10. どうしても

 いくら怪我がなくても、危ないことには変わりない。レイの安全を守れなかったのは、主人である私の失敗だ。レイを危険な目に合わせてしまった。私がきちんとしていれば、こんなことにはならなかったのに。


 医務室に到着すると、レイはベッドに寝かされていた。聖女様が癒やしを施してくれているので、私はドアの側でその様子を見ていた。そして、治療が終わってから、レイの側に近寄った。


「ここはもういいわ。呼ぶまで、二人にしてちょうだい。すぐに会場のほうのケアに行って。本格的な対戦を見て、トラウマになる子がいるかもしれないから」


 精一杯に王族の威厳を保って、私はそう言った。本当は泣き出してしまいそうだったけれど、みんなの前でそんな姿は見せられない。だって、私は王女だから。


 人がいなくなってから、私はそっとレイの手を握った。冷たい手。開かない目。失った魔力は自然に回復するのを待つしかない。たぶん、しばらく眠ったままだろう。


「レイ、私のせいでごめんね」


 涙が出た。でも、今は泣いている場合じゃない。少しでも、レイのためにできることをしなくちゃ。


 私は手からそっと魔力を流した。レイの気持ちを落ち着かせるためだけに。レイを驚かさないように、ゆっくり少しずつ。レイの体の気の流れに乗せて。柔らかい魔力を流す。こうしておけば、心地よい眠りの中にいられるはずだ。きっと優しい夢が見られる。


 何時間そうしていただろう。集中していたので、時間の感覚を忘れてしまっていた。それでも、だんだんとレイの手に体温が戻ってきて、顔色が良くなってきたのは分かっていた。


「もう、大丈夫です」


 レイがそう言ったので、私は驚いて手を引っ込めた。いつの間にか、レイはベッドの上で上体を起こしていた。魔力を流すことに夢中で、レイが起きたことにすら全く気が付かなかった。


「何してるの! 起きちゃだめ。寝てなさいよ!」


 ずっと手を握っていたのが急に恥ずかしくなって、私はつい強い口調で命令してしまった。弱っている人にこんなこと言うなんて、私って本当に嫌な人間。レイだって呆れてる。


 そう思うと、またちょっと泣きたくなった。


「心配……してくれたんですね」


「と、当然よ。私はあなたの主人よ。従者の健康と安全を守るのは、主の義務なのよ!」


 そうよ。私がレイに付き添ったのは、レイが私の従者だから。雇い主としての責任を果たしただけ。他の理由はない。


「とにかく、安静にしなさいよ! 従者に倒れられたら、私が困るんだから」


 二人っきりでいるのは、なんだか居心地が悪い。私はそのままドアのほうに向かって歩きだした。お医者様を呼んでから、食事も運ばせよう。


「行くの?」


「目が覚めたって報告するのよ。お腹もすいたでしょ?」


「そうじゃなくて、あいつの国」


 あいつってアレクのこと? レイはあんな冗談を本気にしてたの?


「行かないわよ」


 私の答えを聞いて、レイは安心したように目を閉じた。それでいい。早く全快するには、少しでも休むほうがいい。今はもっと眠って。


「もう少し寝なさいよ。今日はもう従者はいらない」


「ごめん。負けた」


「いいわよ。アレク相手にあれだけ戦えるなんて、主人として鼻が高いわ」


 これは本心だった。アレクは魔力が強い王家のサラブレッド。生まれたときから優秀な教授陣に囲まれている。そんなアレクにも、レイがどれくらいすごいか分かったはずだ。数年もすれば、きっとレイには勝てなくなる。


「あいつより、絶対強くなるから」


「そんなの分かってるわ」


「だから、行かないでほしい」


 レイは目を開けて、こっちを真っ直ぐに見てそう言った。普段は見せない切羽詰まったような真剣な顔。そんな目をされたら、こっちが焦ってしまう。


「行かないって、言ってるじゃない」


「本当に?」


 どうしてそんなに気にするんだろう。一国の王女が、簡単に外国に行くと思ってるのかしら? 隣国は友好国だし、人質が必要なわけでもない。行くとしたら、婚姻くらいしか……。

 え、まさか、私とアレクが本当に婚約者同士だと思ってるの? あんなの、うそっぱちなのに!


「あ、当たり前でしょ」


 私は急いで言った。アレクと結婚とかありえない! 私はアレクなんて好きにならないし、ああいう子はタイプじゃない。私が好きなのは……。


「私はこの国がいいの! どうしてもよ!」


 レイに誤解されたくない。私とアレクは婚約者なんかじゃない。それに外国になんて、絶対に行かない。だって……


「だって、この国にはレイがいるんだもの!」


 私がそう言うと、レイが嬉しそうに笑った。初めて会ったときと同じような、すごく素敵な笑顔だった。ずっと、レイのこんな顔が見たかったし、これからもずっと見ていたい。


 それなのに、レイの笑顔が見れて嬉しいのに、私はまた泣きそうになってしまった。どうしよう。なんだか分からないけど、胸が痛い。

 なんでこんな気持ちになるの? 私、どっかおかしい。病気?


「ありがとう」


 レイはそう言ったけれど、私はもうレイの顔を見れなくて、後ろを向いた。なんだか顔がものすごく熱いし、胸がドキドキしてうるさい。熱風邪を引いたのかもしれない。


「とにかく休みなさいよ! 明日からまた、こき使ってやるんだからっ」


 私はレイのほうを振り返らずに、そう言い残して医務室を出た。本当はもうちょっとレイのそばにいたかった。でも、あのままだったら、私の風邪が悪化するような気がしたから。


 早く外の冷たい空気が吸いたくて、私はそのまま駆け出した。

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