水浴び
「はぁっ!」
コボルトが胸を串刺しにされて死ぬ。槍を引き抜いて、次の獲物に向ける。
「バラッド、そこまでだ! ここいらで撤退しよう!」
「おう!」「あいさ!」「あいあい!」「分かりました!」
全員、バラバラの返事をして退却していく。
ここまで前線を上げればしばらくは大丈夫だな……
「やっぱり、スタンピード後だと魔物が少ないな!」
「こういう時じゃないと7Fの魔物とも戦えないしね!」
「油断するなよ! 物陰に魔物が隠れていることもある!」
「分かってるよ!」
俺達は翌日から迷宮巡回を再開した。
スタンピードを退けたからって、魔物は常に湧いてくる。
特にスタンピード後は冒険者が休みがちなので、俺たちみたいな常連は前線を下げないために魔物の少ないスタンピード後の迷宮に潜ることになる。
そんなわけで参加者が少ない中、魔物も少ない迷宮をいつも通り巡回していた。
「だが、6階層より下に来ることは滅多にないよな。そろそろ俺たちも深く潜っていいんじゃねえか?」
「ベック、言っただろ。そうやって死んでいった仲間を大勢見てきた。熟練だろうと対して強くなるわけでもない。俺達は迷宮が崩壊しない程度に魔物を狩ればいいんだ!」
「ちぇっ、そろそろ給料を一段アップしたいと思ってたのによ〜」
きっと、ベックは女遊びの金が欲しいんだろう。
嬢の方も財布が厚いと知れば態度が変わってくるというものだ。
そういった場で大事なのは最終的にいくら金を落とすかではなく、いくらまで金を落とせるかである。
◇
「今日は一人当たり銅貨十枚だ」
「ちっ、しけてんなぁ。俺達はコボルトを狩ったってのに」
「スタンピード後で金回りに困ってるんだろう。これでも引き出した方だ」
受付との金交渉は基本的にリーダーのベンダーが行うことになっている。
普段の財務管理も兼任していて、こういう交渉役はギルドに顔の効く人物でなくてはならない。
つまり、ベンダーはこのパーティにとって欠かせない人物ということだ。
「それじゃ、今日は解散だ」
「なぁ、バラッドよ。ちょっと今日は付き合ってくれねぇか〜?」
「
「そうじゃねえよ。今日は奢ってやるからさ〜」
「……なんか、胡散臭いな。いつもは驕れ奢れってうるさいのに」
「ベック」
ベンダーがベックに声をかける。
「何だよ〜、リーダー様〜」
「言っただろう、入る時に」
「……分かったよ」
ベックが鬱陶しい肩組みを解く。
入る時って何のことだ……?
今のベックの行動がパーティルールのどれかに抵触したのか?
「……」
「……バラッド、アンタはもう帰るのかい?」
「え、あぁ。もうそろそろ日も落ちるしな。やることないだろ」
「まぁ、そうだね……」
「それじゃ、またな」
「ああ、また」
「気をつけて帰れよ〜」
「子供じゃねえんだから」
仲間達の見送りを受けて、赤らんできた空の下、家路を辿った。
「……帰ったぞ」
「──おかりなさい!」
いつも通り、軒先でノックしてから家に入る。
ニーニャはちょうどいいタイミングでいつも通りの笑顔を浮かべて出迎えてくれた。
いつも通りだ、うん。
「食事はしばらく大丈夫なんだけっか」
「あっ、えっと、はい……」
「そうか。それならちょっと水浴びをしてくる」
「あっ、主人様!」
「なんだ」
また、踵を返して背中にかけられた言葉に振り向く。
桃髪を流すニーニャは、言いづらそうな雰囲気で俯いていた。
「あの……」
「……どうした?」
「その、私も水浴びにご一緒しても、いいですか?」
「……勿論だ」
彼女の頭を撫でた。
「……」
「……」
拒否は、されない。
◇
「ここらでいいか」
「はい、ありがとうございます」
やって来たのは川のほとり。
家からしばらくいった先の林の中で、ここなら人気もないだろう。
「周囲を見張ってる。誰か来たら合図するから、動けないふりをしてくれ」
「分かりました」
可愛らしいドレスからボロ布のローブに着替えていた彼女は、それさえも脱ぎ捨てる。
丁寧に岩の方にそれをかけると、躊躇せずに冷たい川の水に足を入れて、手で掬った水で体を洗い始めた。
「……」
川のせせらぎが聞こえる。
木々のざわめきと遠くから聞こえる鳥の声が耳朶を刺激した。
遠くの空は徐々に紫に色づいている。
夕日に煌めく川の流れの中、宝石のようなロングヘアを煌めかせながら体の垢を落とす彼女の姿は絵画の中にいるようだった。
万が一、ここに人が来れば俺が淫魔を洗いに来た体で誤魔化す。そのために俺は彼女が終わるまで見張っていなければならない。
やっていることは水浴びする少女の覗きの警戒だ。まあ、覗かれた困るという点では一緒だな。
「終わりました」
「分かった。そこに座って、待っていてくれ。念の為動かないように」
「はい」
俺も上着を脱いで、下履きを下ろす。
肌着姿になって冷たい風が体を撫でた。
しきりに音をさせている清流の方にむかい、手を入れて温度を確認する。
ニーニャめ……これに躊躇なく足を踏み入れたのか。かなり冷たいじゃないか。
やはり淫魔とは寒暖差に強いらしい。寒い日に彼女を湯たんぽがわりに使ったこともある。これからもそういう日はお世話になるだろう。
仕事の汚れを落としていると彼女からの視線を感じた。
「……」
「……」
それにどんな意味が籠もっているかもわからない。
もしかしたら、動かないままでいろと指示したのでその通りにしているだけかも知れない。
しかし、女性の行動は裏まで読めとは彼女の言だ。考えるに越したことはないのだという。
──俺はまだ、彼女のことを女性として見ている。単なる相談者でも、サポーターでもなくだ。
粗方体を洗い終えるとニーニャの方から近づいてきた。
「すんすん」
「に、ニーニャ……⁉︎」
突然の行動に驚く。
「主人様、突然ですがサキュバス恋愛講座その4です」
「お、おお……聞こうか」
「女性と接する上では、清潔感が何よりも大事! なのです!」
「そうか、分かったから、ちょっと声を落とそうな」
「すっ、すいません……」
しょんぼりとした彼女に話の続きを促す。
「それで、何でなんだ?」
「はい。これも以前に話したことですが、女性は基本的に潜在下で男性を脅威として認識しています」
「そうだな」
「それで、なんですが……身なりの悪い人というのは怪しいです」
「そうだな」
「何をしてくるかも分かりません!」
「それはちょっと大袈裟じゃないか……?」
確かに身なりが悪いと犯罪を犯すこともある。
しかし、だからと言って必ずしも悪人とは限らないんじゃないだろうか。
「女性にとってはその小さな差が大事なのです。ご主人様は牙の大きい怪物と牙の普通な怪物、どちらに挑まれようと思いますか?」
「……牙が普通な方だな」
「そうです。身なりが悪い人もいれば、そうでない人もいます。だから、身なりの悪い人は基本的に避けようとするのが真理なのです!」
「むぅ……」
そうなると、本当に女性は猫か兎だな。
完全に狩られる側というわけか。いや、マゼンダみたいなタイプだとそうでもないのか?
「匂いというのも大事な要素なのですよ?」
「臭かったか⁉︎」
「いいえ、私は好きな匂いです」
「そ、そうか……」
彼女の言葉にドキリとする。
俺の体臭をニーニャは好きなのか、そうなのか……
……いや、彼女はあっけらかんと話している。単純に人として好ましいということか。断じて恋愛的な意味ではない。
分かってはいるが、どうしても期待してしまう。やはり、今日の『食事』は避けて正解だ。
「できれば、毎日このように水浴びをされた方がよろしいかと」
「ふむ……今までは面倒な日は避けていたからな」
「そうでしょう? 主人様は少々抜けておられますから」
「むっ」
反論したかったができなかった。確かにズボラなことはある。
「ニーニャだって多少ドジだろう」
「な、何でですか?」
「この状況下で、先ほど大きな声を出したし」
「それはっ…………すいません」
「別にいいぞ」
彼女の頭を撫でる。今度は少し恨めしそうな顔をした。
「……じゃあ、帰るか」
「はい、主人様」
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