第48話 俺にその手の趣味はない

 無事、要塞に帰還した俺だったが、翌日にはエリカ嬢とともに気密コンテナの積み荷になっていた。気密コンテナは大型気球で高高度まで安全に上るためのものである。気球は1時間弱で高度12000まで上る。その高度では俺はともかく生身のエリカ嬢は凍えてしまうし、呼吸する酸素が足りないからだ。急増の気密コンテナはメリッサ製で、気球は観測気球を2つ組み合わせた。ブラックバードが戦場に投入されてから一方的に被害を受けていたため、使用できずにいた気球だ。


 最低限のものしかない気密コンテナの中、しゃがみ込んで暖房器具にあたりながら、エリカ嬢は俺に言った。


「いやあ、こーへーは、あたしと離ればなれになってそんなに寂しかったんだあ」


 エリカ嬢はにんまりしながら、再会してからこれまでで何度目かの台詞を口にした。


『もう~~ 何回答えればいいの?』


「あたしが満足するまで」


 困ったものである。


 要塞に戻ってきた時、発着ポートにはエリカ嬢の姿もあった。ミーア大将閣下との話が終わると、エリカ嬢は俺に飛びついてきた。俺が彼女を潰さないように気をつけて抱きとめると、例のゲージがまた少し満たされたのが分かった。俺のことを愛してくれているからか、俺がエリカ嬢を愛しているからなのか。おそらくその両方だろう。このまま彼女と一緒にいられたらゲージが満たされるのもそう遠い日ではないかもしれない。


 その日の夜はエリカ嬢も整備棟で毛布にくるまって寝た。一緒に寝たいといって、マリーさんのいうことも聞かなかったからだ。こうしてゲージが満たされるのであれば、4日ほど離れた甲斐があったと言えよう。


 朝には気密コンテナが完成し、気象班が各高度の風向きを検討し、出発時間が決まった。今回、マリーさんではなく、エリカ嬢を重なり手パートナーに決めたのはこの作戦にどうしてもエリカ嬢が必要だったからだ。


 俺が立てた対ブラックバードの作戦はこうだ。高高度を飛んでくるブラックバードに追いつくには時間がかかるし、高度が低い間に接敵すると不利は免れない。ならば逆にブラックバードに来て貰えばいい、という発想の転換である。デーモン軍の領域に観測気球の体で飛んでいけば、必ずブラックバードが邀撃に来る。これまでは必ずブラックバードに撃墜されていたのだから間違いない。ブラックバードが上昇中にこっちがコンテナから出れば、頭を押さえられる。速度差は高度差でカバーできるわけだ。2度とできない一発勝負だ。


「こっちが出る前にコンテナを狙撃されたらどうするの?」


『バスターじゃなきゃ耐える。それに狙うなら気球の方だよ。何倍も大きいんだもの』


「それはそうか。ねえ、こーへー。こーへーがあたしを選んでくれて、凄く嬉しいんだよ」


 よほど置いて行かれたのがショックだったらしい。


『高度差で速度差をカバーできても絶対じゃないから、エリカ嬢のステルスは必須だからさ。もちろん、外の様子を窺うのにも。それに……』


「それに?」


 謎ゲージの話はしない方がいいんだった。危ない危ない。


『えーと、俺も寂しかったから』


 エリカ嬢は輝かんばかりの笑顔になった。


「あーあ。せっかく2人きりなんだから、こーへーにおっぱい吸って欲しかったなあ。でも唇、開かないしなあ」


 何を言い出すんだ。この子は……そりゃ、唇はカタチだけだからな。分かっていっているんだろうな。残念。あの色素の薄い乳輪とピンクの乳首を思い出すと残念な思いが更に強くなる。


『ざんねんだなあ』


「おっぱい揉む? 揉むほどないけど」


『力加減できなかったら一大事だからなあ。残念』


「だねー」


 思春期の付き合いたてのカップルでもこんなに慎重にはならない気がする。


 1時間後には高度12000に達した。しかし気象班の予想よりも風向きはともかく風速が遅く、デーモン軍の方に向かうまで時間がかかった。リモートで舵を操作し、ある程度は方向を変更できるのだが、時間がかかると問題がある。酸素の残りと、トイレである。


 2時間半後、エリカ嬢が顔色を変えた。


『どうしたのエリカ嬢』


「な、なんでもない。なんでもないから、こっちに来るなよ」


 酸素ボンベの向こう側にエリカ嬢は姿を消した。なんだろうと思ったら案の定、センサーが、とある音をキャッチしてしまった。その後、ごそごそと着替えているようだった。


 酸素ボンベの向こう側から何かを手にしたエリカ嬢が現れたとき、真っ赤になりつつ、聞いた。


「――分かっちゃった?」


『聞かなかった。聞かなかったよ』


「そうして。乙女のプライドにかけて」


 このコンテナにトイレなどない。長距離パイロットはおむつを着用するのが普通だ。だいたい想像がついてしまった。


『大丈夫、俺にその手の趣味はないから』


「言うな!」


 彼女は手に持っていたその何かを俺に投げつけ、それは俺の顔に命中した。


 温かく、湿っている。臭覚センサーは切ってあるのが幸いした。


 それは言うまでもなく大人用のおむつだった。エリカ嬢は真っ赤になってダッシュしてずりおちてくるそれをキャッチして、脱兎の如く距離を取った。


「ごめん、ごめん! わざとじゃないから! 思わず! ごめん、汚いモノを!!」


 酸素ボンベの陰に隠れながらエリカ嬢は謝り続ける。


 うーん。


 得がたい体験だったことだけは間違いないと思う。


『エリカ嬢~~ 作戦中なんだから気にしてないから』


 プレイだったらかなり問題だが。エリカ嬢は戻ってきて、濡らしたタオルでフェイスガードを拭いてくれる。


「う、うん――ああ! パッシブ反応あり! 何かが急速接近中。高度9000、距離3500。相対速度差分速2キロ」


『あれ、遅い???』


「こっちが止まっているようなものだから、攻撃を命中させるためには速度を落とす必要があるんでしょう?」


 それが道理だ。さっきまでのお気楽な雰囲気はふっとんだ。


 エリカ嬢は俺のランドセルの中に入り、酸素マスクを被った。


「高エネルギー反応あり! 砲撃、来る!」


 エリカ嬢が叫ぶと同時に、頭上をバスターの砲撃音が突き抜けていったのだった。

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