ヶケッ
ほづみエイサク
第1話 正常?
ヶケッ
不気味な声が聞こえた。
薄汚い廊下の奥からだろうか。
今まで聞いたことがない音で、ぞっとする。まるで、深海魚が発するような不気味さをまとっているように感じた。
振り向くと、電灯がジリジリと不快な音をたてながら、チカチカと視界を点滅させていた。
目が痛くなって視線を落とすと、塩ビシートの床材が光をテラテラと反射している。
規則的に並んでいる部屋部屋からは、老人のうめき声が漏れている。
老人介護施設なのだろう。
ヶケッ
また、声が聞こえた。
(これだから夜間の見回りは嫌なんだ)
冴えない男は、小さくため息をついた。
そして、眉一つ動かさずに
(知らないふり知らないふり)
もしかしたら、廊下の奥には化け物がいるかもしれない。
いや、実は化け物ではなく、小動物の鳴き声が反響して別物に聞こえているだけかもしれない。
(どっちにしろ、俺には関係ない)
問題の第一発見者になってはならない。
それが男の考えだ。
以前、捨て猫を見つけてしまった時に、男は酷く後悔した。
最初に発見したからという理由で、世話の全てを押し付けられてしまったのだ。
そして、そんな猫は今、3日も顔を見せていない。
(毎日エサを用意してるのに、どこをほっつき歩いているんだか)
ふとある考えに至って、足を止める。
(もしかして暗闇の中にいるのは、あの猫なのか?)
そう考えた瞬間、もう足が動いていた。
廊下の奥へと踏み入れる。
だけど、すぐにイヤな予感を覚えた。
ゴクッ、と。
自然と喉が鳴る。唇も喉も乾き過ぎて、張り付いている。
剥がすたびにヒリヒリした痛みが走って、ツバ。
普段から踏みなれた床なはずなのに、不気味な程柔らかく感じる。
一歩進むたびに、底なし沼に落ちていっているみたいだ。
(あ、これは間違えたヤツだ)
後悔する余裕もなく、不可解な足音が聞こえ始める。
ベチャ、ベチャ、と。
トマトを踏み潰したかのような、
目を見開いていると、暗闇からシルエットが浮き彫りになってくる。
身長は成人男性を超えているだろうか。
もうこの時点で猫ではない。小動物であるわけがない。
では、一体なんなのだろうか。
人か。
違う。人はこんな奇妙な声を出せない。
クマだろうか。
違う。こんなに細くない。
宇宙人だろうか。
違う。宇宙人はもっと親しみやすい形をしている。
じゃあ、なんなんだ。
きっと、化け物としか形容できない。
それほどに不気味な姿をしていた。
痩身の大男のような体躯に、肩幅よりも大きな頭部が乗っている。
顔はアニメのキャラクターのようで、大きな瞳が特徴的だ。
服は全く身につけていない。そのせいで、脚より太いペニスが見えてしまっている。
さらには、皮膚が所々変質しており、鋭利な鱗が生えている。
特に手のひらに鱗が密集しており、赤黒い血がべったりと付着している。
(あ、やばい……)
血を見た瞬間、嗅覚に意識が向いてしまう。
かすかな鉄臭さが、鼻先を通り過ぎる。
とっさに吐き気を抑えようとして、腕を動かそうとした。
だけど、全く動かない。
(なんで……!)
いや、腕だけではない。
全身の筋肉が言うことを聞かない。
まるで、全身を見えない
ヶケッ
また、化け物が鳴いた。
声が耳に入った瞬間、脳が揺さぶられる。
化け物が一歩一歩近づいてくるたび、全身の筋肉が固まっていく。
男の中にあるすべての感覚が、大音量で叫んでいる。
■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■ここから逃げろ■■■■
■■殺される■■■■■■■■■
■■■■■■■死にたくない■■
■■■■■■■■■■■■■■■
でも、相変わらず体は動かない。
心は『死にたくない』と叫んでいるのに、体は『ここで死ね』と
化け物は男の目の前に立ち、涙を流す顔をじっと見つめている。
同時に、男の目に化け物の瞳が映る。
その瞳は腐っていた。
まるで、ごみ箱の中で1か月以上放置された魚の目玉みたいに。
それなのに、一切腐敗臭がしない。腐っている状態が正常なのだろうか。
化け物は、口をゆっくりと開けた。
■■ヶ■■■■
■■■ケ■■■
■■■■ッ■■■
声を聞いた瞬間、不思議なことが起き始めた。
まずは、体の感覚が無くなっていく。
■■■■ヶ■■
■■■ケ■■■
■■■■ッ■■■
瞼が重くなって、視界が閉ざされていく。
ヶ■■■■■ッ■
■■■ケ■■■
■■■■■■■
ドサッ、と。
自分の体が倒れ込むのを感じた。
男の意思とは関係なく、そうなってしまっていた。
意識があるのに気絶しているような、妙な感覚だ。
(ああ、そうか)
この時、男は理解してしまった。
なんで自分の体は『生』を放棄しているのか。
(もう、この命は
男の肉体はもう、生物ではない。
化け物のエサへと成り下がっている。
今かろうじて息をしているのは、生きるためではなく、鮮度を維持しているだけだ。
鱗だらけの手が、頬に近づいてくる。
手のひらに敷き詰められた鱗が触れると、あっさりと皮膚を突き破って、血がにじみ出る。
痛みを感じても、体が反射で動くこともない。
(ああ、あの猫野郎は元気にやってるといいなぁ)
意識が途絶える、その刹那。
男は猫の毛の感触を思い出していた。
それ以外思い出すことがない、無味無臭な人生だった。
■■■■■ッ■
■■■ケ■■■
■■■■ャー■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
オンボロな寮の一室。
ジリリリリリリリリリリ、と。
目覚ましの音が鳴り響いている。
男は大きなあくびをしながら、目覚まし時計を止めた。
窓越しに空を仰ぐと、清々しい晴天だ。
雲一つなく、程よく暖かくて、理想的な日和と言える。
いつもは鬱陶しく感じる隙間風も、今日ばかりはこそばゆく感じた。
男が体を起こそうとすると、違和感に気付く。
「なんだ、猫野郎。布団の中に入りやがって」
布団の中に、ペットが入っていたのだ。
飼い主が起きたことに気付いたのか、ペットは自分の頬を掻き始めた。
だけど、力が強すぎたのか、血が流れだしていく。
「うわっ、自分で自分を傷つけるなよ」
慌ててティッシュで拭いてあげると、ペットは安心してまったのか、また寝息をたてた。
(おっちゃこちょいすぎるだろ)
男は優しい顔でペットをそっとどかしてから、支度を始めた。
適当に総菜パンを頬張った後、洗面所に向かった。
(あれ、いつこんな傷がついたんだ?)
自分の頬についている傷を見て、男はハテナマークを浮かべた。
全く身に覚えがないのだ。
(寝ている間に、猫野郎につけられたか)
痛くもないから適当に結論付けて、歯ブラシに手を伸ばした。
それからは順調に支度を整えて、仕事場に向かおうとすると、ペットが見送ってくれていることに気付く。
「それじゃあ、行ってくる。今度こそどこかに行くんじゃないぞ」
男がそういうと、ペットは上機嫌な顔で口を開けた。
ヶケッ
声を聞くだけで、自然と眉が下がっていく。
「ああ、行ってくるよ」
最愛のペットの鳴き声に背中を押されて、男は職場へと向かうのだった。
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ホラーは初めてなので、折角なら色々実験しようと決めて書き始めました
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