『仁科春桜』
つつじがガーデンの中で目を覚ますと、そこは対戦前ロビーだった。
「あなた達の運がものすごく良かったらあっさり勝っていたでしょうけど、思惑の通りになってよかったですわ」
そんな会話で目が覚めると、七華が言いながら愉快そうに笑っていて、真矢がものすごい剣幕で七華を睨んでいた。
「教えてくれれば、つつじが痛い思いをしないで済んだんだけどな」
段々と頭が覚醒していくと、撃たれた感覚と、負けの悔しさがつつじの感情の中に湧き上がって来ていた。しかしどうやら七華は、どうも、つつじたちの負けに非常に満足そうな様子だった。
「最初から教えていたら確かに楽に勝てたでしょうね?それで、次も対策を教えてあげればよいのかしら?」
七華の発言に、暴言こそ吐かないものの、全く納得がいかないと言わんばかりの態度を示す真矢。つつじには七華が、そんな真矢を面白がって言っているようにしか聞こえなかった。そんな剣呑としたやり取りの中に、あまり聞き慣れない声が割り込んで来た。
「七華の性格が悪いのは置いておいて、企業戦の洗礼ってやつだね」
横たわっていたベッドから上半身を起こすと、七華や真矢よりも長身で、長い髪をアップにまとめたその声の主がつつじの目にも入る。つつじはまだ少し朦朧としていたせいか、以前にも出会ったことのある、その人の事をすぐに思い出せなかった。
「あら、つつじ、おはよう。こっちの自殺マニアさんとは違って、銃で撃たれたのは初めてだったでしょう?鉛玉のお味はどうだったかしら?」
つつじに気づいた七華が言葉を向ける。つつじ自身、身体を突き刺されるのは魔法でも実弾でもただただ痛いだけで、特に真新しいものでもなかったが、たまに感覚を味わいたいと言い出して、雷に打たれたりしている真矢の事をマニアと評したのが面白くて、つい笑いを漏らしてしまった。七華は怪訝な顔をしたが追求はせず、隣の女性へと向き直っていう。
「で、桜。フォローにしては一言多くないかしら」
「フォローじゃないからね」
改めてその少し低い透き通るような声を聞いて、つつじの朧げな記憶が繋がった。
「仁科さん……?」
つつじにとって、少しだけ昔の事。憧れと勢いで始めたはいいものの、思い通りに勝てなくて、プリンセスナイトを辞めてしまおうかとやけになっていた時、つつじは仁科と偶然出会って、一戦きりのペアを組んでいた。その試合はあっさりと負けてしまったのだが、つつじにとって、仁科のドレスがとても綺麗で印象に残った事、また、直後に七華が自宅に押しかけてきて、こうして転げ落ちるように選手兼社員になっているという経緯によって、強く印象に残っているのだった。そんな仁科の名前を呼んだつつじを、真矢が不思議そうに見た。
「つつじ、知り合いだったの?」
真矢に尋ねられて、知り合いというほどでもないと考えたつつじは、言葉を選びながら答える。
「知り合い、というか、一戦だけ一緒のペアになったんだけど……」
「へえ、大丈夫?迷惑とかかけなかった?」
答えると、突っかかる真矢をつつじは不思議に感じていた。
「……なんで?」
不審に思いつつも、心底理由のわからないつつじに対して、そのつつじの表情をみた真矢の方は何か合点が行ったようだった。
「あー、気づいてないのか」
「だから何に?」
「仁科春桜って言ったら、シンデレラナイト第一回大会の、第一試合のプリンセスでしょ」
「ええ?」
つつじの脳裏に、真矢の口にした単語が一つずつゆっくりと流れる。シンデレラナイト、プリンセス、仁科。そこまでを考えて、ハッとしてつつじが仁科の顔を見ると、過去の数々の記憶とピッタリ重なるのだった。
「あああああああああああああ!?」
全員がびっくりするほどの大声をあげたつつじを、真矢がため息をつきながら両肩を抑える。効率よく身体を押さえつけられたつつじは、飛んだり跳ねたりが出来なかった。
「どうしよう真矢、どうしよう」
「落ち着きなよ」
「すみません、全然気づかなくって……それに取り乱してしまって」
少し時間が経つと、顔を真っ赤にしたつつじは、まともに仁科と顔を合わせられなくなっていた。
「あはは、改めてよろしく、つつじさん」
そんな姿を軽く笑われるのは、つつじにとって、恥ずかしさを募らせると同時に、気持ちを楽にしてくれることでもあった。
「それにしても、どうしてここにいるんですか?七華さんと知り合いなんですか?」
以前会った場所は、誰でも入れるオープンなロビーだったが、いまつつじ達がいるのは、関係者用のプライベートロビーのはずだった。つつじのその疑問には七華が答えた。
「知り合いも何も、つつじ、あなたを私に売ったのはこの桜よ」
七華の口から語られたのは、意外でしかない経緯だった。売った、という発言が引っ掛かっていると、仁科が反論する。
「人聞きが悪いよ、すごい式使いがいるって伝えたら勝手に攫いに行ったんじゃないか」
すごい、と言うのが自分の事と確信して、少し気持ちが昂りつつ、七華が仁科と知り合いであり、かつ愛称で呼んでいることに並々ならぬ何かを感じて、その事について聞かずにはいられなかった。
「桜?って呼んでるんですか」
「春桜、なんていちいち呼びづらいでしょう。だから桜。まあ、桜の別の知り合いがそう呼んでるのを聞いて、私も乗っかってるだけですけれど」
つつじは漠然と、私もいつかそう呼びたいと思いつつ、疑問を重ねる。
「あの、仁科さんみたいな人が、どうしてこの前、一人で参加していたんですか?」
「彩が療養中だからでしょう?」
この質問にも、先に答えたのは七華だった。彩と呼ばれた人物が、仁科のペアのナイトである事は、すぐに思い出せた。
「そう。だから1人で野良戦に参加してたところに、つつじさんが現れたんだよね」
しばらく過去の話に花を咲かせていると、不意につつじに、桜が話題を振った。
「ところでつつじさん、銃についてはどう思った?」
驚きながらも、つつじはさっきまでの戦いの感触をもとに、自身の感想を率直に答える。
「痛かったです。銃弾自体に干渉結界があるので、エネルギーを消す事もできないですし」
彼女らのバリケードは式により作られたものだったが、銃の弾丸は魔法で形作られたものではなく、実体を伴った実物だった。ガーデンにおいて魔法は万能だが、全能ではない。特に人体を含めた既存の物質に関する変化は、『干渉結界』と呼ばれる現象に阻まれて、うまくいかない事がほとんどだった。現実世界の面影を色濃く残した景色をしている事、また、プリンセスナイトで相手の肉体を式で消滅させてしまうような作戦が見られないのは、この干渉結界の働きによるものだ。
「あの一瞬でそこまで試してるんだ、さすがだね。……まだ何か?」
感心したようにうなづくと、さらにつつじの様子を見た桜が促す。
「でも、持たせられるエネルギーの総量、つまり攻撃力は魔法に遠く及ばないとも思いました。もし私みたいに式を使えない人じゃなければ、硬い壁を出すとか、もし事前にわかっていれば私でも身体を硬くするとかで、耐えられたかもしれません」
つつじの話を桜は満足そうに頷きながら聞く。
「それはまあ、つつじさんの式の展開速度ならそうかも。ただ、例えば対戦相手だった彼女たちに、それができたと思う?」
少し様子を思い出してつつじは首を横に振った。
「何が言いたいかって言うとね、もし、身を守る事を最優先にしなければならない場合を考えて欲しい。全魔力を防御の為の式に使いながら、安全な距離からある程度の攻撃が可能な銃というのは、決して悪い選択肢じゃないと思うんだ」
どうやら桜は、自身に銃の有用性を説きたいらしい、と、この時点でつつじも気づく。そんな活動を、七華が横から茶化すように揶揄する。
「自分は使いもしないのに、よく言いますわね」
「まあ、どうしても剣と魔法と比べたら、無骨で華が無いから仕方がないね。競技のプリンセスナイトでお互いバリケードに篭る訳にはいかないし。ただ、自分で使ってはみてるよ。つつじさんさえよければ、試しに貸してあげられるけれども」
「そうやって華のない武器を持たせて、うちの社員の芽を摘む気?」
「よく言うよ、レンティに声掛けてつつじの相手させようとしてるくせに」
そんなやり取りを見ている内に、つつじはなんだか嬉しくなっていた。
「七華さんと仁……桜さんって仲が良いんですね」
二人の声が重なった。
「「誰が」」
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