#9 迷い人

 今日は漁師の仕事が休みだった。

 代わりに、俺は村の農夫に畑仕事の手伝いを頼まれた。

 俺は客人と言っても余所者である事には変わりなく、足元を見られているのだろう。

 こんな感じで、俺は体の良い安く使える労働力として、偶に漁以外の他所の仕事にも駆り出される事が有った。

 

 居着いてしまった以上仕方の無い事なので、俺はそれを享受していた。

 それに僅かながらも給金は出るし、生きて行く上で有難いとも思っていた。

 

 

 その日の仕事中の事だ。

 俺は同じく作業を割り当てられた農夫の下っ端と雑談に興じていた。彼の名をイヌガシというらしい。

 手は動かしながらも口も動かす。


 そのどうでもいい雑談の中で、俺は自分の身の上話をした。

 何故そういう流れになったかと言えば、それはイヌガシが自分語りを始めたからだ。

 その話を俺がうんうんと適当に相槌を打ってそれを聞いていると、急に話を振られたのだ。


「――それで、お前さんはどうしてこの村に?」

 

 と。そんな訳で、プライバシーに配慮して深海の歌姫ナキの存在は伏せつつ、俺が故郷の海で溺れてこの地へと流れ着いた事、そして俺の故郷というのがこことは違う世界である事、そんな話を適当に脚色を加えつつ面白おかしく話してやった。

 俺の話に時折「ほへえ」と気の抜けた反応を示しつつ聞いていたイヌガシは、荷を降ろした後こう言った。


「そいつはお前さん、迷い人じゃねえか?」

「迷い人、ですか?」


 聞きなれない単語に、俺はつい聞き返す。

 すると、イヌガシは教えてくれた。


「御伽噺の類だよ。たまーにな、そういうどこから来たのか分からん、お前さんの様な神隠しに遭った余所者が現れるって話だ。

 迷い人ってのはふらりと現れて、何を成す訳でも無くふらりと消える。だから誰の記憶にも残らないし、本当にそんな奴居たのかも分からねえ。そんな不確かであやふやな御伽噺だよ」


 神隠し。俺は神隠しに遭った。神に隠された。

 “神”と聞くと、この村で信仰されているヨコシマ様と、そしてナキの中に居るというタテシマ様。その二柱の神の存在が思い浮かぶ。

 ――そのどちらかが、俺をここへ?

 

 そして、迷い人。

 そう呼ばれると、確かに俺はそう呼ぶに相応しいだろうと思う。

 帰る場所を見失い、迷い、ふらりふらりとこの地へとやって来た。

 そして、イヌガシの話によれば、その迷い人はまたどこかへと消えていくらしい。


「じゃあ、俺もいつかふらりと居なくなっちゃうんですかねえ」

「さあな。迷い人が何を考えて現れて何を考えて消えるのか、俺らには分からねえよ。ただ迷い人が居着いたってオチの話も聞いた事ねえな」


 そしてイヌガシは豪快に笑って俺の背を強く叩き、


「ま、折角の労働力が減っちまうのは勿体ねえから、お前さんには消えんで欲しいがな」


 と、作業に戻って行こうとする。

 そこで俺はふと思い至り、慌ててイヌガシの背を追いかける。


「イヌガシさん。他にも面白い御伽噺って知りませんか? 例えば、人魚伝説とか、夜の浜辺で何か起こるとか、そういう――」


 初めは彼女の事をおかしな村の村人に勝手に吹聴するのを嫌って、存在を伏せて話した。

 しかし、イヌガシは迷い人という御伽噺を知っていた。

 ならば、例えば人魚伝説の様なナキに関する御伽噺が村に伝わっていてもおかしくはない。

 

 俺がそう問えば、イヌガシは視線を空に向けて、ううんと唸りながら頭を捻る。

 しかし、出てきた答えは、

 

「いんや、そういう話は聞いた事が無えなあ」


 という物だった。


「でも、どうしてそんな事聞くんだ? やけに具体的だが……」


 俺は慌てて頭を振る。


「いえ、故郷で似たような御伽噺があったような気がしたので、気になっただけですよ」


 変に悟られてナキに迷惑をかける訳にはいかない。

 俺は適当に誤魔化して、イヌガシ共々作業に戻った。


 しかし、俺に関連した迷い人という御伽噺は在っても、ナキに関連しそうな御伽噺は存在しないらしい。

 この村の住人は、あの深海の世界と交流を持つ機会は無かったという事なのだろうか。

 

 しかし、イヌガシの語った“迷い人の御伽噺”の通り、俺もいつかこの世界から居なくなるのかもしれない。

 それが元の世界への帰還を意味するのか、はたまた更に別の知らない地へと飛ばされてしまうのか、それは分からない。

 

 しかし、もし時間が解決してくれて、元の世界へと帰れるのだとすれば――いや、そんな美味い話が有るか。

 期待していると、その分落差で裏後られた時のショックは大きい。

 そう思って、俺はそんな妄想を振り払う。


 

 そうして仕事を終えて村に戻ると、少し騒がしい。村人が数名集まって何やら話している様だった。

 どうやら何かあったのだろうと察して、俺は様子を窺う。

 

 黒髪の男の村人二人が、こんな話をしていた。


「――またですかい? 最近やけに多いですなあ」

「祭りも近いし、余所者の出入りも激しいからな……。しかし、それにしても去年まではこんな事、無かったぞ」

「それで、何を盗られたんで?」

「石の首飾りだよ。女房の物なんだが、祭りの日に身に付けようって仕舞っておいた物が無くなっていたらしい。多分、昨日の内に盗られたなこりゃ」

「ほぇぇ……。よりによってアニキの所に盗み入るとは、罰当たりな輩も居たもんですねえ」


 どうやら、また盗人が入ったらしい。

 確かにここ最近、俺がこの地へと来てまだ数日程だが、それでも祭りの日が近づくにつれて、他所から来たであろう客人の数は多い。

 土産物を持って来てその包みを手渡す様子をよく見かける。

 その中に良からぬ事を企む輩も少なくはないのろう。


 こんな貧しい村から盗る様な物なんて有るのかと思わなくも無いが、やはり祭りの時期という点が重要なのだろう。

 祭りの時期は土産物がこの地へと多く集まる。よいご利益を求める者はその分良い物を納品する事だろう。つまり、輩はそれが目当てという事だ。

 

 しかし、あの編み藁とかいう飾りが盗人から家を守ってくれるのだと聞いていたが、どうやらその効果は全くと言っていい程無いらしい。

 どの家にも飾られているというのに、泥棒が頻発しているというのだから全く世話が無い。


 俺は素知らぬ顔で、彼らの横を通り過ぎて行く。

 その時だった。


(――うん?)


 村人の内の一人、誰かから鋭い視線が刺された様な、そんな気がした。

 しかし、あまりにも一瞬の事で、俺は振り返る事すらもなく、その場を後にした。

 


 村を過ぎて、浜辺に面したボロ小屋へと帰って来た。

 潮風を受けて朽ちかけた木製のボロ小屋だが、端材を使って大きな穴なんかは塞いである。見てくれは悪いが、住み心地自体は見た目ほど悪くはない。

 正確な時刻は分からないが、まだ日は高く夜までは時間が有る。

 俺はこのまま食事を摂って、仮眠をして、夜を待つという訳だ。


 火を起こして僅かな米と野菜の切れ端を使って即席の粥を作り、腹へと流し込む。

 食事をしながら、俺は今日聞いた話を思い出していた。


 仕事中にイヌガシから聞いた、迷い人の話。そして小耳に挟んだ村人たちのしていた、最近頻発する盗人の話。

 もしかすると、その二つの話には繋がる所が有るのではないか、と俺は考えた。

 

 例えばの話だ。もし俺が土産物の存在を知らずに、村で仕事に有りつけなかったとしよう。

 そうした場合、どうやって生きていくだろうか? 住む場所に困り、食事に困り、そうなった人間はどうするだろうか?

 そういう限界状態となった場合、盗みに手を染めてもおかしくないのではないだろうか。


 そう考えると、ある仮説に行き着く。

 俺以外の“迷い人”が居て、それが盗人なのではないだろうか、と。

 

 その仮説に行き着いた背景にはもう一つ、深海でナキから聞いた話も有った。

 ナキはこう言っていた。

 “以前にもこの場所に迷い込んで来た男性が居られました”と。そして、その男性は“ある時から、ぱたりと姿を見る事は無くなりました”と。

 

 神隠しに遭った迷い人が、皆俺の様に深海の世界へと導かれるとも限らないだろう。

 しかし、仮に運よく導かれたとしても、だからと言ってその人物がそう何度も海の底に沈んで行く物好きだとは限らない。

 むしろ普通の感性をしていればそう何度もそんな入水自殺の様な真似をしたいとは思わないだろう。――つまり、急に姿を現さなくなる。

 そして、そうなった迷い人は路頭に迷い、息絶える。――もしくは、生きる為に足掻く。つまり、盗みを働く。


 きっと、ナキの言っていた男性とはその前者だ。

 ジュウオウ村には余所者として弾かれ、生きていく術も無く、息絶えた。

 その結果として、“ぱたりと姿を現さなくなった”のだ。

 

 そして、今村を騒がせている盗人とは、おそらく後者だ。

 手を汚してでも生き続けようと、足掻いた結果だ。

 その盗人となった彼は、深海の世界を知らないはずだ。何故なら、ナキの口ぶりからすれば、直近であそこへ現れたのは俺だけのはずだからだ。

 どちらにせよ、それはナキに今晩聞いてみれば良い事だ。


 だがしかし、だ。だからと言って、その盗人が迷い人だった場合、俺はどうすれば良いのだろうか?

 仮に、この居るかどうかも分からないこの迷い人の事を迷い人Bと呼称しよう。Aは俺だ。

 

 迷い人Bを村人たちの前へ引っ張って行って懺悔でもさせるか?

 いいや、駄目だ。この村でそんな事をしたら、余所者どころか盗人である迷い人Bは殺されてしまうだろう。

 

 では、彼の罪を黙認して、素知らぬ顔をして仲間として迎え入れるというのはどうだろう。

 これも駄目とは言わないが、俺のリスクが高い。もし彼がどこかで目撃されていた場合、迷い人Aである俺もBとグルだと処刑に巻き込まれてしまう。

 ――つまり、結論としては干渉するべきではない。


 と、結論が出た辺りで、気付けば俺は小さな鍋の中の粥を食べきってしまっていた。

 しかしここまで考えたが、この迷い人Bが実在するという証拠も無い。この思考だって無駄かもしれないのだ。

 そう思うと急にどうでもよくなって、頭の隅に流れて、その思考もぼんやりと消えて行った。


「よいしょ――っと」

 

 俺は気合の掛け声を入れて、食器を片す為に立ち上がる。

 仕事で身体を動かした後に腹を満たせば、僅かな眠気が襲って来た。

 

 ――夜になれば、ナキに会える。

 それに備えて、俺は仮眠を取るのだった。

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