not alone/小説・丸岡秀子 🧵

上月くるを

第1話 プロローグ 🌋



 師走の浅間颪に背中を押されながら、尋常小学校五年生の文子は冬枯れの千曲川に架かる野沢橋を渡っている。育ての親である祖父母が住む中田の集落から四キロほど南方に当たる生家への道をたったひとりでたどるのは生まれて初めての経験だった、それも大枚二十円の借金の肩代わりを実父に依頼して来いという使命を帯びて……。


 源流から運ばれて来る間に角が削られた丸石の群れを縫うようにしてわずかな水が筋を成して流れるだけの川面をながめながら、文子は一遍上人のことを考えてみる。中世の偉いお坊さんが人びとを救うために全国各地を行脚し、真冬に訪れたこの佐久で後世に伝わる踊念仏を創始されたと、担任の関口先生が話してくれたことがある。


 破れ墨衣の僧や尼僧の一団の苦難を思えば、なんのこれしきという気がして来る。他者の辛苦に比すれば自分はまだ増しという観念が正しいのかどうかわからないが、忍従=人生が周囲の大人の女性たちの共通認識として映っている文子の、自分もその後進につくのだろうという予感に後押しされた諦観のようなものかも知れず……。



      *



 古くからの街道沿いに位置する裕福な造り酒屋の初子として文子が生を享けたのは日露戦争開戦の前年一九〇三(明治三十六)年五月五日のことだった。生来が華奢な母の絹が生家へ帰っての出産だったが、「端午の節句に女の子か」という身内の声に遠慮する夫の平太に頼ることもできず、生後十か月の赤子を置いて絹は身罷った。


 母親がいない乳児はすぐに乳に困る。善良な行商人夫婦に文子を預けた祖父母は厳格な舅やおとなしい夫の異母弟妹たちなど大所帯の主婦として酷使された娘の遺言「おねがい、この子はうちで育てて」を守るべく、四歳になった文子を引き取ると、庄屋とは名ばかりの貧乏暮らしではあったが、薄幸な孫にありったけの愛情を注ぐ。


 それから七年後、小作や養蚕で得たわずかな現金をふところにした祖父は祖母の反対を押しきって上京する。「株という大博打で一攫千金を狙うんだと」と聞かされても文子にはなんのことやら理解できなかったが、東京の木賃宿から届いた手紙が巻紙や便箋ではなくチリ紙だったことからも、事態の容易ならざることを感じ取った。



      *



 だまされて、すってんてんになった。こうなったら文子に絹の婚家へ使いに行ってもらうしかない。婿の平太に金の工面を頼んでくれ。くしゃくしゃのチリ紙に平仮名と片仮名で書き散らされた文面に気丈な少女は奮い立つ。産褥の妻を一度も見舞いに来なかったという父は、文子を義父母に預け放しにしたまま知らん顔をしていた。


 いまこそ大恩ある祖父母に恩返しするときだ。なに、惨めでなどあるものか。女子誕生を聞いた落胆から、そのころ流行の名前以外にはなにひとつくれなかった父は、義父母の極貧を知りながら、今日に至るまで一銭の養育費も送って来ていなかった。そんな父がいまこそ祖父母の苦境を助けるのは当然の道理と子ども心がざわめいた。


(父さんという遠い親せきよりもっと遠いひとがいったいなにを考えているのか見当もつかない。祖父母は父の悪口を聴かせまいと気をつかってくれているが、その手の話題がなにより好物な一部の大人たちは、祖父母のいないところで幼い耳に毒を流す機会をいつも狙っている。子どもが決して告げ口しないことを承知していて……)


 絹亡きあと日を置かずに後妻を迎えた父にとって今回のことが受難とでもいうならまさに因果応報、身から出た錆だろう、ならば、胸を張ってお使いに行ってやろう。どうかすると萎縮しそうな自分を励まそうと力を入れて一歩一歩蹴り出す足もとで、出がけに祖母がすげ替えてくれた赤い鼻緒の下駄がカラカラと乾いた音を立てる。




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