第43話 この世界のお話

 オーバーオールの上に真っ白なエプロンを着けた女神様はどこからどう見てもスローライフを楽しむ普通の熟年女性だった。


 女神様が入れてくださったお茶は大変美味しかった。久しぶりに口にするものだからというわけではない。本当に美味しかった。


「庭で育てたハーブから作ったのよ」


「久しぶりに飲むと本当に染み入ります」


 ビルス枢機卿からしてみると戦場から遠く離れて、人間同士の争いがない世界に来たのだ。心の底から安心していることだろう。


「落ち着きます。様々な俗世の出来事が、些末なことに思えてきます」


 アニス神聖王も穏やかな表情を浮かべている。


「甲兵くんのお口にはあったかしら?」


「ええ。しかし危険ですね。このままこの世界に溶けてしまいそうだ」


 それは本能的に感じていることだろう。伊弉諾いざなき命は黄泉の国の食物を口にしてしまったから現世には戻れないと言った。ここでも同じ気がした。


「そうね。あなたは客人まろうどだから、そうならないように私も気をつけるわ」


客人まろうどですか?」


「この世界の外から来た異なる存在のことを客人というのよ。いいものも悪いものも持ってくる」


「悪いものにならないようにしたいものです」


「ふふ。男の子とお話しするのは久しぶりだから楽しいわ」


 女神様は嬉しそうに微笑んだ。


「そうね。ようやく、アニスとビルスにも何故この世界で男の存在が失われたのか説明するときがきたわね」


 アニス神聖王とビルス枢機卿は同時に頷いた。女神と話ができるというのに、今までその真実を聞かされていなかったらしい。


 女神様のお話の概略はこんな感じだ。


 そもそも女神様はこの世界の存在ではないとのことだった。別の宇宙の寿命が尽きる前に、この世界に移ってきた高次元存在だそうだ。もっとも3次元の存在であれば、別の宇宙、いわゆる異世界間の行き来などできはしないのでそれはそうなのだろう。俺のいた世界でも、宇宙は無限にある宇宙の1つに過ぎないという学説があった。そしてそれは相応に支持を得ていた。無限にある宇宙ならば、生命がそんな超越的な高次元存在にまで進化する宇宙もあるのかもしれない。


 さらに話を聞くと、女神様はこの世界に来る前は、どうやら銀河系1コ分くらいの意思存在だったらしい。何億年かあると銀河存在でも意思を持つのだ。とはいえ、元はヒトのようなものだったらしい。ヒトとヒトの意思が重なり合い、星と星の動きに重なっていくまでスケールが違いすぎるが、イデが、更に星々にまたがる超越存在になるところまで進化したというところだろうか。


 ん? イデ? 人と人の意思の集合体。また、知らない俺の知識だ。


 そしてこの宇宙にやってきたが、ここは物理法則は生命が発生するのに適した宇宙だったのにも関わらず、生命が発生していない宇宙で、長い時間をかけて生命を発生させ、銀河団中にばらまいたのだという。気の長い話だ。女神の意思が働いたらしく、元いた宇宙と同じような存在も育った。それがこの世界の人間だという。


「なるほど。神様も無意識のうちに誘導してしまうんだな」


「そういうことね。でもね、それまでは1柱ではなかったの。1柱ではとてもとてもこの孤独には耐えられなかったわ」


「――男神ですね。女神様とともに世界を作られたのは」


 アニス神聖王が尋ねた。


「そう。女性存在の概念を伝えたのが私なら、男性の存在を伝えたのが男神、私の夫なの。でももう、夫はこの無限に連なる宇宙のどこにもいない。だけど、私の元の姿であるヒトの姿を留めたあなたたちを守りたかった。だから、男神は従神を作られたのよ。自分の存在の痕跡として、自分の存在の復活の道しるべとして」


「え、そうなのか。従神のボディって、やっぱり女神様が作ったんじゃないのか」


 俺は薄々そう感じていた。この身体はあまりにも男性的過ぎる。


「ええ。結論からいうと、この世界にはもう男性の固定された概念がないの。だから聖典にも痕跡があるだけ。この世界で男を司り、作った存在がいないから、伝承にもうっすら残っているだけだから、男のカタチや入れ物を作っても、長くは持たないわ。男神が作った従神を除いてね」


 だからデーモン族が男性機能を有した個体を作っても上手くいかなかったんだ。


「ええ! それじゃ俺も!?」


「そうね。このままではあなたが生身の身体を持てることはないわ」

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