第十三話 今日のこと

「今日のこれは、敦の昇給試験を兼ねた全調査員の抜き打ち訓練だ」

 国木田は鋭い目を細め、医務室を見渡す。

 事情を知らない者たちは、分かったような分かっていないような顔を見合わせる。

「このことを知っていたのは、社長、俺、太宰、敦、賢治、そして事務員の方々だ。敦の昇給試験の規定は、賢治に変身した自分の正体を隠し通しながら、台本通りに事件を起こし、最後には自力でその事件を終結させること。それが成功すれば給料を現在の一・一五倍に。その上で乱歩さんに真実を見抜かれなければ二倍に――ということでしたが」

 国木田は諦め顔で、奥の寝台に横になっている乱歩に目を遣る。

「花袋さーん。事務所の入り口の防犯カメラぁ」

 乱歩はそれだけ云って、ねたように向こうを向いてしまった。

「あ、はい、お待ちくださいませよぉ……」

 花袋は寝台に寝たままごそごそと携帯電話を取り出すと、いくつかの釦を手早てばやく操作する。

「ええ、今、全員の携帯電話に送信しましたよ」

 調査員たちは各々携帯電話を取り出し、電子手紙メエル添付てんぷされた動画ファイルを開く――。

 事務所の出入り口の上から廊下を映したあらい映像の左上には、今日の日付と『午前十一時五十三分』の字が表示されている。

 まず、比較的ゆっくり走る賢治(敦)と谷崎のぶつりの残像が映り、次に鏡花が出ていく姿が映り、少しして、与謝野と乱歩が出てくる――。

 乱歩は与謝野を先に歩かせ、振り返ってカメラを見上げると、胸元に小さな紙をかかげる。

 花袋の映像編集により、その小さな紙が映像のわく一杯に拡大され、画質が悪くて読めなかった文字が、四角い霧を剥がれるように鮮明になっていく――。


 賢治は敦が変身した姿

 これは敦の昇給試験兼調査員の抜き打ち訓練


 よく見るときんつばの包み紙であったそれには、乱歩の字で確かにそう書かれていた。

「敦は社の収支を気にして、給料を二倍にされても受け取らないと分かっていたのだろう」

 不機嫌な乱歩の代わりに、血塗れの福沢が説明する。

「それと、分かっていながら敦につかわせる結果を招くと私に怒られるし、完璧に推理をしておきながら、その証拠を残さないでおくのが悔しかった――。ちなみに敦の異能の可能性については、ヨコハマの人食ひとくどらの噂を聞いた時から気付いていただろう」

「ふん」

 向こうを向いた乱歩から聞こえた音が、正解を物語っていた。

「それで、その、台本というのは……」

 谷崎が、いまだに福沢の腹から飛び出している洋刀の切っ先を、見たいような見たくないような目で見ながら質問する。

「ああ。まずは敦が消えたように見せる所からだ」

 国木田は一瞬席を外すと、事務所から白板ホワイトボードを引っ張ってきて、そこに話の概要を書き始める。

「そもそも賢治には、敦が自我をたもっている間にも『雨ニモマケズ』を最大限の力で使えるよう、訓練に付き合ってもらっていたため、賢治は少し前から事情を知っていた。それで、賢治と敦は今日の午前中の仕事が終わった後、示し合わせて、防犯カメラに映る場所で入れ替わる。敦が賢治に変身し、賢治はその瞬間に遠くへ瞬間移動して、敦が賢治のいた場所に瞬間移動する。あの防犯カメラは少し速く写真の連写をしているような録画の仕方だから、二人の行動は速すぎて映らない」

 国木田は白板に、『敦と賢治ノ入レ替ワリ・二人ノ瞬間移動ノ利用』と書く。

「僕は敦さんにばんとたちっちバトンタッチした後、ジョン君のご実家までひとっぱしりして、お夜食会にお邪魔しておりました」

 はいはいと手を挙げて発表した賢治は今、農業好き同士のジョン・スタインベックと家族ぐるみの仲良しなのである。

「でも、流石に亜米利加あめりかは遠かったですねえ。二秒ほど掛かってしまいました。帰りは少し食べた後でしたので、十七秒も掛かりましたよ」

 絶句する調査員たちをよそに、賢治はミイトパイ美味しかったですなどという幸せな感想を述べている。

「――そして、敦が賢治になった後、敦は敦が居なくなったと云って社に駆け戻ってくる」

 国木田は『賢治ハ亜米利加ヘ』の次に『敦ノ消失事件ノ偽造』と書き込む。

「そして俺が指示して、調査員を各所に散らばらせる。で、俺と太宰が敦の消失現場のカメラに映る所を花袋に確認させたら――」

「私が『人間失格』で花袋さんの異能を消し、花袋さんがコンピュータを通して侵入していた防犯カメラの通信を切る」

 太宰の異能『人間失格』も成長しており、今や直接触れずとも、視界内にあるものの異能を解除することができる。

「それから俺は濃紺の長外套を着て、賢治になった敦に瞬間移動させられながら、自宅の花袋、ポートマフィア本部の谷崎、花袋の連絡を受けてその自宅に駆け付けた与謝野医師と乱歩さんを、社長直伝じきでんの体術で襲う――。花袋が誰に連絡するかは分からなかったが、年長の二人組を頼るだろうという予想はしていた。乱歩さんもいることだし、ポートマフィア本部にいる二人や単独行動の鏡花よりも安全だからな」

 国木田は『花袋ノ連絡→与謝野医師・乱歩サン』の文字の所を、指の関節でとんとんと叩く。

「私は嘘の消失事件が始まる前に変態桃色木乃伊になって恥ずか死のうとし、捕まって変質者出現情報を作った後、一旦脱走して事務所に戻る。それから、嘘の消失事件の最中、国木田君が頑張っている間に、もう一度変態桃色木乃伊となって恥ずか死のうとしつつ、鏡花ちゃんを襲う」

 そう云う太宰の表情は、非常に残念そうである。

「敦は俺達が襲撃した各所を回って、自分が活動する姿を調査員に見せる」

 国木田は一切表情を変えずに説明を続ける。

「そして太宰が警察署から脱走する間に、敦は全員を医務室に集める。そこで社長が、敦の姿や言動を再びしっかりと全員に見せる為に、俺に襲われた調査員を治す。また社長は、敦と過ごす時間が最も長い鏡花に、調査員たちを襲った犯人は社長と同様の技術を持つ者であることと、敦が健在であるというヒントを与える」

 国木田は説明しながら白板に、『鏡花ニきわドイ示唆しさ・最大ノ関門』と書き入れる。

「鏡花さんにも気付かれないなんて、敦さんは凄いです!」

 云いつつ賢治は、スタインベック家からのお裾分すそわけのジャガイモを皆に配っている。

「そして最後に、合流した俺と太宰が医務室を襲う。無傷だった社長は、服の中に仕込んだ自分の血と飛び出す刀の仕掛けを使って戦闘不能状態になる」

 福沢は帯を緩め、自分の血を入れた袋の残骸と、洋刀のつかと刃の先だけが飛び出しているベルトのようなものを取って見せる。

「太宰は『人間失格』で全員の、そして敦の変身後の異能を消す。そこからどうするかは、敦に委ねられる――」

「んまあ、強引だったねえ」

 太宰は熟睡している敦を隠す吊下布に目を遣り、くくくと笑う。

「ああ、ひどく強引だった」

 国木田は溜息を吐きつつも、説明を続ける。

「敦は、自分には異能など無いという嘘をいて敵の気をらし、賢治のの身体能力のみで馬鹿力を演出した。それによって全身に肉離れを起こした上、鏡花に向かった医療用小刀を自分の身体で防いでいたから、俺と太宰を投げた後は完全に使い物にならなくなっていた。その点は悪かったが、自我をたもって台本通りに動きながら、借り物の身体を、限界を超えて使うまでの制御ができていた。それに、太宰が敦本来の異能を解除した際には上手うまく元の身体に戻っていた。変身が不完全であるか、または制御を誤ると、元の身体にも打撃を受けることがある――。よってこの作戦は、長期戦になった場合に有効である可能性は高くないものの、俺達は敦の腕力に勝てなかったし、意外性があるという点でも良いものだった」

 国木田は白板の『制御・治癒・腕力・意外性』の下に『合格』の字を書き、それに大きな丸を付ける。

「はあ、そんなことがあったのですね! 実は時々覗きに来ていたのですが、ばれてしまうといけませんから、ゆっくり見ることができなかったんですよ! 敦さんは本当に凄いなあ!」

 再び絶句する調査員たちをよそに、賢治はぱあっと笑って敦を褒める。

「なるほどね。で、抜き打ち訓練ってのは?」

 白板の文字をざっと読み返した与謝野が、長い睫毛まつげの下から国木田を見る。

「ええ、説明させていただきます。この訓練については、各自の実力の向上のみならず、このごろの武装探偵社の平和けを矯正する為のものでもあり、俺はこのような事態をかれこれ何年も――」

「んんっ」

 福沢の咳払いに、国木田は慌てて話を本筋ほんすじに戻す。

「……この訓練に関しては、事情を知っている者も、抜き打ちではないながら対象になっています。これから訓練内容と簡単な講評を行います。――まず敦は、『変身』の安定的な制御。短時間ながらも、普段以上の成果を出していた。太宰は『人間失格』の非接触発動と、敦の変身後の異能のみを消すという精密な制御。完璧だった――」

 国木田は再び白板に向かい、文字を書いていく。

「谷崎は『細雪』による隠密行動の精度の向上。やはり異能に頼りすぎて油断が生まれていたし、中原中也には完全に見破られていた。しかし芥川は全く気が付いていなかったし、俺は、敦によって正しい場所に導かれなければ、谷崎の発見にはもう少し時間が掛かっていた。賢治は、『雨ニモマケズ』による長距離移動と非空腹時の異能使用。スタインベック家での夜食会の最中にも数度移動しており、少し食べた上で亜米利加からヨコハマまで十七秒で移動できるのであれば、上々だ。花袋は『蒲団』による五粁以内の多数の電子機器の操作と、荒事への耐性。中々良かった。与謝野医師は『君死給勿』による自身の生命力の向上。俺は与謝野医師を他の調査員の三倍の力で襲ったが、与謝野医師だけは意識をたもっていられた。鏡花は、変態桃色木乃伊という精神をいちじるしく乱す存在を前にしての、二刀流の『夜叉白雪』の制御。太宰によれば、自分でなければ胸に浅くバツ印が付いていたとのことである。惜しかったが、一般人に大怪我を負わせないまでの制御はできていた。俺は社長直伝の体術の実践。――社長、いかがでしょう」

 国木田と福沢の視線がぶつかり合い、小さな火花を散らす――。

「完璧と云いたいところだが、必要以上の手加減が僅かに見えた」

 国木田は「がとうございます。精進しょうじん致します」と腰を折ってから、説明を続ける。

「そして乱歩さんは、文句を云わない。序盤は怪しかったが、推理した台本に沿って行動し、最後には、俺が首を絞めても耐えた。明日の旅行、楽しんでください」

 乱歩は返事もせずに、そっぽを向いたまま頭まで毛布を被る。

「詳細な講評と今後の訓練の調整については後日、個別に行う。今日は全員、午後の後半を休暇としているので、各自休養するように。解散」

 ――と云われても調査員たちはだらだらと医務室に残って今日のことについて喋り、国木田を苛立いらだたせるのであるが。

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