王女セシルの宿命と恋の行方 ~ 無償の愛が世界を救う礎となるまで~

日置 槐

1. 不思議な気持ち

 私が彼を知ったのは、父王の名で創設された魔術師養成施設だった。


 夜の闇のように黒い髪と黒曜石みたいにきらめく瞳。意志が強そうな鋭い目つき。無口で無表情で、年齢よりも大人びて見える。でも、笑顔はまだ幼くて、なぜか懐かしい気持ちになった。初対面のはずなのに、喜びで胸がザワザワと波立つ不思議な感覚がした。


 あれは新入生の魔力戦を翌日に控えた午後だった。私が施設の裏庭を通りかかると、数人の男の子たちが寄ってたかって、一人の男の子に殴る蹴るの乱暴をはたらいていたのだ。


「教官のお気に入りだからって、いい気になるなよ」


「僕たちは貴族だぞ。身の程を知れ!」


「ほら、それ返せよ。捻り潰してやる」


 無抵抗の男の子は地べたに丸くうずくまったまま。どう見ても弱い者いじめ。こんなの見過ごせない!


「ちょっと、あなたたちっ。 何をしてるの? やめなさいよ」


 振り返ったいじめっ子たちは、私の顔を見るや一目散に逃げ出した。


 失礼だわ! こういうときは、愛想笑いをしながら『見間違いです』みたいな嘘をつくのが普通でしょ? だって、私は王女なのよ! みんながご機嫌を取って、ちやほやすべき相手なんだからっ。


 なんてね。私には当てはまらない。王女と言っても平民の母を持つ紛い者。私に取り入ったところで、彼らに特にいいことはない。


『人間離れした魔力を持つ化け物王女』


 それが裏で囁かれる私の異名。王族の身分のせいで面と向かって言ってくる子はいないけれど、噂なんて嫌でも耳に入ってくる。


 だから、みんなが私とは関わらないようにしている。友達もいない。ひとりぼっち。


「擦りむいてるよ。医務室に行こ?」


 私はいじめられっ子に手を貸そうとした。それなのに、その手はパッと払われた。感じ悪い。私なんかに助けられたくない? 触られるのも嫌ってこと?


 その子の態度にムカッとした。けれど、どうやら私の勘違いだったみたい。その子は別のことを気にしていただけだった。


「触るなよ。きれいな服が汚れる」


 土まみれの顔をあげたのは、黒髪に黒い瞳の男の子。目つきは鋭いけど、ちょっとカッコイイ。顔は……、好み。立ち上がると背も高い。あんなひょろひょろした貴族のいじめっ子に負けるような体格じゃない。なんで無抵抗だったんだろう?


「そんなの、いいわよ。それより、なんでやられっぱなしだったの? 少しは抵抗したっていいんじゃない? 男のくせにみっともないわ」


 そう言ってからよく見ると、男の子の手の中には小さな小鳥の雛がぐったりしていた。この子はこの雛をかばってたんだ。だから、あいつらに手を出さなかったんだ。


「ごめん、気が付かなかった。あの、その子、大丈夫?」


 男の子は手の中の雛をじっと見てから、私に縋るような目を向けた。なんだろう、さっきとは違う表情。もしかして、泣いちゃう?


「まだ息がある。治癒魔法……、できる?」


 私は頷いてから、男の子の手のひらに自分の手を重ねて、ありったけの魔力を流した。男の子の温かい手。ふわふわな雛の羽毛。この子が助けた雛をどうしても治してあげたい。


 しばらくすると、男の子の手の中で雛がピヨピヨと鳴き出した。成功だ。私って天才!


「もう、大丈夫だと思うよ」


 私がそう言うと、男の子は雛と私の顔を何度も見比べて、それから嬉しそうに笑った。この子、こんな風に笑うんだ。


 その素直な笑顔が眩しくて、なんだか胸がドキドキした。なんなの、これ。すごく頬が熱い。


「こんな高度な魔法、すごいな」


 男の子はそう言うと、雛に浮遊魔法をかけて、そっと木の上の巣に戻した。すると、すぐに親鳥が餌を運んできた。


 その様子を見ながら、私は両手で自分の頬を覆った。手の冷たさが、ひんやりして気持ちいい。


「あなた、新入生? 名前なんていうの?」


「レイ」


「レイ。レイ、何?」


「名字はない」


 名字がないのは平民。この国で名字を持つのは貴族だけだ。この施設にはそれほど平民はいないし、やっぱりこの子は今期の新入生だ。


「そうなんだ。私は……」


「セシル王女だろ」


 私ってそんなに有名なの? そっか、今ここにいる王女は私だけだし、いろいろ噂を聞いているのかも。嫌だな。化け物なんて言われてるの知ってるのかな。怖がられちゃうかな。


「……そうよ」


「助かった。ありがとう」


 私は耳を疑った。今、なんて言ったの? ありがとうって、お礼を言ったの? 私に? 普通に言うみたいに?


 そんなこと、誰にも言われたことない。みんな、ただ恐縮するか、媚びへつらうか、逃げるだけ。私を腫れ物みたいに扱う。

 なのに、この子は違う。普通の子みたいに、普通に話してくれる。


「いいよ。たまたま通りかかっただけだし」


「ラッキーだったよ。あれ、お迎えじゃない?」


 男の子の目線を追って振り返ると、施設のほうから、私付きの侍女が走ってくるのが見えた。ああ、めんどくさい人に見つかっちゃった。


「そうみたい。もう行くわ」


「うん、またな」


 またな……、って! まるで友達に言われたみたいで嬉しくなる。


 でも、たぶん、もう、会うことはない。王族と平民には、この先なんの関係も接点もない。そんなこと、この子も知っているはず。


 私は返事もせずに走り出した。なんとなく、これ以上は今の顔を見られたくない。そんな気がしたから。


 それが、私とレイに初めて会ったときの出来事だった。

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