0023_基礎を教えないのは教育ではない

■ユウコ

ねーキズナさん、勉強教えてー。




■キズナ

えーっと……教えられるところは教えるのは良いけどぉ、私は飽く迄教育学者であって、教育者じゃないから、巧く教えられるか判らないよぉ。




■ユウコ

どう違うの?




■キズナ

えっと、教育とは何かを考えるのが哲学者の私がやってる事でぇ、実際に人に教えるのが教育者でこれは実践スキルとかが必要だからぁ……。




■ユウコ

んー……でもまあ、普通に頭良いでしょ、教えてー。

先生に質問しても、自分で考えるのが勉強だ、とか云って教えてくれないんだよー。




■キズナ

んー、そっかぁ……。




■ユウコ

と云うかそもそも、先生とか教える立場なのに教えてくれないってのはどうなの?

それって教育って云えるの?




■キズナ

まあ、教育方法にも色色とあるから一概には云えないんだけどぉ……。

私は、基本的には余り良い方法ではないんじゃないかなぁって思うよぉ。




■ユウコ

そうだよね?

とっとと教えてくれた方が話が速いのに、何で教えてくれないんだろ。




■キズナ

よく云われるのは、答だけを知ったって、考える力が身に付かないとかって感じみたいなんだけどねぇ。




■キズナ

でもね、考える為の素材も持っていない状態でものを考えるって、まあ無理なんだよねぇ。

料理で云うなら、材料も道具もない状態で、工夫して料理しろって云われてるみたいなもので、無いものは無いから無理なんだぁ。




■キズナ

ものを考える為の基礎は、知識とか情報なんだよぉ。

それらを組み合わせて行くのがものを考えるって云う事だから、それらは先ず最初に与えないと、先に進める訳が無いんだよぉ。




■キズナ

と云うか、考える力とかは、基礎じゃなくて応用の方で鍛えるべきものなんだよねぇ。

さっきも云ったように、考えるっていうのは基本を組み合わせて新たな知見を得る事であって、基礎自体を考えて構築すると云うのは、まあ無理なんだぁ。




■キズナ

例えば学者とかになるとね、全く未知の問題に挑む為にゼロから理論や基礎を構築したりって事をしたりもするんだけどぉ。

学者とかでも無い限り、そんな事する必要はないし、今も云った通り、それができる為の訓練は応用の時に訓練する事であって、基礎の時点からやるのは無理なんだよぉ。

そんな事ができる人は、既に学者以上に頭が良くて、多分もう何も学ぶもの無いと思うよぉ。

だって自分一人でゼロから何でもできちゃうんだから。




■ユウコ

そうだよね。

それってもう、教育じゃなくて、最初からその人が超人だったってだけじゃん。




■キズナ

そうだねぇ。

教育は、できない事ができるようになる為のサポートだからぁ、できる人に対して施すものじゃないんだよねぇ。

できない人を、できるようにするのが教育で、知らないものを知らせるのが教育だからぁ、基本は教えないといけないんだよぉ。

応用は基本の組み合わせだから、基本がなきゃスタートできないんだよぉ。




■ユウコ

学習は基礎が大事だ、みたいに云われるけど、それって同じような事?




■キズナ

うん、そうだよぉ。

応用は基礎の組み合わせでしかないから、基礎がありさえすればどうとでも応用できるし、基礎が無ければ応用もできないんだぁ。

応用って、組み合わさった基礎でしかなくて、要するに基礎しか無いんだよぉ。




■ユウコ

へ、へー。

簡単なものこそ実は難しいみたいな話かと思った。




■キズナ

そう云う逆説表現って、人間は面白いなって思うんだけどぉ、面白いかどうかは事実と無関係だから、大喜利とか頓知とか言葉遊びって、哲学的には特に意味は無いんだよぉ。

印象的に伝える為にアフォリズムを手法として使う事はあっても、それは伝達の工夫であって、本質ではないんだぁ。

客観事実は客観範疇で考えなきゃいけなくて、主観的面白さや意外性は関係無いんだぁ。




■ユウコ

主観と客観は独立、だもんね。




■キズナ

うん、そうそう。

だから、基礎を固めれば良い訳で、その基礎は先ず与えないと鍛えようもないんだよねぇ。

基礎がちゃんと定着しさえすれば、後は目的に応じて何をどうしたら良いかを考える、そこが考える訓練で、応用と云うものなんだよぉ。




■ユウコ

ふむふむ。




■キズナ

例えば問題集とかで応用問題が出題されたりもすると思うけどぉ、あれは例えばこういう応用ができるよっていう具体例を見せているだけで、それ自体が重要な訳ではないんだねぇ。

大事なのは、例えばそう云う応用ができるんだっていうサンプル、即ち知識や情報と云う基礎、これをその例示でまた得ていく事で、応用のやり方とかも視えたりするっていう事なんだぁ。

だから応用問題と云うのは、一個レベルが上がった地点での、基礎なんだよぉ。




■ユウコ

へえ……応用問題も実は基礎問題なんだ。




■キズナ

うん、応用と云うレベルに於ける基礎知識だよぉ。

だから、基礎しかないんだよ、学習対象ってぇ。




■ユウコ

へえー……。




■キズナ

そうして基礎を得れば、それを参考に別の方法を考えたり、その知識を組み合わせたりして、また新たな応用ができる、そうして得られた結果は、また一つの知識情報であり、そのレベルに於ける基礎となって、また次の応用へと繋がっていくんだぁ。




■ユウコ

成程なあ。




■キズナ

そんな訳で、基礎が無いと何もできないので、基礎をどんどん教えていく事で、どんどん成長させる事ができるんだよぉ、基本的にはねぇ。




■ユウコ

基礎から自力で、ってのは無理なんだよね?




■キズナ

それができるのは、長い年月と天才性が必要だよぉ。

基礎から自力でやれ、全ての基礎はいつか誰かが構築したものだからお前にもできるはず、っていうのはねぇ、プロスポーツ選手がプロの世界で活躍できるんだから、素人の子供にもプロの世界での活躍ができるはずだって云うようなものなんだよぉ。




■ユウコ

あー、それは無理だ。




■キズナ

プロだからできるんであって、プロじゃなきゃ無理だよぉ。




■キズナ

例えば哲学の歴史を紐解くと、その最初は神話からの脱却と自然界の観察と考察だったんだけどぉ、そこから万物はこれだと云う基礎を見出して、そこから批判合戦が始まって今の文明にまで発展してきたんだけどねぇ。

それって長い年月を掛けて天才達が色色整備しながらやってきたから、今の時代では一言で歴史として語れるようになっているだけなんだよぉ。




■キズナ

ユウコちゃんもやってみるぅ?

いきなり自然界に放り出されて、さぁこの世界は何からできているのかどうなっているのか、自力でゼロから結論を出せーってぇ。




■ユウコ

絶対無理っす!




■キズナ

それをやるのが哲学者なんだけどねぇ。

まあ要するに、初学者には無理なんだよぉ、そんな事。




■キズナ

学校で教わる色んな知識はね、実はとても複雑な根本理論があって初めて成立していたりもするからぁ、それを自力で考えて解れっていうのは、天才が辿ったのと同じ足跡を自力で辿ってみせろって云うようなもので、まあ無理なんだよぉ。

それができる人は、多分もうその対象について学習する必要がないくらい、その対象をよく解っているはずだからねぇ。




■キズナ

それに天才達だって、いきなり答に辿り着いているんじゃなくて、対象を十分に理解して漸く可能性に気付いていってるだけなんだからねぇ。

そしてそれができるだけの訓練は、もっと以前に実はやっているんだよぉ。

それを無視して、天才と同じようにゼロから見抜けってのは、まあ無理だねぇ。




■ユウコ

無茶苦茶だぁ。




■キズナ

と云う訳で、知識や情報は、教えちゃった方が速いんだよぉ。




■ユウコ

見て盗め、みたいなのは間違いって事?




■キズナ

んーとね、実感だとか体得だとかは単純な知識ではなくて能力だからぁ、見て盗むと云うやり方しか無い学習とかも、確かにあるんだよぉ。

でも、そうじゃないただの情報とかは、教えちゃえば良いだけで、教えない理由がないんだぁ。




■キズナ

例えば電話番号とかだったら、一一推理するより、共有しちゃった方が速いよねぇ。

基礎の全てを自力で見出そうとしたら、成長する前に寿命が来ちゃうんだよぉ。

車輪の再発明をするより、既にある車輪を使えば別に良いんだよねぇ。

考える訓練なら、その車輪をどう使うかっていう方でどうせやる事になるんだしねぇ。




■ユウコ

確かにそうだなあ。




■キズナ

だから、初期学習の段階で、解説を省略して、例えば謎な数式変形とか、よく考えたら理解できるけどよく考えなきゃ理解できないような例示とかは、巧くないんだぁ。

それは基礎を固めた上でやれば良い事であって、基礎の時点でやるべきじゃないんだよぉ。




■キズナ

なので、質問禁止とか、自分で考えろっていうのは、直ちに間違った方法ではないんだけどぉ、基礎の時点でやるべきものではないって事なんだぁ。

それこそ、基礎固めが大事なんだから、そんな応用的教育をやるのは、基礎を軽んじる態度でナンセンスだって事なんだよぉ。




■ユウコ

成程なあ。

基礎が大事だからこそ、難しい事やらせないで基礎を与えて固めさせろって事なんだね。




■キズナ

自力で考えるとかってねぇ、基礎の時点でやらなくたって、どうせ後で幾らでもやるんだよぉ。

だから基礎の段階でまでやるのは、無駄なんだよねぇ。

基礎の時点で難しい事をやらせると、学ぶ側は混乱して寧ろ苦手意識がついてしまったり、厭になって忌避反応を示すようになって、もうその対象へセンサーが向かなくなっちゃうんだぁ。

そうして、できるはずだったものも、できなくなっちゃうんだよぉ。




■ユウコ

憶えがあるなあ……。




■キズナ

だから、学習の基本は、最初は手取り足取り丁寧に誤解の混じらないように正確に教えて、その基礎が定着したら、後は自力で応用していけ、っていう形なんだよぉ。

応用ができないようではダメだし、応用はどうとでもできるから全てを教えると云うのはそもそもナンセンスだし、基礎が固まってれば応用は絶対にできるんだよぉ。




■ユウコ

へえ……でも、もし応用ができなかったら?

私、応用問題とか苦手で全然判らないんだけど。




■キズナ

それはね、実は基礎がまだよく解っていない、慣れていない、って事なんだぁ。




■ユウコ

でも教科書の基礎の部分に書いてある事は、普通に何となく解るんだけど……。




■キズナ

普通に何となく解る程度の状態を、よく解っていない、慣れていない、って呼ぶんだよぉ。




■ユウコ

……マジすか。




■キズナ

マジすよぉ。

ちゃんと完璧に説明できて、手足のように使いこなせて、初めて基礎が固まったと云えるし、応用ができるようになるんだよぉ。

応用って、基礎を手足のように使いこなす事だからねぇ。




■ユウコ

む、むう……。




■キズナ

例えばぁ、二次方程式の解の公式は云えるぅ?




■ユウコ

えーと、イメージはある。

2a分のどうしたこうしたってヤツでしょ。




■キズナ

それじゃぁ理解してるとは、云えないんだよぉ。




■ユウコ

む、むー……成程。




■キズナ

例えば、一桁の掛け算とかは学校で暗記させられたりしたよねぇ。

あれ、スラスラ云えるからこそ、それより大きい掛け算ができるんであって、一桁の掛け算ができなかったら、絶対に計算なんてできないんだよぉ。




■ユウコ

そうねえ……さすがに私もスラスラ云えるかな……多分。




■キズナ

幾つ掛ける幾つは幾つかと訊かれて、淀みなく幾つだって答えられるから、そこに脳の思考容量を割く必要がなく、だったらどうなのかっていう応用の方に脳を使う事ができるんだよぉ。

だから、計算とかに対して、えーっと幾つだっけ、って頭を使っている状態では、応用の方に脳を向けられないから応用ができないんだよぉ。




■キズナ

例えば会話をする時に、一一辞書を引いたりしないよねぇ。

それは、母国語に既に慣れ親しんで体得してるからなんだよぉ。

一方外国語とかは、辞書とか無しのスムーズな会話が難しい、これはまだ十分に慣れてないから、って事なんだよぉ。




■ユウコ

あー、だから基礎を固めろ、なんだ。




■キズナ

うん、基礎を固めれば、もうそっちに脳を使わないで済むから難しい事を考えるのに集中できるんだよぉ。

そんな感じで、専門用語とか、外国語の単語とか、定理とか、そう云うものは、見た瞬間に使いこなせる状態が、理解していると云う状態で、えーっと何だっけ、ってなっちゃう状況は、まだ理解体得しているとは云えなくて、まだ不慣れだって事なんだよぉ。

これは厳しい事を云っているんじゃなくて、そこで脳の容量を使っちゃうと先に進む為の思考の方の容量が無くなっちゃうから先に進めないって事で、それが応用ができないって状況だって事なんだよぉ。




■ユウコ

な、成程……。




■キズナ

そして、一桁の掛け算なんて、知識として覚えちゃえば良くて、乗法と云うのがそもそもどう云う演算であるのかとか、可換性の起源だとか迄気にする必要は、数学者でもない限り無いんだよぉ。




■ユウコ

だから知識とかって大事なんだ……。

知識豊富である事は頭の良さと関係無いって話を聞いたけど、間違いだったんだ。




■キズナ

間違いと云う訳でもないけど、しっかり定着した知識が豊富でないと、応用の幅が利かないから、応用の幅が利く人は必然的に定着した知識も豊富だって感じかなあ。

頭の良さを、能力と捉えるなら知識量は関係無いかもしれないけれど、成果の実現性と捉えるなら知識は豊富な方が良いよぉ。




■ユウコ

は、はぇー……。




■キズナ

それでね、自力で全て考えようとすると、どうしても余計なところが気になったりもするんだよぉ。

例えば掛け算って可換性があるように思えるけど、本当にそうなのかって気になっちゃったら、そこを証明しないと可換性があるって断言できずに行き詰まっちゃうよねぇ。

でもそんな証明、掛け算をこれから学ぼうと云う人ができる訳がないんだよぉ。




■ユウコ

ま、まあそこまで難しく考えた事はないけど……。




■キズナ

だからまあ端的に云えば、習うより慣れろって感じだねぇ。

理屈は、その対象を十分捉える事ができてから漸く見抜いていけるものであって、対象自体への認識さえない状態では、目にも視えない認識もできない何か知らないものをどうにか分析しろって云ってるようなもので、できる訳ないんだよねぇ。




■ユウコ




■キズナ

理論とか法則は基本的に帰納的に見出していくものでね、その為のサンプルが先ず必要なんだぁ。

だから、サンプルが事前にあるんだったら、もう共有しちゃえば良いんだよぉ。

サンプル集めから自分でやれなんてやり方では、不適格なサンプルを集めちゃったりして混乱しかねないし、手間が掛かるばかりでうんざりするだけなんだよねぇ。




■ユウコ

だから、基礎はとっとと教えてしまえ、なんだね。




■キズナ

まあそんな感じで、教えない教育なんてのは基本的にはあり得ないんだよぉ。

獅子が我が子を千尋の谷に突き落とすとしても、人間は獅子じゃないからそんな方法やらなくて良いんだよぉ。




■ユウコ

うーん、それはそうだ。




■キズナ

基礎だけ与える、後は見守り、質問には答える。

そうすると、相手はどこまでも成長していけるんだよぉ。

応用は自力でやるものだし、そこで思考訓練はどうせせざるを得ないから、基礎の段階でやる必要はないんだぁ。




■ユウコ

問題の答とかも、教えちゃって良いの?




■キズナ

必要なら、教えちゃって良いよぉ。

ただ大事なのは、何故それが答となるのかについて理解させなくてはいけないって事。

それも、要するに基礎固めなんだよぉ。




■ユウコ

ふむふむ。




■キズナ

勿論、不必要に教えても意味はないんだけどねぇ。

答を知って、それで終わりと云うのは、知識が増えただけであって学習じゃないんだよねぇ。

しかもその知識は、その問題の答と云う、他に応用のしようのないただの知識だから、意味がないんだぁ。




■キズナ

応用は抽象的なシステムを各具体事例に適用していくものだから、抽象、根本の理解が基礎なんだよぉ。

問題集の各答は飽く迄その問題の答でしかなく、そこが重要なんじゃなくて、どうしてこの問題ならこの答になるのかっていう理論の為のサンプルと、こういう理論なんだからこの問題の場合は答はこうなるはずと云う予測への答え合わせの為にあるんだぁ。




■ユウコ

答の丸暗記は、学習じゃないのね。




■キズナ

具体的な情報は応用できないからねえ。

応用は、抽象的で汎用性があるからできるものだから、具体物は基本的に応用できないんだよぉ。

知識の組み合わせも要するに、他と組み合わせられると云う汎用性があるからだからねぇ。

まあ細い話をしようとすると混乱するだろうから、今はこのくらいにしておこうかぁ。




■ユウコ

ふ、ふーん……。




■キズナ

まあそんな訳で、当たり前の事なんだけど、何も教えないならそれは教育ではないんだよねぇ。

学ぶ側が頑張って自力で何か成長したなら、それは当人の実力であって、他者は何もしていないんだから教えた事にも手柄にもならない訳でぇ。

だったらそれって、居ないのと同じだよねぇ。




■ユウコ

そうだよね。

私が頑張ったのに、俺が敢えて突き放したのが良かったのだみたいに云われると腹立つんだけどさあ、どうしたら良い?




■キズナ

どうしようも無いかなぁ……。

主観は客観と独立だから、当人がそう思っちゃってるなら当人の中ではそうだからねぇ。




■ユウコ

でも腹立つなー。




■キズナ

まあ、客観は主観と独立だからねぇ。

誰が何と云おうと、ユウコちゃんが自分で頑張って自力で成長したんだって事実を、少くとも私は知っているよぉ。




■ユウコ

あ、ありがとーキズナさーん!



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