花園の子供たち

ドリママ

捨てられた子供と生き残った子供

一枚目:大きな鮭はらみお結びは牛乳と一緒に食べる

 昨日の夜ふけからくもった空は、春を覚える三月にも関わらず、街の上に雪を撒き散らした。その色は灰色よりあわく、白よりにごった色に染み付いていた。寒さがただよう朝の空気は街中に少しずっつ積もる雪と共に人の肺を痛める。

 普段は街が一望いちぼうできる坂道を、調子のいい速歩で降りつつあった。加えて雪で駅に辿り着くまでの時間が別の日より倍にかかっている。そのゆえに、僕は時間に間に合うか心配になってきた。念のためにスマホから電車の乗換アプリを開いて次の列車が到着する時間を確認した。

 突然降り出した雪で数分の遅延が発生している。僕は息を深く吸って吐き出した。仕方がない、思いながら雪に覆われた街を眺めた。

 前方には高層ビルが山森になって地平線の彼方まで見えた。また、後ろに振り向くと同じくらいの距離感で巨樹さくらが東京の中心にいる。目の前に見えるあのさくらは、百年前の大洪水時代に各地域から小樹の姿で発見され、未だにも発源地を知らない日本特有の落葉樹らくようじゅである。

 今年の春も例年と同じく、巨樹から咲く数百万本の花びらで、都内から半径十キロ内は花粉の飛沫ひまつ警報が出される予定だ。と予想した割には、何故か三月に入っても未だに積雪の注意報が出されている。春を楽しむ人々には悪い話かもしらない。受験生である僕にとって、残念ながら、共通テスト当日の朝に空から何かが降り出す時点で邪魔に感じるだけである。

  「いらっしゃいませ——」

 眠そうなバイトさんの声を後にして、僕は早速おにぎりコーナーに向かった。最近、唯一の楽しみだと言っても過言ではないほど、朝と昼に『大きな鮭はらみお結び』を食べることにハマっている。

 他のおにぎりと違って、大きな鮭はらみお結びは三日連続で食べても全く飽きなかった。魅力は基本に充実したあじにあった。初めて一口を噛んだ時、舌先から伝わる鮭はらみの油ともっちりしたお米に驚き、噛めば噛むほど濃くなる味に二度吃驚びっくりする。ここに加えて、喉が渇いた時に牛乳をごくごくと飲み干すことが肝心な所である。少しだけ塩味が中和された状態でもう一度おにぎりを口に詰め込むことで、口の中から喉の奥まで滑り込まれ、胃袋にたどり着いた満腹感が身体中に広がる。

 勿論、今の話はあくまで個人的な好みに過ぎない。けれども、牛乳はお米の味を水のように流さず、また炭酸コーラーのように殺さず、本来持つ甘味を引き出せる力がある。

 他のメニューでは味わえない食感を満喫まんきつしてしまった以上、僕の体は毎食はこの組合せしか食べられないようになった。更に、普段は百九十二円だった大きな鮭はらみお結びが、今月に入ってからは絶賛ぜっさん割引イベントの影響で九十二円ほど安い状況である。今までの理由で大きな鮭はらみお結びと牛乳を選ぶ理由は充分だ。

 「ポイントカードと袋はいりますか?」

 「いいや、いらない。お会計はスイカで」

 俺は、お会計中の客を通り過ぎて真っ直ぐに見えるおにぎりコーナーから目を通した。コンビニに入った瞬間から、買ったばかりのおにぎりを大きく一口齧かじる想像をして、口の端からよだれが垂れそうになった。早く食べたい気持ちで胸がいて来る。

 しかし、おにぎりコーナーは空っぽだった。大丈夫だ、とまだ整理されていない在庫の箱に眺めながら、俺は希望を抱いた。バイトさんが気付かない内に青い箱に目を背けて中身を確認する。ちらっと見た限り、『大きな鮭はらみお結び』の品出しは早いみたいだ。仕方がない、と絶望したものの、売り残りの玉子入りのサンドイッチを一つ掴み取ってカゴの中に入れた。

 「パゥパあぁ——」

 牛乳を買いに足を踏み出した先にとある少女がドリンクコーナーのガラスに顔を潰して中を眺めていた。親と思われる大人は周りには見当たらなかった。

 僕は少女の隣に行ってしばし様子を見た。ボロボロになった服装に靴も履いていない素足は赤紫に膨れ上がっている。頬はあかぎれ、爪は血の色を失って白く濁り、足は霜焼しもやけで浮腫むくんでいた。

 夜が長い冬を背後にして、深い眠りに落ちた巨樹の影が長く伸び、星が淡く黒い空に光り、そしてすべてがまだ眠りの中にある夜明けに、子供が一人でコンビニの中を自由に闊歩している。上着を着た僕でさえ、寒さが骨に沁みる天気だ。流石に女の子一人で、保護者もなくコンビニを彷徨くことは可笑おかしな状況だ。

 したがって、改めて疑う余地もなく、この子は十中八九じっちゅうはっく、親に見放された捨て子、ノバナだ。と、僕は声を殺して一人で呟いた。

 長く見つめたせいか。僕の視線に気づいたノバナと目が合った。青緑の色で薄く輝く珍しい瞳を持っている。だめだ、と僕は自ら強く叩き込んだ。せっかく休みを貰って準備したガーデンズ学園の受験だ。仕事を増やしては本末ほんまつ顛倒てんとうである。でも、何故かさっきから僕に興味を沸いたようにノバナが距離を詰めて来るような気がした。

 「すみません、何か問題でもありますでしょうか?」

 レジに立っていた若いバイトさんが、在庫のチェックリストを手に持ち、僕の方に近寄った。制服のネームプレートには『星野』と表記されている。

 「ノバナが店内に入っています。結構前からいたようですが、見覚えがある子だったりしますか?」 

 「あれ?ネコちゃんだ。ネコちゃん、また来たの?これ以上はうちも面倒見られないって言ったじゃん。まだ業務時間中だから食べ物をすぐあげれないよ」と星野バイトさんは手慣れた野良猫のらねこのようにノバナを扱う。

 僕はその反応を見て、腹から膨らんで来る感情を抑えて、用心深く子供ノバナの具合をてあげた。

 服装以外にもノバナから栄養不足が一際目立った。身体はあばら骨が布一枚の表からでも見えるほど痩せている。寒くて乾燥し、唇が割れて荒れた。一日中、まともなご飯を食べた記憶もない様子である。それだけではない。足元には適切な治療のタイミングを逃して自然に治った時の青痣あおあざあざやかに残っている。他にも家庭内暴力DVと思われる傷口もいくつか見当たった。

 素人でも一目で分かるくらい助けが必要な子だけど、周りから簡単に手を差し伸べなかった理由は、おそらく鼻をつく臭いが原因だと思われる。数日を洗ってない髪から汚れと雪が混ざって、手で触るだけですぐ汚くなった。だと言ってこのまま放置するには酷い有様だ。

 「お知り合いのノバナ見たいですね」

 「ええ、まあ。三日前から私がシフトにいる時間帯に寄って来るノバナです。二日前は店長がいる間にも来てて店の中を走りかけて大騒ぎでした。店長が警察バベルに通報する寸前に捕まえて見逃してあげたのに、どうしよ。監視カメラに映ったからもうすぐ店長が来ると思います」 

 「バベルよりは、施設に通報すれば無料で引き取ってくれると思いますが」

 「やりましたよ?初日からずっと東京庭園管理T G Cセンターに何回も通報しましたけど、毎回満席だからと言って、断れました。このまま放置するには可哀想だし、しばらくはシフトが終わる時間に合わせてご飯だけあげていました」とバイトさんは心配気な顔をしてノバナを見届ける。

 すでに片足を突っ込んでいるような状態の中で、半分はいきがかり上関わってしまったという部分がある。しかし、今、助けてあげるとすれば、正式にこの件に関わってしまうことになる。仕方がない、と口癖くちぐせになっている言葉を、口の中で言った。

 僕は連絡先アプリから『小泉』を検索して通話ボタンを押した。

 「もしもし、ダレでシュカ?」

 「朝っぱからすみません、小泉さん。東京支部のユニットⅡの三に所属している炭咲たんさきです。急に申し訳ございません。五分だけお時間いただいてもよろしいでしょうか」

 「タンサキ……、炭咲君?あれ、今日、休みじゃないんだっけ?どうしたの、こんな時間に。何かあった?」

 まだ寝ぼけている様子だから詳細の説明は後にして、現場の説明から始めた。「実はノバナを発見して電話しました。年齢はまだ多くても十歳未満で、性別は女の子です。少なくても一週間以上は放置されているノバナです」

 「能力トゲの大きさや種類は?」

 「肉眼にくがんでは特に見当たらないです。推測ですが、親からの愛情と栄養不足が原因となり、まだ芽生えはしてない状態かと思われます。他のユニットに処分される前に小泉さんの班から回収してくれますか?」と僕は返答を待ちながら、バイトに小さい声でここの住所をお願いして小泉さんに共有した。

 「ありがとう、教えてもらった住所で居場所が特定できた。今から出かける前提で四十分ほど掛かるかな」少し沈黙が二人の間に流れた。「よく考えてみれば、そうだ。今日ガーデンズ学園の共通テストがある日だよね?仕事して大丈夫?遅れていない?」

 特に仕事をした訳ではないから小泉さんには問題ないと誤魔化しておいて、コンビニまで安全運転をお願いした。言われなくても気を付けるよ、とけんつくを食らった。

 「あの、すみません。まだ業務時間だから私はこれで大丈夫ですか?」

 「電話が長くなってすみませんでした。もうすぐTGCの関係者がこちらに訪れる模様です。それまでにこの子を預かってもらえますか?」

 協力してくれた割には業務に支障が出て困った顔をしている。気持ちは分かるが、せめて子供の前ではやめて欲しい顔立ちだ。星野さんは、小泉さんの情報をメモ書きして渡した紙を受け取理、ノバナをスタッフ専用の休憩室に入れて連れて行った。僕は待つ間に寒くないように、自分の赤いマフラーをノバナに巻いてあげた。

 気がつけば自分ひとりになっていて、内心、と釈然としないものを感じつつも、次の電車まで送れると受付時間に間に合わないそうだった。後は小泉さんの対応を信じて取り急ぎ駅に向かって走った。

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