第一話 事の起こり

「あーあ、また駄目だめだったよお。やっぱりネットの情報は嘘ばっかりだあ」

 うだうだ云いつつ事務所に入ってきたのは、彼奴あいつである。

 仕事を放り出して新しい自殺方法を試しに行く奴の名前など、ここに書く価値も無い。

「ねえ国木田くぅん、包帯ってよう」

 其彼そいつは国木田の腕をべたべた触り、仕事の邪魔をする。

「私の大事な包帯コレクションが、もうすぐ無くなってしまうんだよお。緊急事態なんだよお」

「知らん」

「購ってよお。国木田くぅん」

「自分で購え」

「いいじゃんいいじゃーん。国木田君はお金持ちなんだからあ」

「お前に金が無いのは働かない上にあそほうけているからだ。そんな事も云わなければ分からんのか」

「云われても分かんなーい」

 そろそろ殴ってもいいだろうか。

「あ、国木田君、電話ってるよ」

 ――確かに国木田の携帯電話が鳴っている。

「はーあ、国木田君には電話が掛かってくるのに、私はこんなにも暇だなあ」

 電話のお陰で国木田からの顔面殴打パンチまぬがれた太宰は、後の罰を三十九倍にしながら、書類が山と積もった机の方へ歩いていく。

『大変です!』

 携帯電話から聞こえてきた声は、珍しく焦っていた。

「どうした、賢治」

 賢治は今日、朝から敦と共に港に出掛け、ポートマフィアの違法取引の見張りをしていたのだが――。

『敦さんが消えたんです!』

「消えた?」

さらわれた』とか、『襲われた』とかなら分かるが、『』……?

『はい。お仕事が終わって、お蕎麦そば屋さんで一緒にご飯を食べようと思ったら、消えてしまったんです! 電話も、ええと、電子手紙メエル? も通じません!』

「そうか。周囲に怪しい物や人物は」

 社員たちが不安げに顔を見合わせる中、国木田は手帳を開いて午後の予定に長い斜線を引く。

『いえ、何も。港で芥川さんとちょっと喧嘩けんかになって、ポートマフィアの倉庫が十八個ほど燃えて潰れましたが、それだけです』

「なるほど……」

 ポートマフィアとの些細ささいごとなど日常茶飯事にちじょうさはんじである。だが――。

「あのお子ちゃま、最近ご機嫌ななめだからねえ」

 電話の賢治の声は聞こえていないはずの太宰はそう云いながら、敦がいないのをいいことに、書類の山を自分の机から敦の机にせっせと運んでいる。

「ちょーっとまずいんじゃないのお?」

 太宰はそれから「はあ疲れた疲れた。武装探偵社の仕事は大変だなあ。休憩が必要だ」などとのたまい、即興の自殺ソングを歌いながら事務所を出ていった。

 名前を思い浮かべる価値も無い彼奴あやつに構っている暇は無い。

 だが、彼奴あやつの云う通り少しまずいのだ。

 芥川はこのところ、本当に機嫌が悪い。

 敦の身長が自分を追い抜かし、太宰に近付いていることを逆恨さかうらみしているらしく、敦の姿を見ては喧嘩を吹っ掛ける。ついには街中のありとあらゆる白い物に対して癇癪かんしゃくを起こすようになり、先週など、ポートマフィア本部の屋上から、上空を飛行する白い旅客機を切り刻もうとして中也に叱られていた。ただ中也も芥川の気持ちが分かるのか、少し叱れば後はったらかしである――。

「賢治、ぐに社に戻ってこい。お前の身も危ない」

『はい!』

 電話が切れる前に、扉が爆発音を立てて開く――というか壊れる。

 砂埃すなぼこりが治まると、そこには賢治と、太宰がいた。

 賢治は随分と凛々りりしくなった顔で国木田を見据みすえて立っているが、賢治の疾走に巻き込まれた太宰は目を回し、扉と一緒に大破した戸枠とわくに引っ掛かってぶらんぶらんと揺れている。

 十八歳になった賢治の異能力は恐ろしく成長しており、空腹時には増強した脚力を使って、瞬間移動といえるまでの速度で移動することができるのだ。

「全員聞け」

 国木田が声を上げる前に、武装探偵社の社員は全員、国木田に注目していた。

「敦が消えた。消失の直前にはポートマフィアの芥川と揉め事があり、敦、ひいては武装探偵社社員全員の身に危険が及ぶことが危惧きぐされる。総員、現在の業務を一時中断し、敦の捜索に当たれ。事務員の方々はここに残って、安全を第一にしつつも情報収集を。賢治と谷崎はポートマフィア本部を警戒。俺と太宰は敦の消失現場へ。鏡花は花袋と連絡を取りつつ聞き込みを。与謝野医師せんせいと乱歩さんは港の戦闘現場を確認――」

「えー、面倒臭いー」

 国木田の指示を受けててきぱきと動く社員たちを尻目に、乱歩は机に足を載せ、きんつばを頬張ほおばり、椅子にっている。

「乱歩さん、そこを何とか。敦が見つかったら――」

「お菓子はらないよ。もう食べてるから」

 乱歩は国木田の言葉をさえぎり、食べ掛けのきんつばを国木田の眼前に突き付けて、ぶんぶんと振る。

 早々に作戦を見破られた国木田は、歯型付きのきんつばが作る扇形の残像を見ながら内心で頭を抱える。

「第一、なんで僕がこんなことに付き合わなきゃいけないのさ? そっちで勝手にやっててよ」

 確かに消失した社員の捜索などという業務内容は、武装探偵社の雇用契約には含まれていないのだが――。

「まったく、君達はほんっとに莫迦ばか――」

「乱歩」

 事前の音も気配も無しに耳元に届いた声に、その場に居た乱歩以外の全員は無意識に背筋せすじを伸ばす。

「敦が見つからなければ、明日の旅行は中止だ」

 福沢と乱歩は明日、揃って休暇を取り、電車に乗って遊園地へ行く約束をしている。

「見つかるとか見つからないとか、そういう話じゃないでしょ。だって敦は――」

「乱歩!」

 福沢が吠え、国木田は内心で溜息をく。

 ――まあ、分かってはいたが――。

「ぶう……」

 乱歩は福沢の発する気に負けたのか、残りのきんつばを口に放り込み、だらだらだらだらと立ち上がる。

「乱歩さん。ご案内するよ」

 谷崎や賢治、鏡花が事務所を出ていく中、少し離れた所で事のきを見守っていた与謝野が、乱歩を連れていく――。

「ありがとうございます。社長」

 国木田は腰をぴったり四十五度に折って頭を下げる。

「いや。何時ものことだ。それより国木田――」

「はい?」

 国木田が顔を上げると、福沢の肩越しに――。

「ここを事故物件にしたらお前の死霊しりょうを召喚して生き返るまで除霊してやる!」

 国木田は走っていって、大破した戸枠に備品の延長コードを引っ掛けている太宰に体当たりを食らわし、そのまま太宰の襟首えりくびを掴んで事務所を後にする。




「……乱歩さん?」

 与謝野は気付くと、乱歩の八歩ほど前を歩いている。

 乱歩はというと、与謝野に背を向けて、大破した戸枠の上の防犯カメラを見上げ、ぼけっと突っ立っている。

「何してるンだい?」

 敦が戻ってこなければ、与謝野の大切な実験台がいなくなる。ぼうっとしている時間は無いのだ。

「敦の場合は、意味が無いからね」

 乱歩は心底退屈そうに云うと、「はーあ」と大きな溜息をいて、頭の後ろで手を組み、ぱたぱたと靴を鳴らしながら与謝野の方に歩いてくる。

「意味が無い?」

『ここを事故物件にしたらお前の死霊を召喚して生き返るまで除霊してやる!』

 乱歩は国木田と太宰の仲良しこよしに紛れて答えを誤魔化ごまかし、与謝野を追い抜いてだらだらだらだらと階段をりていった。

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