第五話 上司と部下

「何時見ても立派ですねえ」

 賢治は広い廊下をすたすたと歩きながら、感心している。

 ここはポートマフィア本部ビルの最上階付近。壁も床も天井も、黒い大理石でできている――。

「ま、まあ、そうだね……」

 谷崎は、水平方向のみならず垂直方向も含めた脳筋瞬間移動にやられ、折角せっかく治まろうとしていた吐き気が元の二倍となった状態で、立派な壁に手を付き歩いている。

 対照的な賢治と谷崎の六メートル先には、黒い長外套コート憤怒ふんぬなびかせて歩く芥川――。

 荒事あらごとにはならない。

 敦に関する情報を盗み聞きし、敦がここにいるのならば探し出してこっそりと助けるだけでいい。

 ――谷崎はそう祈りながら、異能力を保持しながら、どうにかして歩く。

「あ」

 また賢治が声を上げる。

 照明の光の刺激をけて下を向いていた谷崎は、ひたいに手をかざして顔を上げる。

 賢治が呑気に指差す先には――。

「中原中也……」

 反対方向から歩いてきた小柄な赤毛の男が芥川に気付き、ぽつぽつと挨拶を交わしている所であった。

 谷崎と賢治はその必要は無いのに忍び足で歩き、芥川の背後二メートルまで接近する。

「随分遅かったなァ?」

「ええ、まあ……」

 芥川はごほ、と小さく咳をしたが、それは持病からのものというより、上司の前で下らない私情を出さないようにするためのものに聞こえた。

「大方、彼奴あいつと揉めたんだろ。今日は何奴どいつが首んできた」

人虎じんこです」

「一人でか?」

「いえ、田舎の餓鬼がきも」

「田舎の餓鬼? ……あァ、彼奴あいつか。中々なかなか骨のある」

 ――宿敵が自分たちの話をしているのを聞くと、奇妙な、くすぐったいような気分になる。

「骨? ありませんよ。あのひょろっこい、チビで愚図ぐずの餓鬼が――」

手前てめェ」

「はい」

 中也のうなるような声にひるまないのは、流石さすが芥川といった所だが――。

「例え口だけだとしてもそんなこと云ってると、いずれ相手の実力を見誤みあやまるぞ。お前、今日来た二人の名前を云えるか」

「知る必要もありません」

「中島敦と宮沢賢治だ。中島のことは多少知ってるだろうが、宮沢も舐めて掛かると危ねえぞ。彼奴あいつは元から凄かった。異能力だけじゃねェ。純粋で迷いが無い。これがどんだけ特別な才能か知ってるか? 彼奴が本気になれば、不純で迷いだらけのポートマフィアなんぞ一秒もたねえよ」

「中也さんがそのように弱気な人だったとは。失望しました」

「弱気? 弱気なのは手前ェだろうが。相手に向き合わねえで適当にののしって誤魔化しやがって。お前、宮沢のこと、ひょろっこい、チビ、愚図だと云ったな」

「ええ」

 芥川はある意味素直に頷く。

「彼奴はヒョロくねえ。異能に頼らず、毎日ちゃんと鍛えてやがる。つっても筋力訓練じゃなく、日常的な力仕事でだな。そんでチビでもねえ。まあ小柄な方ではあるが、あれは、一六八だ。俺より上だし、身長に対して腕と脚が長くて、手足がでかい。同じ身長の奴と素手で組んでも有利だ。んで愚図でもねェ。奴はこの頃、瞬間移動しやがる」

「瞬間移動?」

 荒れた黒髪を揺らして首を傾げる芥川に、中也は大きな溜息を吐く。

「もう一年くらい前からだぞ。まあ、瞬間移動というか、途轍とてつい脚力と頑丈さで走ったり跳んだりしてるだけだがな。しかし、お前にそれを見せてないってことは――」

 舐められている。

 暗に、しかしじかにそれをぶつけられた芥川の長外套が、ぶわ、と音を立てて震える。

「んで、今日の被害は?」

 中也は駄目押しのように、冷徹な質問をする。

「港の倉庫、十八個が全焼・全壊」

 芥川の声にはもう、つくろう意志も無い。

「次の取引は三日後だ。その時までに自分がどうあるべきか、しっかり考えとけ」

 中也が芥川の横を過ぎ、谷崎と賢治の横も通って去っていく――。

 谷崎には分からない高価な香水の匂いが消える前に、怒りに任せた黒刃こくじんが飛んで来たので、賢治と共に慌てて退いてかわす。

「中也さん、素敵な上司さんですね」

 どすどすと床を踏み鳴らして歩く芥川の後ろをけながら、賢治が夢見るように云う。

「中也さんはとっても優しくて、強い方です」

「あ、うん、そうだね……」

 谷崎にポートマフィアのやり方と賢治の感性は分からないが、頷けないでもない部分もあった。

「でも、敦さんはここにはいないみたいですよ」

「あ、そっか……」

 芥川が敦を捕らえたのならば、中也に報告するはずだ。あのように一方的に叱責しっせきされていたのはおかしい。

「でも、ボクたちのことがばれてたッて可能性もあるよ」

「そうですねえ……」

『細雪』で姿と音と匂いは誤魔化せるが、気配は消せない。

 あの中也が一切反応しなかったのも、またおかしいような――。

「ひゃッ」

 不意に鳴り響いた着信音に、谷崎は飛び上がる。

「どうぞ」

 賢治が、福沢に習った「誰かとる時に相手の電話が鳴ったら、『どうぞ』と云って両手を差し出し、電話に出るよう促す」という行動をする。

「う、うん、でも……」

 携帯電話の画面には、『非通知』の文字が表示されている。

「出てみましょう。どんな人とだって、話せば分かり合えますから」

 賢治の純粋な瞳が、谷崎を見つめている。

 谷崎は出ない唾液をぐっと飲み込み、震える指で通話釦を押す――。

「は、はい、あのう……」

『谷崎潤一郎』

 その声はまぎれもなく、先刻まで目の前にいたのものだった。

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