八、追憶街
蜃気楼の多い街だった。
赤い土壁の建物と、煉瓦の道にゆらゆらとした何処かの風景―シダのような植物の群れであったり、ボコボコとした丸い岩が並ぶ水底であったり、深い森であったりした―が重なり合っている。
異邦人としては少々面食らう光景も、住民にとっては日常の一部なのだろう、往来は動物や人々で大賑わいだ。歩くのも難しいほどで必ず何かしらとぶつかってしまう。しかしぶつかったと思うと、すり抜けてしまったり、煙のように消えてしまったりする。
どうやら街を埋め尽くす者たちの多くは幻であるようだった。
「この街の建材には、貝が含まれているから、とも言われていますよ」
私の好みではありませんが、と珈琲サイフォンに湯を注ぎながら店主は言った。幻影はこの喫茶店も例外ではないようで、珊瑚が机の上に生えている。無論、触れることはできない。
「好みではない」
「だって、どう考えたってこれが貝の夢だなんておかしいじゃありませんか。貝が 生まれる前の時代の夢まで揺らめいているのですから。この街についてはいくつかのお伽噺はあります。その中でも出来の悪いものですね」
匙で少しだけかき混ぜるような仕草をする。
「お伽噺、ですか」
「お伽噺、ですよ」
「では、貴方のお気に入りのお伽噺を伺っても?」
蜃気楼のように鳥が、魚が、花々がゆらゆらと浮かび消えていく。
「記憶、は生き物だけの特権ではない。そうは思いませんか?」
店主は珈琲を差し出しながら少し微笑み、レコードを指差した。
「貝が夢見る街、ではありませんとも」
記憶が混在する街、であるらしい。なんでもこの星ができてから今日に至るまでの 記憶を大地や空気、建物等が蓄えているのだと。その為この街では、過去に存在したあらゆるものが、喫茶店の中で音楽を吐き出し続けるレコードのように再生されるのだと。
珈琲を一口飲む。
「きっといつか、貴方も幻になりますよ」
「店主、貴方もね」
遠い未来、幻のわたしたちを見る誰かに思いを馳せ、しばし笑い合った。
喫茶店を出たところで、人とぶつかる。
謝ろうとすると、その人は会釈をして、ふっと掻き消えた。
これも何時かの記憶だったのだろう。
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