不思議はいつも、あなたのすぐ目の前にある

クロノヒョウ

砂の王国の砂



 平日の朝七時、都会の喧騒の中にある静かな公園。


 さすがにこの時間は誰もおらず、時おり公園の横をサラリーマンがこちらを見向きもせず足早に歩いてゆくだけだ。


 (会社に行きたくない)


 家を出てそう思った俺の足は通勤ラッシュが始まっている駅ではなく、この静かな公園へと向かっていた。


 ベンチに腰を下ろし、腕時計をチラチラ見ながらため息をついた。


 さあ腰を上げろ。


 まだ間に合う時間だ。


 そう自分に言い聞かせたが俺の体はぴくりとも動かなかった。


 残業に次ぐ残業。


 人手不足な上に仕事が出来ない奴らのおかげで自分の時間どころか睡眠時間まで削られる。


 人間関係も反りの合わない同僚たちとの会話も苦痛でならなかった。


 そして二週間前、付き合っていた彼女にフラれてしまった。


 彼女と会う時間がなかったために招いた結末だ。


 今思えば彼女との将来のためにと必死になって耐えていたのかもしれない。


 モチベーションが消えた途端、俺の心と体は我慢の限界をこえたようだった。


 自分が何のために働いて、何のために無理をして頑張っているのかわからなくなっていた。


 (ん?)


 重い体がベンチにくっついて離れないでいる俺は公園の真ん中にある砂場に目を奪われた。


 どこにでもあるごく普通の砂場だ。


 その砂場の砂が光を放っている。


 (何だ?)


 まるで南国のビーチの砂浜のようにキラキラと眩しく光る砂。


 奇妙な光景に目が釘付けになっていた。


「うわっ!!」


 気がつくと、いつの間に移動したのか俺の足は光る砂場の中に一歩を踏み入れていた。


 そしてそのまま俺は砂の中に吸い込まれていった。


 視界が真っ暗になり、急速に落ちていく感覚を覚えた。


 ようやく体が止まり、足下に地面を感じた俺はそっと目を開けた。


「なんだ!?」


 目に映るものは全て砂だった。


 巨大で立派なお城も建物も地面も、人以外は全てが砂で出来ていた。


 人……そう、人間はいるが、みんな白い布を巻いたような服を着ているし、顔には様々な動物のお面をつけている。


 俺のことなど目に入らないのか、必死に砂の塊を担いで列になって歩いているその光景はとても異様で楽しそうには見えなかった。


「砂を固めて運び続ける。それがこの砂の王国の民の仕事なのだ」


「えっ?」


 いつの間に現れたのか俺のすぐ横に人が立っていた。


「クレオパトラ!?」


 思わずそう叫んでいた。


 どう見ても日本人のようだが、綺麗な黒髪をなびかせクレオパトラを思わせる美しい女性だった。


「何を言っているのだ?」


 俺の顔を冷たいまなざしで見つめる女性。


「あ……いえ……」


 そのたたずまいも凛とした雰囲気も、まさに俺の想像するクレオパトラだ。


「砂を固めても風や砂嵐ですぐに傷んでしまう。だからこうやって毎日砂の塊を作っては運び、家や城を補強しなければならないのだ」


 クレオパトラは砂を運んでいる民の列を哀しそうな目で見つめていた。


「民にはもっと楽しく自由に暮らしてほしい。そう思っているが、これもこの砂の王国に生まれてきた者たちの運命さだめだと諦めるしかないのだろう」


「さだめ……」


「お前には運命さだめはないのか?」


 そう聞かれた俺は考えていた。


 さだめとは何なのだろう。


 食べるため、生活するために仕事をする。


 生きていくために仕事をするのは当然だろうが、今の会社で働かなければならないさだめはないのではないか。


 今の俺はこの砂の王国の民のようにただ列に並んで仕方なく歩いているだけだ。


 だが俺はこの王国の民ではない。


 俺は列からはみ出てもいいし列から抜け出すこともできる。


 俺は自由にしていいんだ。


 そう思った瞬間、目の前から砂の王国は跡形もなく消えていた。


 俺は公園のベンチに座ったままだった。


 腕時計を見ると七時十分。


 俺は急いで立ち上がり駅へと走り出した。


 振り向いて公園を見たが、そこには普通の砂場があるだけだった。






 あの不思議な夢のような光景を見た日、俺は会社に辞表を出した。


 なにも自分に無理をしてあの会社にいる必要はない。


 俺は自由なんだ。


 そう気付かせてくれた砂の王国に感謝し、俺は以前から興味があった会社の採用試験を受けた。


 今日は面接の日だった。


 名前を呼ばれ面接室のドアを開けた俺は一礼をして面接官が並ぶ机の前の椅子に腰を下ろした。


「……クレオパトラ!」


 目の前に座っている女性を見た瞬間、俺の口から思わず声が漏れていた。


「フッ……何を言っているの?」


 綺麗な黒髪の美しい女性が俺を見て笑った。


「あ……いえ……」


 あの砂の王国で出会ったクレオパトラにそっくりな女性。


 俺は緊張と焦りで吹き出した汗を拭こうとジャケットのポケットに手を入れた。


 その時、ポケットの底に確かに砂の感触があった。


 俺は咳ばらいをして深呼吸してから大きな声で言った。


「この会社で働くのが、私の運命さだめだと思っています!」



          完





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