第2話

巨大にうねる青白い壁が

今は柔らかな光を反射する

そこには小さなモーター音も響いていた


人形サイズにまで小さくなった私が見上げるのは

ジェットコースターに似た乗り物


私の願い事に

妖精が叶えてくれたのは

思い出ランド、とでもいうものだった



サービスサービス、出血大サービスと言いながら

割と面倒見の良い妖精は

最初に私とクローンの背を縮めた

次にそのサイズに合うような乗り物を次々に出した

ご丁寧にそこには隣接されたレストランもあれば

ホテルのような宿泊所もあった


あれだけ空白の多かった私の部屋が

今はみっしりと詰まっている



「時間も何も気にすることはないから

子供みたいに遊んでおいで」


そう言い残し妖精はまた空中に消えた



私は恐る恐る一番近くの乗り物に腰を下ろした

クローンも隣に一緒に

ゆっくりのんびりゴトゴト車輪が回る



細いトンネルを抜けると

周囲は牛乳を溶かしたような霧に包まれる

地面には、焦げたような赤茶色い煉瓦で編まれた道 

車を囲むようにして橙の灯りがゆらめいていた


見覚えが、あった


その霧中に埋もれた薄灰色の建物から

のんびりした足取りで出てきたのは


若き日の父だった


「髪の毛、真っ黒!ふさふさしてる!」


感傷的になるかと思いきや

そんな言葉が飛び出して来た



父は私に近寄ってくると目を細めて


「よく来たなあ」と朴訥な調子で言った


それはあの日のままの父


「じゃあご飯食べに行こうか」


一緒にご飯を食べて

次は大きな玩具屋の中だった

がなり立てる宣伝と音の出る玩具に囲まれて

思わず耳を塞ぐと


父の手が一緒にそっと耳を覆った


「私も一緒だからね」


それは父は一緒に居る、という意味だったのか

父も音に対して敏感過ぎるほどだったのかは分からない


それでも嬉しかった


音量が体にずっと突き刺さって痛いとか

高音で胃がぐっと絞られる感覚

誰かに話したら気味悪がられた

どうせ他人に構って欲しくてそんなことを言うのだろうと言われた


そうだ私はどこかがおかしいんだ

出来損ないだから

きっと望まれて生まれたのではないから


だから、父が居てくれて

そう言ってくれて嬉しかった



父の温かな手のひらの感触を残したまま

車は振動を体に刻み込んで進んで行く


眠る前に父は本を読んでくれた


どんな音楽も楽器も

父のゆっくりした

ささやくような優しい声音には敵わない

世界で一番穏やかになれる声


だから何も聞き漏らさないように耳を澄まして

この間だけは

痛いことは何もない



いつまでもここに居たい



そう強く願ったのは一年前のあの日から

初めてのことだった


それはちょうど乗り物が、トンネルを抜けて

元の部屋へと戻って来た時だった




色鮮やかな飴玉をぶちまけたような光の波たちが

寒々とした壁の存在をも蹴散らしている

それでも喧騒は、ない

聞こえるのは父の声



急ごしらえで作られた世界は

二度と戻ることの出来ない過去を

そのまま現在に再現したようなものだった


時間と共に薄れてゆく顔や声や思い出が

現実に濃く在ることの奇跡

聞いて、見て、触れることの出来る奇跡



そこは奇妙で、それでいて暖かかった



設置された乗り物のあれにもこれにも

覚えのある父の姿があったから

その声がしたから


だからずっとどこかの乗り物に乗っていた

クローンが疲れ果てて眠ってしまった後にも、ずっと

今、過去を逃してしまったら

また、後悔しそうだったから



楽しかった



あれもこれも全てを網羅して

何度も何度も数えきれないほど、思い出たちを巡った


一緒に夕焼けの空に

浴衣で散歩に出た夏の日

空をよぎるとんぼの大軍を見た日



起きたクローンに、思い出を語り続けた

優等生のような態度で聞いているクローンと

必死に、思い出をなくさないように話している私は

傍から見たら多分とてもおかしいものだったろう



けれどこれは私の大切な思い出だ

胃の腑が満たされるようで

頭が蕩けるようで

目頭が熱くなるのは悲しい時だけではないのが久しぶりだった

そんな時間が楽しくて

どれ程寝て起きたのかすら忘れた

ただ満たされるようだった



そう

一年前のあの日が来るまでは

ふとそんな思いが頭をよぎったその途端


ガタン、とひと際目立つ音がした


乗り物が、ゆっくりと停車した


辺りがふっと闇に包まれた

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