うすあかり

山田奇え(やまだ きえ)

薄明り



『薄明り』




 私は、薄明りに私自身を見る。

 

 

 世界の輪郭は、まだぼんやりとしていて、私は特にやることもない。


 だから、暇に飽かして、ほんのひと時の、ほんとうの自由を謳歌する。

 

 

 静かな湖の、あるいは穏やかに流れる河の、その表面へ浮かび上がるようにして、私の心に現れるいくつかのこと。



 例えば、それは家族のこと。


 家族。血がつながっただけの、赤の他人。


 考えることが同じとか、趣味が同じとか、好きな食べ物が同じとか、そんなこともなく。


 彼らは、ただ、生命の営みの、その上に横たわる絆のみによって、私と長い時間を過ごすことになった。


 一番近いところにいるのに、私たちは、あまりにも歩幅が違って。


 すれちがいざまに起こる摩擦熱が、時に私を温めたり、時に私を傷つけたりした。


 ようやくその横に並んで歩けるようになったころ。


 私は、彼らの足がいつか止まってしまう瞬間のことを、初めて想像した。


 

 それから、思うのは友達のこと。


 彼らは、私の旅路に突然現れた鏡のようなものだ。


 その鏡には、それぞれ、ぜんぶ、違う私が映る。


 そんな虚像のいくつかを見て、私は価値を知り、私は恥を知った。

 

 その時々によって気に入ったものを、選んでは捨てて、捨てては選んで。


 選んでもいないものがそこにあったり、捨ててもいないものが、いつの間にかなくなっていたり。


 そんな繰り返しの中に、ふと私は気付く。


 私自身のこの両目は、私をどう映すのだろう。

 

 私は、いつか鏡のない場所へたどり着く日のことを想像した。

 

 

 あと考えるのは、まあ、世界のこと。

 

 私を構成する、重さと、速さ。


 何かが起こった結果と、何かを起こした原因の関係。

 

 窓の外が明るく輝きだすころ、あるいは、暗く沈みだすころ、私は大きな流れの中に埋没していく。


 まんまるな球体の、その外側に開いたゆりかご。


 人は死んだとき、墓に埋まるのだろうか、それとも空へ昇っていくのだろうか。


 それは門出の祝いというには、あまりにも私の興味を引くような差異ではなくて。


 だから、私はたった今、私自身のこの足を進めてみることにする。



 夜が明ける。日が沈む。

 


 明日には、嬉しいことがあるかもしれない。


 だから、私は足を進める。

 

 明日には、悲しいことがあるのかもしれない。


 だから、私は足を進める。


 私の行く先には、勝ち取るべき輝かしいゴールが待っているのだろうか。


 とにかく、私は足を進める。


 私の行く先には、誰かに決められた筋書きしか、待っていないのかもしれない。


 それでも、私は足を進める。

 


 そうだ。


 何度だって、私はただ、この道を歩こう。

 

 

 この命と、この生と、この長い長い旅路に――あふれんばかりの祝福を。


 

 薄明りの私より、ささやかな、愛を込めて。




▼――『薄明り』――了

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