〈分散〉の雷

焼魚圭

第一幕 日常の影の陰

第1話 鈴香の為に

 ある家の中、静かな食卓がそこにはあった。みな食べること以外では口を開くことを禁じられ、食器を叩く箸の音が主役を務める晩ごはんだった。

 癖のある黒い髪を伸ばした少年の若葉 勇人はこの食卓を虚しく想っていた。それなりの年数を重ねて皺が増え始めている夫婦に白髪だらけの老いきって命の果てはいつなのかと待ち続けるだけの男、背が低くてまだまだ幼さを顔いっぱいに広げている茶色がかった金髪の少女の鈴香がそこにはいた。髪の色は違えども、か弱そうな優しそうな雰囲気を纏って垂れた濃い茶色の大きな瞳が母親そっくりで遺伝を感じさせた。勇人は自身の顔を思い出していた。そう、その目もまた母親似のもの。鈴香そっくりで人によっては可愛く見えるとの話だったが男としては多大に情けなく見えてしまうそれに対して本人としては少しばかり薄暗い気持ちがかかっていて喜ぶことも悲しむことも出来ない微妙な気持ちに揺られていた。

 そんな食卓を囲む役に属しながら思う。

――高校二年目真っ最中なんだけど、ここまで静かな食卓なんてそうそうないよなあ

 誰が決めたわけでもない、ただ何故だかひと言も話すことなく多少重苦しい空気を演出する親の姿を見て子もそれに合わせているだけに過ぎなかった。

 そんな静かで物足りなくて、しかし慣れ切ってしまったその食事の途中にて、勇人は食卓の静寂を打ち破るきっかけを否応なしにその手につかまされていた。

 目の前、ガラス張りの壁、人々が窓と呼ぶそれの向こう側、つまりは外にて異形の存在をその目で触れてしまったのだった。

――ああ、これ、誰の噂なんだろう

 勇人は日頃から視ている景色の裏側を覗き込む。霊に近い質をした薄緑の異形の姿はここまでしなくても視えてはしまうものの、出来れば視えるもの全てを見ておきたかった。そこに映された裏景色、世の中が黒に染め上げられて白い線によって角や凹凸を把握できるだけの味気ない世界の中で、勇人はその異形との繋がりを見ていた。

 人の姿をしたそれは勇人の視線からすれば祖父の頭の上に乗っているようにも見える位置でひたすら踊っていて、少しばかり愉快に思えた。異形から伸びた薄緑の帯はそのまま窓を突き抜けてソフト繋がっていることを辛うじて確認できた。

――犯人おじいちゃんかよ

 呆れの感情に支配されつつ勇人は早々に食事を終わらせてそっと立ち上がる。

「そうか、行くのか」

「用事だものね、仕方ないよね」

「そうじゃな」

「……用事、なの。知らなかった…………寂しい、勇人、早く……帰って、来てね」

 家族によるそれぞれの反応を見届けて勇人は鈴香だけが何も知らないのだと改めて確認しつつ振り返り、言葉を残して去り始めた。

「大丈夫、すぐ戻るよ、だから安心して先に食べてて」

 立ち去って、ドアという境界線を静かに開いて向こう側というひとつのセカイの向こうへと現れて。

 壁に沿って周り進んで更にその先へ、控えめな足音を立てながら足を踏み出し続ける。

「さてと、そこにいるのは分かってるんだ」

 勇人は世界の裏側を半目で見つめる。

 ソコ、サキニススメバスグソコニ。

 薄緑の帯、祖父がこの異形を生み出した原因であることを改めて確かめ、繋がりを見ながら踊るオバケのような存在を見つめる。

 帯をつかみ取り、勢い良く駆け出した。

「行くよ、祖父の流した噂が生んだ妖怪踊りオヤジ」

 あの歳に流行ったのはきっとそう言った名を持った妖怪たちなのだろう。

 勇人が引っ張ると共に踊りオヤジは連れ去られ、家族用の自動車が二台通るのがやっとといった広さの路地に出た。路地を挟む家の中でも人々は日常を営んでいるのだろう。そうした大切な普通というものを傷つけないように、かつ慎重にはならないように勇人は引っ張った勢いに任せて踊り続ける異形を空へと投げ飛ばした。

 あの妖怪が生まれてしまったのは祖父のちょっとしたイタズラ心からだったのかもしれない。しかし、そのイタズラ心のひとつでも人類に牙を剥くかもしれなければ迷惑をかけるかもしれないモノ。


 少なくとも人のうわさが呼んだ異様な色のバケモノだけはその存在を許してはならなかった。


 勇人は空に飛ばされた異形を、降ってくるそれを迎え撃つべく右腕を上げて後ろへと引いた。その行動の残滓が青い雷となり、宙を漂っていた。

「人々の思想が生みし闇の塊よ、世界に蔓延る闇の中に〈分散〉されよ」

 そう唱えて引いていた腕を勢いよく突き出し、宙に纏まり漂う雷に指先で触れ、そのまま勢いよく押し出した。

 雷は弾けて破裂しながら空気を裂く稲妻と成りて不規則なうねり方をしながらも真っ直ぐ進んで行く。暗闇の中を進む青の稲妻はまさに世界に入ったひび割れのようで、空気を耳をつんざく音はこの世を割っているようにも見えた。

 進み続ける稲妻はやがて踊りながら降って来る薄緑の異形の身体を貫いた。内側からその身を侵食して分解し、セカイへと溶かすように〈分散〉する。

 人の心が生んだ闇は、世界の中へと還された。

 勇人はその様を荒々しい呼吸を繰り返しながら見届け、異形がその姿を消したことを確認して膝に手を着いた。

「この程度でへばったらダメだ。人の変異体、人の心の闇そのものが形を成した魔女には……届かない」

 勇人の目的は闇の中、疲れ果てた口からこぼされた。

 いつの日か魔力を身体に蓄えるであろう鈴香にとっての脅威となる存在、人類亜点種・魔女。それを討ち取る日常は未だ始まってすらいなかった。


 この戦いは、大きな脅威に立ち向かうための訓練だった。

 夜の風に吹かれながら勇人はゆっくりと歩み行く。戦いは終えたものの、あとは帰るだけであるものの、その時間を考えなければならなかった。すぐに帰ってしまえば何も知らない鈴香に怪しまれるというただそれだけでありながらも非常に重たい理由だった。

 勇人は思い返す。この戦いが始まったあの日のことを。



 それはあまりにも静かな畳の部屋でのこと。置いた男と勇人が向かい合って座るという状況。

 男は、勇人の祖父は突然その手に花瓶を置いて勇人に見せつけた。勇人が目に入れた途端、それはひとりでにひび割れを入れ始めて、自ら崩壊した。そのように見えていた。

「いいか、この現実離れした出来事からこれから話す非日常に属することまで全てが事実だ」

 そう言われたものの、勇人にとってにわかには信じられない出来事が既に目の前で起こっていて、既に置いてけぼりを感じ始めている頭では理解が追いつく自信を持つことが出来ないでいた。

 それでもお構いなしに祖父は優しそうな眼を無理やり細めて正気だとは思えない情報を口にし始めた。

「いいか、この世界には魔法というものがある。常人ならば決して触れることも踏み込むことも許されない領域の話だ」

 勇人の許可など取ることもなく話すということは初めから常人として生かすつもりはないようだった。この祖父の話がホントウであるならばの話ではあったものの。

 祖父は勇人を見つめてこの現実離れしたセカイの続きを語る。

「先ほど花瓶が勝手に割れたであろう。我が魔法を使ったからに他ならない」

 手品の一種なのではないだろうか。勇人の頭は未だに理解の領域に入り込むことが出来ずにいた。

「お前にはこれから魔法を扱う扉を開いてもらう。鈴香のためだ」

「鈴香、なんであの子が出て来るんだ」

 妹の名前にはすぐさま、勢い余りそうなほどの速さで食いついていた。身を乗り出して両手を床について、祖父と向かい合って。一方でただただ冷静な祖父は乾いた声で笑いを奏でていた。

「ははは、それでこそ我が息子、相変わらず妹が可愛いか。お前もおぼ同じ顔して可愛いぞ」

 途端に表情を歪めて曇らせる勇人の肩に手を置いて、話の続きを繋ぎ、勇人の思考を一気にこの非日常のセカイの中へと引っ張り込んだ。

「あの子だけ茶色がかった金髪をしているだろう。ウチの一族であの髪色を持って生まれた女の子には膨大な魔力とそれを練り上げて撃ち出す多大なる魔法の才能というふたつが備わり究極の魔法使いとなる、そのはずだった」

 はずだった。つまり何か予定の外側のことでも起きてしまったのだろうか。気が付けば勇人は話の続きに耳を傾けていた。

「しかし何代前だろうかのう、あの忌々しいメガネ野郎の先祖が、あのクソ近視男の先祖が、クソが、クソが」

 あからさまな豹変、明らかに荒々しくて異常。その様を目にした勇人は自然と祖父の背中を撫でて声を掛けていた。

「ありがとう、いつ見てもお前の顔は可愛いな、娘そっくりだ、鈴香にもそっくりだ」

「話の続きを」

 勇人の細くて高い声は子どもを思わせる。そんな自分の声が好きなようでもあり嫌いなようでもあって、重なり合うふたつの気持ちは互いに心情の余地を、心の領土の割合を譲る気などないのだった。

 祖父は一度大きな咳払いを挟んで話を続け始めた。

「そうじゃな、あの一族が呪いをかけてしまったものでな。魔力を多く持つ女が得るはずだった魔法の才能が殆ど備わらずに何故だか先に生まれる者にその分が渡されてしまうのだ」

 そこからの余談ではその一族には気を付けろという忠告ももらっていた。メガネをかけたやつれた中年の男とのこと。娘はどうにも魔法のセカイから遠ざけられているらしく、もしも魔法に触れてしまったならば勇人よりもいくつか年下で娘よりいくつか年上の少年がビニール傘を剣の代わりにして守るようにと魔法界隈の繋がりで話されているとの噂だった。

「つまり……俺に許可とか無しに魔法とやらを使って鈴香を守り抜けってのは決定済みなのかな」

「そうだ、決定済みだ。あと万一メガネ掛けた大人の男とそれと同い年くらいの傘を持った男、或いはメガネの少女やビニール傘を持った少年を見つけたら決して近付くんじゃないぞ。あれは我々一族に悪い影響しかもたらさないからな」

 それから話は最も大切なことへと移って行った。尤も勇人にとっては重大性の優先順位など理解出来そうにもない程に全てが重要に思えていたものの。

「とにかく、鈴香だ。あの子は魔法を扱う素質を持たずに魔力だけを大量に持つこととなる。それはきっとあの子が中学に上るかどうかから高校に入るくらいには訪れることだろう」

 成長期、幼体から成体へと育つ時期に魔力も例外でなく大幅に育つということだろう。そう考えると特に違和感なく勇人の脳内へと飲み込み刷り込むことが出来た。

「そうなれば後が大変だ。普通の魔法使いならば自分の魔力を扱って魔法を放つはずがこの世にはそうでないものもいる」

 人類の亜点到達者、人とは異なる遺伝子を持つ者、周囲から己の外側から魔力を引っ張り魔法を撃つことの出来る女たち。この狭い界隈の中ではそう言った者のことを指して魔女と呼ぶそうだ。

「アイツらは恐ろしい。心の暗い部分から本性を現して戦うからな。アレが鈴香の魔力を使って人々の世に暗い未来をもたらすと考えるだけでゾッとする」

 それはとても恐ろしいことだろう。勇人が仲良くしている友のことを考えていた。彼が魔女の手に掛けられることは決して許せない。

「とにかくだ、奴らを狩るための、鈴香を守るための準備期間としてこれから日々戦ってもらう」

 そう言って祖父は机の上に置かれたこの部屋の雰囲気とは不釣り合いな様々な実験器具の内から試験管を一本抜き取って手渡した。

「本来ならば魔法の扱い方はゆっくりと教えて魔力の開き方を教えるものだったが、ウチの子たち、お前の両親は揃って反対し続けていたからな。これからこれを、魔女と同じ力を開く薬を飲んで無理やり戦えるようにする」



 それから二か月後、勇人は今夜道を歩いていた。祖父が撒いた噂の薄緑の異形を倒した後の帰り道。初めの方こそは親が泣きながら祖父を責めていたものの、どう足掻いても進んでしまった時の針は元に刃戻すことが叶わない。今でもきっと心のどこかで苦しみ続けているかも知れない、祖父を許せていないかも知れない。それでも勇人の戦いだけは心の底から応援してくれているようだった。


 愛しい息子がいつでも無事に帰ってくるように祈る。そんな想いに気が付く余地など勇人は未だ持ち合わせていなかった。

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