第24話 福島の王者

 五人で廊下を歩いて、会場へと向う。


 ああ、どうしよう。怖くなってきた。


 これから会う人たちは家族を事件で亡くしていて、わたしの父はそれをもみ消そうとした。真実を伝えなかった。


 こんなところまで来てしまってからでは遅すぎるのだが、どんな顔で会えばいいのかわからない。

 

 マオリはワンピースの裾を強く握り締めた。

 

 マオリが自分で選んだ、明るい黄色にところどころ濃い茶色が入っているワンピース。


 母がパンジーの咲き並ぶ花壇に水をまいている姿が脳裏に浮かぶ。花の種と肥料を近所のホームセンターで買ってきてくれたのは父だった。


 ふたりが長い時間をかけて、心をこめて育ててくれた。


 わたしのことも。


 ありがとう。


「かわいいじゃん」

 ボソッとした声。横を歩く直行くんが、前を向いたままでつぶやいた。


 マオリが何も答えずに彼を見ていると、聞こえなかったと思ったのか今度はマオリの目を見て苛立たしそうに「その服、かわいいじゃん」といってぷいっと顔を背けた。


 きっとこの人は、生まれて初めて女の子の服装を誉めたのだろう。それはあんまりなぎこちなさで、でもそれゆえにマオリは嬉しかった。


 先頭を行く古橋さんが大きな扉を開けた。


 大広間。そこにいた人数は三百人ほどだったと思う。立ったままで食事や、歓談をしている。何人かがこちらを見たが、さほど重要な集団には見えなかったようで、すぐに向き直った。


「どうぞこちらへ」


 さっきの人に案内されて会場の中を歩いていく。古橋さんと直行くんも来たときと同じ格好のままだ。


 この五人だけで見るとまるでマオリが間違っているかのようなのだが、人々の姿を見ているうちに、この一団が心配したほど浮いてはいないことにマオリは気付いた。


 アメリカ大統領の晩餐会にでもいけそうなドレスの人もいるにはいるのだ。鶴の羽ばたく様が描かれた着物の女性もいた。


 しかしその一方で、簡単なジャケット姿の男の人とか、ちょっとした気軽な旅行に行く時のような格好の女性も大勢いて、あげくジーンズとジャンバーを着てつばつきの帽子をかぶっている農作業が似合いそうなおじちゃんとか、スーパーの帰りにしか見えないおばちゃんもいた。


 ばらばらな格好をした人たちが、ひとつテーブルを囲んで一緒に食事をしている。


 テレビや映画の中でしか見たことがないような世界を想像してやってきたマオリだったが、そこにあったのはどこでも見たことのない、なんだか不思議な空間だった。


 広間の片隅でギターを静かに奏でている人がいて、人気のない山に音もなくゆっくりと降る一片の小雪を思わせるような美しい旋律が流れていた。


「おとといきやがれ、このボケナスがあ!」


 なにもかもぶちこわすような怒声が突然大広間に響いた。


 談笑していた人々のざわめきはぴたりとやみ、ギターの音色も途切れてしまった。


 声の主は黒い袴をまとった背の小さなおじいさんだった。


 彼の白髪は迫力のある角刈りにされていて、何とか一家の親分がお正月を迎えたときのような風体に見えた。


 怒鳴られた相手はこぎれいなジャケットに身を包んだ肩幅の広いおじさんで、年のころは多分古橋さんとおなじくらいで、六本木ヒルズのてっぺんあたりに住んでいそうな風格の持ち主だった。


 そんな立派そうな人だったがいまはどうも旗色が悪い。親分の一渇にすっかりびびってしまっているようだった。しかし衆目のなか彼はがんばって語り出した。


「将来的なことを考えるべきです。聖澤はすでに強大な日本経済全体への影響力をもっています。生まれ育ったこの地に愛着があるのはわかりますが、立場をお考え下さい。もうその基盤を東京へと移さなければならないのではないですか」


「福島までそっちがやってくればいいだけのはなしではないか。貴様ごとき若造に呼びつけられるほどわしは落ちぶれてはおらぬ」


「そんなことをいっているのではないのです。どうかわかってください」

「わからなければならないのはお前のほうだ。自分の言葉の意味を理解していない」


 若い方のひとも懸命に食い下がったがおじいさんの迫力に最後は黙ってしまった。


 周りの人々は一言も発せずこのやり取りを見入っていたが、決着がつくとぱらぱらとまた話し声が戻ってきた。


 マオリたちを案内してくれた人(高田さんと、さっき古橋さんが呼んでいた)は、こちらを向いて苦笑いすると、角刈りのおじいさんに向って歩き出した。


 マオリはすでに泣き出しそうだった。ああやっぱりあの人に挨拶するんだ。


「なんじゃあ!」

 また怒鳴り声。血圧が下がらないうちに声を掛けられて、角刈りの親分は機嫌がとても悪い。


 くじけずに話し続ける高田さん。眉をぴくつかせながらも話を聞いていた角刈りの人は、大きな目でぎょろりとマオリのことを睨んだ。


 そしてなにか口元でぶつぶついいながら、しっかりした足取りでこちらに向ってきた。


 古橋さんが名刺を取り出して、挨拶をしようとした。

「どうも、私、三笠新聞の古」

「あー、どいてどいて」

 無下に押しのけてマオリにまっすぐ向ってくる。そして立ち止まった。


 怖いけど、自分からあいさつしなきゃ。


「わたし、糸井マオリです。初めまして」

「聖澤友三です。よくきてくださった。マオリさん」


 友三さんは顔は怒ったままだったけど口調は静かで、マオリに対して深く頭を下げた。それから彼は古橋さんを見た。


「おい、新聞屋。今話すと目立つ。後で改めて時間を取るから、マオリさんを面倒に巻き込むんじゃないぞ」


「そのつもりです」


 背を向けてのしのしと去っていく友三さん。


「緊張したなあ。マオリちゃん今の人、知ってる?」

 力の抜けた表情の古橋さん。


「知りません。でもえらいひとなんでしょ?」

 マオリも手のひらの汗を拭う。


「あのじいさん。総理大臣とメル友らしいぜ」

「当主、ですか?」

「いや、隠居だ。あの迫力で、八十六歳だってんだから参るよな」

 八十六歳? それは凄い。


 空いているテーブルを見つけて、古橋さんと真田さんが勝手に飲み物を注ぎだした。

「せっかくだから、飲もうよ古橋くん」


 直行くんと祐樹くんも飲み物と、テーブルに並ぶバイキング料理に手を付け出した。

「怖かったねえ、直くん」

「俺逃げようかと思ったよ」

 

 マオリもコーラを一口飲んで、最初の山を越えた安堵感に浸っていた。

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