ったまま話す事を忘れていた。つつじにとっては目の前で憧れの人物が自分を見てくれているだけで、これ以上のことはなかった。
「そんなの美緒さんに比べたら全然です!」
興奮のあまり、ちょっとした思いが口から漏れ出してしまう。
「この間のエキシビジョンも式が綺麗すぎて何回も記録見返してます!開幕の相手ナイトを押し流す大波とかあんなに大きな一つの式を歪まずに綺麗に描くなんて絶対私には、あ、体質的に絶対できないんですけど、たとえできたとしても絶対できないですし、十字砲火の時の遠隔の式起動も時限式じゃなくて、式を記述する式なんて反則寸前だと思うんですけど、完全にタイミングをコントロールして発動させてて、そしてその式を隠蔽式で覆ってさも時限式ですあなたがそういう風に動くの全て見透かしてましたよみたいになってて、いつも思うんですけれど本当の魔法を見てるみたいで……あ」
つつじはそこまで一気に捲し立てて、やっと部屋の全員の視線が自分に向いていることに気づいた。
「すみません!つい興奮してしまって……」
「つつじちゃん」
中でも、一番鋭い視線を向けているのは、槍玉に挙げられた美緒本人だった。
「はいぃ」
「中継式の隠蔽、どうやってわかったの?センサーっぽく感じるダミーをたくさん撒いてたんだけど」
そうつつじに質問する美緒の目は、先ほどまでと少し変わって、つつじのよく知っている、舞台の上での目だった。対峙して気圧されそうになりながら、質問に答えて行く。
「確かに式の形は似てますけど、意図が違うのがはっきりと目立ってたので……あと、ほとんどのやつは同時展開だったんですけど、二箇所だけ中継式と隠蔽式の展開の間にラグがあって、一瞬中継式が読めたからわかりました。記録媒体だとフレームカットされちゃってましたけど、あの試合、私チケット当たって現地で見ていたので……」
美緒が席を立って、つつじの両手を取ったのは一瞬だった。
「つつじちゃん」
「はひ」
美緒の目はまるで炎の様に燃えていて、つつじだけを見ていた。
「七華ちゃんに聞かれたくないから、二人っきりでダイブ付き合ってくれる?」
つつじの返事を待たず、美緒は有無を言わさずつつじを部屋の外へと引っ張っていく。
「七華ちゃん!ダイブ装置貸して!」
やり取りに慣れた七華は怒るでもなく、呆れた風に投げやりに返す。
「装置はご自由にどうぞ。ただウチの新人をくれぐれも傷物にはしないでくださるかしら?」
「今やったらしーちゃんに100パーバレて殺されるから大丈夫!」
よくわからない論拠を口走りながら美緒とつつじが部屋を去るのを、真矢はとっさに追えなかった。そして部屋には、紫音のため息だけが残った。
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